「 妻木城士屋敷跡の石垣 」
岐阜県土岐市の妻木(つまき)城址へ出かけてきました。
情報源は、私の城跡散策好きを知っている友達。
妻木町の事も知りませんでしたので事前勉強が必要になりました。
近隣の遠山氏・小里氏が没落して行くなか、東軍に加わり岩村城との因縁も絡み、戦国の世を上手にやり繰りして生き長らえた妻木城。
でも、1658年、城主の急死で跡継ぎが無く、妻木氏は断絶し廃城となりました。
また、領主は明智氏から妻木氏に渡り美濃焼き(織部・志野)の基礎を作った人物でもあります。
☆妻木城士屋敷(つまきじょうさむらいやしき)跡
戦国時代以降は城主も山城からおりて、この地を城主居館とする。
↑ さむらいやしきの看板
↑二段目の石垣
樹木の根っこが石垣に絡んでいます。自然界の凄い生命力!
右側の道路を上って行くと登城口があります。
↑ 登山口
ここから、標高差200mほどの山道を毎日登って下りる家臣たち、、
そりゃあ、それだけ毎日鍛えていれば戦でも大活躍するほどの体力付くわよねぇ。。。
雨が降っても雪が降っても、それこそ矢が降って来ても駆け抜けていく体力。
欲しい体力だけど、、、この訓練は無理というもの。
↑ 一段目の平地&奥は388号線沿いの駐車場
↑ 二段目と一段目の平地
↑ 三段目の平地
一段目の平地には、山野草の他にワラビの発生も見ました。
二段目の平地には山野草のお花畑。すみれ・たつなみ草・ふき等。
↑ スミレ
スミレは難しい、沢山咲いていましたが調べても名前わかりませんでした。
↑ タツナミソウか?オカタツナミソウか? 難しいところです。
↑ 御屋敷跡
☆出会った蝶と花
蝶はミスジ蝶と判断。
帰宅して調べるとコミスジ蝶と判明。
↑ ツクバネウツギの蕾
↑ ツクバネウツギ
↑ ツクバネウツギ
※追記:2023/06/11
2023年6月8日のハイキングの折、ツクバネウツギの花後の姿を見ました。
ツクバネウツギの花を検索していて、この写真の花の名前が判明しました。
☆ 妻木城址 山城(標高409m)
構 築:室町時代
廃 城:1658年
城 主:(室町時代・美濃土岐明智氏) (戦国時代以降・妻木氏)
特 徴:城下町との標高差200m
昔の登城口は妻木城の北側斜面の士屋敷の一番奥にあります。
でも、そこからはキツイ山登り(標高差約200m)。
と、言うわけで名岐国際ゴルフ場の直ぐ隣りに位置する登山口から登城開始。
↑ 登山口
親切に竹の棒が置いてあります。
竹の棒を利用している一組の登城者達に会いました。
見晴らしの良い三の曲輪までに在る遺跡類は、くさび跡の残る巨石・太鼓櫓・井戸跡・御釜屋・大櫓跡等で
↑ くさび跡の残る巨石
あまりにも大きくて割り切れず放置したものらしいです。
↑ 巨岩と小さな岩
丸い岩と細い樹木が巨岩を支えています。
小さな岩は風化が激しく今にも割れて粉々になりそうです。
そうなると、巨岩は斜面を転げ落ちてしまうのでしょうか。
↑ とりあえずの記念撮影
↑ 太鼓櫓(たいこやぐら)
見晴らしの良い場所に作られるそうです。
太鼓を鳴らして時を告げたり戦の始まりを報せたりします。
↑ 御釜屋
うむぅ、、、台所のことでしょうか???
この場所の上に井戸跡が在りましたから、たぶん台所ではないでしょうか?
↑ 三の曲輪(くるわ)
本丸の一の曲輪より眺望が効いて広々しています。
テーブルと椅子が設えてありますのでランチタイムに持って来いの場所です。
でも、とりあえずは本丸跡地を確かめねば。
↑ 三の曲輪からの眺望
手前は妻木町、遠くの山は御岳山、笠置山(かさぎやま)、恵那山(えなさん)。
春霞の季節柄でしょう、薄雪の残る御岳山は霞んで見えました。
しばし、素晴らしい眺めに酔いしれた後、二の曲輪を目指します。
↑ 二の曲輪跡
二本の石造りの門柱を通り過ぎると八幡神社の鳥居が立っています。
遠くの石垣は一の曲輪・本丸の石垣。
↑ 鳥居
↑ 一の曲輪の石垣
右手の階段は神社お参り用と思われます。
↑ 角度を変えて一の曲輪の石垣
↑ 一の曲輪へのアプローチ
↑ 一の曲輪(本丸)
各曲輪を見てみると、こんな山の中にこれほどの石垣で囲った平地を造る技術が凄いのです。
建物は無くても、技術力の高さと人々手仕事が見えてくる。
☆ 下 山
今回、時計回りで歩きました。
三の曲輪まで戻り、断崖の細い坂道を下ります。
その坂道は、枯れ葉が積もっていて滑りやすい、慎重に足を運ばないと危ない箇所です。
断崖の坂道をやり過ごし、土塁・南曲輪・帯曲輪・自然の巨石群を見ながらの下山となりました。
↑ 断崖の坂道
これも、敵の侵入を防ぐのに役立つ自然だと思います。
↑ 土塁
土を盛り積んで敵の侵入を防ぎます。
↑ 花崗岩の巨岩群
人が加工したような亀裂が見えますが「節理」と言う自然現象です。
マグマが地下で冷えて花崗岩になる時、収縮して等間隔に亀裂が入ります。
地表に現れたとき風化侵食によって、四角形のかたまりに分かれます。
その有様は、あたかも人が積んだように見えます。
花崗岩は、その形に加工して研磨して、お墓の石塔・住宅の浴室・キッチンカウンターの天板・パンを捏ねる板等に使われます。
※現地の案内看板
☆ 花鳥・蝶編
↑
? 姫萩(ヒメハギ) ヒメハギ科 ヒメハギ属
閉鎖花(自家受粉)を咲かせて結実する特殊な花。
※ 追記:2021年5月5日(水)
やっと、花の名前が『姫萩』と分かりました。
↑ 姫萩(ヒメハギ)
↑ ナルコユリ
↑キイチゴ? 花びらは、まさに開花始めの柔らかさ・・・
↑ ぜんまい
惜しいかな一株のみ。天日干しで乾燥させると美味しさが倍増するような気がします。
その作業を考えると、量不足でありますので採集しませんでした。
↑ 西洋たんぽぽとキタキチョウ
↑ ヤマガラ?と思われましたが、横顔だけでは特定できません。
見上げれば青もみじが映える青空、暑い日になりました。
☆ 妻木氏ゆかりの現代人
妻木氏の子孫の
妻木信黄(よりなか)氏は、半田市の
半田赤煉瓦建物を設計した人物であります。
妻木城、現代にまで優れた逸材を輩出していることを知りました。
後日、訪れたいと思っています。
↑ あの山の頂上に妻木城が建っていました。
山の名前は分かりません、もしかしたら名も無き山なのでしょうか。
以上、妻木城址廻りレポート終わります、最後まで読んでいただき有り難うございました。
更新日時 5月1日(月)