異常で不規則な天候に災いされて、今日になって初めて、季節的な終日の雨の日となった。これで湿度も普通の温度と部屋の湿度に戻ることであろう。何しろハンカチや勝手の布巾が机の椅子に掛けておくと、すぐに乾いてしまほどの空気の乾燥状態である。室外の植木や木々は、屹度大喜びでこの雨の日を、待ち詫びていたであろうと思われる。本当に季節の慈雨である。草や木々の生育成長に水分が枯渇していたからである。自然を友としている人々にとっても大事な干天の慈雨であった。ゆっくりと落ち着いて物書きが出来ようと言うわけである。今まで二日おきに如雨露で水遣りをしていたことを考えると、本当に助かるわけであり、正に有難や風物詩とも言えそうである。花筏である。
不順な天候のお陰で、延々長引いた櫻の開花、もうこの辺でいよいよ落花を迎えそうである。パッと咲きパッと散る櫻花こそが、日本の昔からの潔良しであったのである。延引長引いて鑑賞期間が増えたと言えば良し、それまでだが、今日あたりでおしまいであろう。今日午前中は晴れたが、気象庁によれば、午後から夕頃には雨が訪れるそうである。開花を迎えて雨が少なく、開花中も全然と言って良いくらい雨が降らず、砂塵を巻き上げての花見は、とても頂けるものではなかったようである。恐らく今日こそが、お花見出来る最後の好機であろう。写真は市中でよく見かける長見雛罌粟である。
ひどい砂ぼこりや黄砂が巻き上げて、この4ー5日は公園などの桜花見物客は、折角の団欒の集いが砂風に見舞われて大変であった。これが今朝からの雨天で解消されて草や木々は屹度大喜びであろう。唯桜の花びらも同時に散り始めて、どうやら今期の桜も、終わりになるようである。もう一週間も長びいて咲いたので長、人も桜木も花弁も未練は無かろうと思われる。悪天候のいたずらで、今年は本当に開花期間が長かったのである。私も世田谷公園は無論、蛇崩川の緑道故郷のお不動様の境内の桜など、十分に堪能出来て100枚近くカメラに収めた次第である。これから落ちついて普段の生活に戻れることであろう。
田舎へ墓参に行って帰宅してから具に考えた。静かで通る人影も見当たらず侘びしい街並みである。金具屋、洗濯屋、野菜屋さんぐらいが店を開いており、あとはシャッターストリートである。小売業が衰退し、単品で物売りは出来ない経済の経営形態となてしまったのである。人間が減少し物品はスーパーで全てが賄える時代となった。なんか淋しい時代となって仕舞い、往時の賑やかさは完全に過去のものとなって仕舞ったのである。政府は、故郷復興を叫んでいるが容易ならざるものと思われる。天候の異変も原因だが、折角の桜花もまちまちで、見る人も居ない始末であった。寂しい佇まいである。町家の主が殆ど勤務人になって仕舞ったわけでもなかろう。町に仕事が無いのが、益々人口減少を加速させているようである。如何にか街の元気を取り戻せないものかと考えて仕舞う。
田舎へ墓参に行って帰宅してから具に考えた。静かで通る人影も見当たらず侘びしい街並みである。金具屋、洗濯屋、野菜屋さんぐらいが店を開いており、あとはシャッターストリートである。小売業が衰退し、単品で物売りは出来ない経済の経営形態となてしまったのである。人間が減少し物品はスーパーで全てが賄える時代となった。なんか淋しい時代となって仕舞い、往時の賑やかさは完全に過去のものとなって仕舞ったのである。政府は、故郷復興を叫んでいるが容易ならざるものと思われる。天候の異変も原因だが、折角の桜花もまちまちで、見る人も居ない始末であった。寂しい佇まいである。町家の主が殆ど勤務人になって仕舞ったわけでもなかろう。町に仕事が無いのが、益々人口減少を加速させているようである。如何にか街の元気を取り戻せないものかと考えて仕舞う。
朝から晴れて風も無く温暖な天気でである。昨日の撮影の失敗を、今日こそは取り戻そうと意気込んでいる今朝なのだ!昨日は2回も公園を訪れて写真撮影をしたが砂埃で画面が鮮明でなかった。今日こそは最後の桜を見物できる最良結構の花日和となったのである。此れからカメラを携えて撮影に出掛けるとしよう。今日は人でも多い事故成るべく早目に撮影して、後は散歩をしょうと日課を組み立てている。
桜の開花宣言が出揃って、その地区毎に一斉に時期を揃えて桜が開花するものと思いきや?如何も今年はまちまちで、桜の木々によって満開の時期さえも、大分異なってっている。これはこの10日間ばかり、更にはその先の一か月間の、天候異変によるものであると思われる。雨、風、寒さ、気温の変動も確かに異常であった。自然が自然の天気変動を喚起した結果なのである。木々がお互い手を取り合って櫻花を開いて呉れれば、見る人々も一緒に喜び会い自然を謳歌できるのである。気温、風雨など、それだけ今年は異常であった証拠なのである。ただ開花の期間もまちまちだけに、見方によっては長くちぐはぐな花見が出来そうでもあろう。昨日は故郷の寺院や神社に季節の礼拝に出掛けてきたが、残念ながら桜花はまちまちの開花であった。今日は昨日よりも気温が高く、残りの木も桜花爛漫となるであろう。
昨年の3月26日には、満開の桜が迎えて呉れての神社参拝と墓参であった。が、今日の故郷の神社と仏閣は桜木毎にばらばらで満開もあれば5分咲きもあって、一斉の満開ではなかった。墓参と参拝が主であったので、桜花はまちまちでも良かったと言う訳である。天気が今日は晴れて、珍しく温暖で市から借りた自転車での墓参や参拝は、心行くまで十二分に祈念市から借りたできた。父母をはじめ長兄夫婦にも感謝の祈りを捧げてきた次第である。お線香を焚き十分参拝出来て、気持ちが清穏となり、お先祖様と故郷のお不動様と稲荷神社にも、心行くまでの祈りを捧げる事が出来た。何んと幸せな事であったろうと帰宅して回想している次第である。8時半出発帰宅は午後4時であった。
新元号が発表され様々な喜びが市井にあふれている。結構なことである。5月一日発足だが既に政治、経済界、社会一般にと、生気と歓びが充満し、出典の太宰府の大伴旅人の生家の坂本八幡神社周辺では、参拝者がどっと押し寄せ、盛況を呈していると言う。日本中が国本の万葉集からの出典であり、親しみは言語に絶するほどであり、生気渙発の盛儀で結構なことである。
本当の春がやってきた。今までは変化が多く季節感は固より、春の兆しすら虚ろであった。だが今週こそは引き続いての春爛漫である。嬉しい、有難い、春の実感が身辺に迫ってきている。今朝は文字通りの春の朝日が家々の屋根を照らして、明るく和らいだ日差しが降り注いでいて、玲瓏の気分である。年号が昨日発表されて、「令和」という文字に日本中が釘付けになっている。気分も新たにいよいよ再出発である。亡き家内の供養に対して、まだ返戻がしてないことに気づき、遅まきながら今日午前は、デパートで返礼品の送達をして来ようと、既に書類の準備は万端である。スマートホンで調べて、桜花爛漫の故郷の由緒深いお不動様や菩提寺など、明日でも参拝して来ようと思ってもいる。