終戦前日の1945年8月14日午後2時53分、58分、3時1分、我が市に3発の模擬原爆が投下されました。
原爆の投下精度を高めることが目的だったそうです。
1発め、工場の屋根が大きく破損、2発め最深部が7.5m、直径20メートルのクレーターができた。
3発めは矢作川の河川敷で遊んでいた子供が犠牲になったそうです。
空襲の情報があったとは言え、全市民に徹底はされてなかった。
2発目は我が家近く、当時ここに住んではいませんでしたが。。。
考えただけでも、長崎・広島の投下後の風景が思い出され震えます。
8月9日の長崎原爆投下後に、そんな実験をしていたとは・・・
もっと原爆を落そうとしていたのですか?
同様の模擬原爆は全国各地に49発が投下されたそうです。
↑ 模擬爆弾投下跡のため池
戦後、まもなく生まれた子供達は「爆弾山」と呼んでいたそうです。
二度と起きてはいけない戦争、その記憶を風化させない為にも語り繋いで行くべきだと思います。
有志の市民団体が被害の調査や各地との情報交換、展示会を開催しています。