マチンガのノート

読書、映画の感想など  

うちの母親について2

2023-07-16 23:20:37 | 日記

うちの母親は、夫が何をしだすか解らないことや、そのきょうだいが勝手に家に上がってくること、

酔って喚いたりする舅と同居していた時期があったためか、何かにつけてきゃあきゃあ騒いだりしていた。

もとの自分の親族たちとは全く違う人達と暮らしていたので、何を言っても通じなかったことの

影響も大きかったのだろう。うちの父親の家を最初に訪れたとき、結構良い建物なのに、

家の中には本しかなく、ガランとしていたと言っていた。

本人も読書をしないので、世の中の事についても戦前の事しか知らなかったのかもしれない。

周囲が当てにならなく、お金しか当てになるものがないからか、嘘をついて10円単位でケチることもあった。

常にケチろうとしていたためか、こちらが受験するときに入学試験の費用が気になったのか、

急に切れだして出さなかったこともあった。

それまでに予備校の学費などを出して受験に備えていた状況なのに、受験費用を出す際に切れだしたのは、

周囲に対する認識が機能していなかったのだろう。

社会階級による価値観の違いや、生活の余裕というものについて考えさせるところである。


うちの母親について

2023-07-11 22:38:29 | 日記

精神科医で以前に京大の臨床心理の教員だった山中康裕氏は、自閉症の子供によくある事として、

母親自身に母性的な養育者が居なかったことを挙げていた。

 

うちの母親も、戦前の植民地の韓国で産まれ、すぐに産んだ母親が亡くなり、おばさんに

育てられたと生前に言っていた。

父親は商社の支店長だったとのことで、大きな家に住み、姉には教員が教えに来ていたとのこと。

その父親は戦前の大卒で、180センチくらいの長身だったと言っていた。

周りからは「家の外に出ると拐われるで」と言われていたので、外の人間に対する不信感などは

強かったのだろう。

4人居た他の兄や姉については、一人は証券関係に行ったくらいしか話さなかった。

親族の住宅やぶどう園に連れて行かれたことがあるが、どういう関係かは聞かされなかった。

教員が家に来て教えていた姉については、家で色々なことを習ったが、学歴がないので、こちらから断るような

相手からも断られていたと言っていた。

敗戦でカバンひとつで帰国し、幼稚園の跡地に住んで、庭は畑にしていたそうだが、

それでも就職した先の知り合いが家に来て食事をしたとき、こんなにいいものを食べたのは

初めてだと言っていたそうだから、それなりに裕福だったのだろう。

本人は大学に行きたかったが、時代的に行けなかったと言っていて、こちらも母親が描いた油絵を見たことがあるが、

本格的に上手かった印象がある。絵画教室の先生にも驚かれたそうだ。

 

たましいの窓 - (株)岩崎学術出版社 精神医学・精神分析・臨床心理学の専門書出版

 

 


うちの父親について

2023-07-06 23:33:03 | 日記

うちの父親は、きょうだい以外からは相手にされず、会社にも居させてもらっているだけ

だったようだが、本人はその事もはっきりとは認識できていないようだった。

子供の頃から祖父に一方的にあれこれさせられているのみだったので、自己意識が発達しなかったからだろう。

進学校ではない高校に行ったり普通の大学に行っていたら、学生同士で話し合い、自分たちで何かを決めるなどで、

自己意識を発達させる機会がある程度あったのだろうが、高校は進学校でほとんどの生徒が大学に行くことを

目指していて、防大では24時間管理で教官に指示されて行動していたこともあり、

自己意識や主体というものを生成する機会がなかったのだろう。

そのため防大卒業時にも任官拒否など思いつかずに幹部候補生学校に進んだが、

そこではそれまでのように言いなりになっているだけではやっていけなく、

さらに他の一般大学から来た学生が退学しているのを見て、自分も退学したのだろう。

記憶力がいいので、様々な言葉や言い回しを覚えて使っていただけで、それを使う自己や主体というものを

持っていなかったようである。

こちらに対して「アルバイトしろー、友達を作れー」と大声で言ってきた時に、

こちらが「自分も友達居ないやん」と反論しても、「いっぱいいるよー!」と事実と違う内容を

大声で反論してきたが、そのあたりは臨床心理の渡辺あさよ氏が書いている、

「軽度発達障害におけるイメージと言葉の乖離」というものだろう。

 

日本ユング心理学会 | ユング心理学研究

 

 

 

 


両親と京都の大文字焼きに行ったはなし。

2023-07-05 22:21:06 | 日記

高校一年の夏に親に連れられて、京都の大文字焼きに行った。

何故か両親はコース料理の店に入り、コース料理を注文した。

料理は順番に少しずつ出てくるので、こちらは点火の前に料理を食べ終わるのだろうかと、

気になっていたが、両親とも何も言わなかった。

父親は何をしだすか解らなく、母親はそのような父親といるので、物事を考えられなくなり、

言いなりになっていたのだろう。

父親はもともと英文学とかに興味があったとのことで、外大を受けて合格していたのに、

防大にも合格したので、祖父に防大に行かされたとのこと。

時代的に外大に行っていたら、様々な職種に行くことができただろうに、なぜか祖父が防大に行かせたとのことだ。

祖父は製紙工場の現場の人だったらしいので、自分も誰かの言いなりになり行動する以外のことが

なかったかもしれない。そして長男であるこちらの父親に小さい頃からあれこれ指示して言いなりにして、

行く大学も本人の希望とは違うところに行かせたようだ。

父親は幹部候補生学校を退学して、京大の院外研究生になったとのことだが、そういうところなら、

似たようなタイプがいて、居やすかったのかもしれない。