きままに・・ 風便り

気の向くまま、足の向くままに日々を綴ります。

青空と夕日と

2020年07月30日 21時14分17秒 | 自 然
「 こもれび 」

午後からは、雲の合間に青空が見えてきて、急に外が明るくなりました。
思わず嬉しくなって庭へ、、
わ!! アツゥ~~! 直射日光・・・まぶしぃ~~~
ドラキュラ気分?

一通り、庭の花・木を見回りました。
アブラゼミとクマゼミは、姿はあれど音無しの構え、近づいても微動だにせず、、、お昼寝中。
あれ?このこはセミ? 形はセミなのですが、、、
今まで見たことのない姿です。
クマとアブラは、自己アピール性が強いですよね。
でも、このこは保護色 なんとも地味な模様、、、
検索して、ニイニイゼミと判明。


↑ 初撮りのニイニイゼミ

☆ 落 日

↑ 18時33分


↑ 18時35分

そして、久しぶりに夕日が沈むのを見ました。
そろそろ梅雨明けか? 期待してます。

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あさがお

2020年07月29日 21時36分15秒 | 庭にて (猫の額)
「 つぼみ 」

早朝、あさがおの可愛い蕾を見つけました。
姿からして今日に咲く花だと思えました。
でも、午前中には開花しませんでした。
夕方見てみると、しぼんでいたのです。



たぶん、長梅雨が祟り日照不足で開花できずにいたのだと思います。
こんな現象は今年だけで終れば良いのですが、、、

☆ 追加画像 7月30日(木)午前6時
今朝の開花の様子です


友達の庭に咲いていた朝顔の種を五月頃に蒔きました。
早朝は薄紫、お日様の光が届く頃になるとピンク色に変化します。

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ヒグラシ

2020年07月28日 22時50分28秒 | 自 然
「 日暮れどき 」


早目の夕食が終って庭に出て、一息、ふっ~ あれ? ためいき?
ためいき一つで幸せが逃げていく、って、昔々誰かに教えてもらったんです。
思わず深呼吸をして息を整えました。

どこからともなくカナカナカナ~ ヒグラシの鳴き声がかすかに聞こえてきます。
まだ梅雨明けもしていないのに、、、もう、鳴くの?
でも、もしかして幻聴かも?
ブログ記事に書くなら、ちゃなんと確かめくちゃ~



ヒグラシの鳴き声を追いかけて歩き出しました。
近くの某・国道方面から聞こえてきます。
だんだん大きく聞こえてきました、間違いありません。
ヒグラシが鳴いているのは、国道の向こう側の泰山木の街路樹です。
歩道橋を渡ろうと階段を上り始めたら、鳴き声はピタツ!と、止まりました。

目的は達せられましたので、きびすを返して自宅方向へ、、、
空を見上げれば久しぶりのお月さま。
でも、流れる雲間に一瞬お顔を覗かせただけです。
上弦の月より少し栄養状態の良いお月さまでした。
梅雨明けは、また伸びたのでしょうか、、、

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足助城

2020年07月28日 05時40分47秒 | 城跡巡り
「 真弓山 山頂 」

足助城は、足助の町から見える真弓山(標高301m)の山頂に復元された山城(平成5年)。
真弓城とも呼ばれていたそうです。


↑ 足助(あすけ)の町並み
中央の山が真弓山です。


↑ 足助城から見る足助の町並み

7月12日(日)午後
☆ 足助城


受付で入場料を支払い、城内に足を踏み入れ、右に折れます。
突然、戦国時代の風景が目の前に現われ息を吞んでしまいました。
たちまちタイムスリップしたような感覚になりテンションもあがります。


↑ 西の丸 復元された物見台


↑ 西の丸
丸太で作られている柵は敵の侵入を防ぐ柵列です。


↑ 西の丸曲輪

☆ 本 丸





☆ 二階の窓から

↑ 飯田方面 新森の町並み


↑ 足助の八幡宮方面の町並み



岡崎城に続き二枚目、ご褒美の御城印^^

参考資料 足助城の歴史と復元

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岡崎城跡と八丁味噌田楽

2020年07月27日 07時50分39秒 | 城跡巡り
「 城跡の石垣とお城 」


☆ 岡崎城の概要
別  名:竜城・竜ケ城
種  別:平山城
築 城 主 :西郷頼嗣  三河国守護 仁木氏の守護代
主な城主:松平清康(家康の祖父)・松平広忠(家康の父)・松平信康(のちの家康)
     家康が岡崎を離れた後は、田中氏・本田氏・水野氏
築 城 年 :康正元年(1455)
廃 城 :明治6~7年
復 元 :昭和34年3月30日(1959)
構 造 :鉄筋コンクリート3層5階

☆ 岡崎城公園
過去に8年間ほど地元民でありました。
四季折々の花を愛で、季節のイベント等一年を通して、楽しみにでかける公園でした。
数え切れないほど訪れている公園でありながら、城跡と言う観念はなかったのです。
なので、今までの被写体は、藤の花・桜・紅葉等の植物と夏の打ち上げ花火などでした。

今回、初めて城跡巡りを目的に岡崎城公園内を散策しました。
気になるのは石垣、沢山(23ケ所)の石垣が現存しているというのです。
つくづく見てみると目を見張るものばかりです。
全ての石垣の石材には、岡崎市特産の花崗岩が使われています。


↑ 本丸脇多門櫓台石垣
自然石をそのまま積む技法。
大きさが不ぞろいなので隙間ができ、間詰め石が沢山必要になります。





↑ 清海堀


↑ お堀のジャコウアゲハ
お堀の草の葉にとまる大きな蝶。
次の瞬間には、ふわぁ~~~り! 目の前から頭上を飛び越えて去って行きました。
初めて見る蝶です、優雅に舞う姿が目に焼きつきました。
でも、悲しいかな、、スマホ画像です。

 ←トリミング画像

☆ 産湯の井戸
案内パンフに家康公産湯の井戸と書かれています。



↑ 現代の井戸
ポンプを使って家康公産湯の井戸から水を汲み出しています。


幾年の時代を過ぎて、再び出でる井戸水、、、思わず、そっと手を差し出しました。
零れ落ちる水の感触を知りたかったのです。

☆ 石垣と食事処

↑ 持仏堂曲輪腰巻石垣
直方体の角石の控えの長短を交互に組み合わせる「算木積み」です。
より強固な石垣になります。


↑ 算木積みと割石積みの石垣


↑ 割石積み石垣
黒塗りの建物は創業120年を越える「八千代」という和食のお店です。
割石積みの石垣の上に建つ現代の食事処。
今までに数えきれないほどランチに来ています。
でも、こんなにも歴史のある石垣の上に建っているなんて知らずにいました。



注文したのは、いつもの「なめし田楽定食」。
席は奥の和室の窓際の座卓、座ると本丸の石垣が垣間見えました。

☆ 参考資料
1542年 天文11年12月26日岡崎城内にて誕生 幼名「竹千代」
1549年(6歳) 織田信秀の人質になる
1557年(8歳)今川義元の人質になる
1555年(14歳)元服し「松平元信」を名乗る
1558年(17歳)初陣で三河寺部城を攻略 「元康」と改名
1560年(19歳)桶狭間の合戦にて今川義元が没したため人質生活から解放され岡崎城に帰還
1563年(22歳)「家康」と改名
1566年(25歳)徳川への復姓を勅許され「徳川家康」を名乗る


↑ 御城印 
第18代城主の書の写しによるものです

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