遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

街の姿

2010-10-01 22:04:42 | 日本の本

51d2a7vgqsl__sl500_aa300_この本は軽かったけれど

いろいろなことが

別解で見られて

ルソーもコクトーも

ずいぶん嫌われ者だったとか

だいたい

世界史の強化しに出てくる人々は

巨人で偉人だという思い込みがあったが

ずいぶん変なところもいっぱいあったのだなと

面白い

モンマルトルというところも

実際行って見るまでは

芸術家がたむろしてかっこいいところかもと思っていたし

洗濯船という ピカソやドンゲンがいたアトリエがあると聞いただけでわくわく

20080913 でも

なんだか

場末っぽくて

歌舞伎町の裏みたいな

雰囲気もあるところだった

 

パリはシテ島から始まって

シテ島のシテが町のCITYか

 

モンマルトルのあたりは元は田園で

新興開拓地

安いアトリエもあって

地方から来た貧乏な絵描きも

住めたところなのだった

田舎めいたところもあって

外国や

田舎から出てきた人たちの居心地の良さも

あるというううようなところらしい

物事はいろいろな目線で見てみないと分からない

 

私が6歳から21歳までと25歳から30歳まで住んだ

世田谷  

そういうと  ひところバブルの時代の世田谷 やたら地価が高かったことを思って

「すごいところに住んでいたのですねえ」という人がたまにいる

 

世田谷も 田舎です

東京の農村地帯だったので

方言も田舎風

近隣に住む人の中には古くからの住民がいて

茨城の人と似ている

そこまで口を突っ込むか  というほど おせっかいな人がいた

私が住んでいたところはそういう  元畑や 田圃を切り売りしたりしてできた

新興住宅地で とりわけ貧しげなよそ者が小さい家に住んでいた

 

一方 ちょっと奥まったところには

高級住宅街もあって

そういうところには 昔からの古い豪族みたいな人の家もあった

 

私たちが住んだのは 父の会社の上役の家が近くて

そこに住まわせられたんだと思う

その上役の人は

関西人で 世田谷の町ではよそ者だ

 

東京というところは

おおむねそういうもと農村だったところに

どんどん住宅が建てられ移り住んだ人で成り立っている町だ

 

もともとの農家 今思えば広大な土地があったので

たいそうなおかね持ちなのかもしれない

 

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明日明後日 学習センターのフェスティバル

2010-10-01 20:14:07 | ただの記事

宣伝しても

ブログが公開ではないので

効果がないな

 

明日明後日学習センターはお祭りです

明日はホールで12時半ごろ私たちの「但馬の国のヒダリマキガヤ」

群読があります

一回 レッスン室お向かいの第四講座室で彩友会展

お絵描きコーナーもあります

お近くの方は 遊びに来てください

トラブルシューターさんのおもちゃ病院も開業です

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お稽古事

2010-10-01 06:11:21 | ただの記事

私は貧しい育ちだから

お稽古事はしてこなかった

と思っていたが

思い出した

親はお稽古事をさせようかいなと思って

いろいろ連れて行ったのに

私がだめだったんだった

貧乏貧乏と言って

おとうさんおかあさん  ごめんなさい

 

その1

ピアノ

これはお友達に誘われていった

ピアノもないのに  練習できないのに馬鹿みたいと思ううち

お稽古日を忘れすっぽかし

それが恐怖で 行けなくなった

その2

お絵描き

近所に挿絵画家がいて(伊江春代先生)習いに行った

あるとき 学芸会で瘤とり爺さんをやった時のを

われながら上手に描いたと思って持っていき

写真を参考に描いたと言ったら

写真を見て描くなんて  すごく悪いことをしたように叱られた

その時の先生の顔は 忌み嫌うという顔つきで

私は自分が全否定されたと思い 二度と行かなかった

 

懲りずに

お絵描き

近くに御茶ノ水女子大生が絵を教えるというので

通った(お茶の水には美術家科はないがなぜだ?)

あるとき シャクヤクを透明な花瓶に入れてあるのを描いた

ガラスに透き通って見えるもの 水

そういうものを描くのは 心惹かれ 結構そこが気に入ってた

ところが先生はシャクヤクの茎に散らばるえんじ色を

加えるとぐんとよくなりますよ

とおっしゃって

あろうことか

私の絵に手を加えた!

許せない!

それっきりいかなくなった

 

その3

お勉強

塾というものができ始め

お勉強に熱心な子供は通うようになったのか?

一駅電車に乗っていくところによい塾ができたと

母は私を連れて行った

私は電車の定期を買ってもらって 通える!

電車に乗りたい!

と思った

しかし 私を観察した塾長

「この御嬢さんは 塾には向いていません

ご自分でお勉強させたほうがいいです」

入塾を断られた!

不吉な顔をしてたんだろうか?

 

懲りずにお勉強

近所に学校の先生が住んでいて

その妹さん

某国立大学の付属高校でまれにみる秀才とうたわれたが

何と大学受験に失敗

浪人中

そのお姉さんに私たちご近所の仲良し三人組が

お勉強を習いに通った

でも そこでも私は差別を受けた

他の二人はこまごま何か教わってるのに

私は 自分で好きなように勉強してていいと

一人勉強をする場所だった

私の顔に 構われたくない症候群の表情があっただけで

差別されたわけじゃないとは思ったけれど

ちょっと 教えてくれてもいいじゃない

と思うときもあった

仲良しの二人は私立のお嬢様中学校に行ったが

私は  その学校受験料さえなく

受験はやめにした

その後

中学生の時 あまりに英語ができないので

近所の英語塾に少し通った

これは  助かった

 

その後

高校二年生の春休み三学期から

画塾に通った

最初に通った画塾は

のちに大手の美大進学希望者のための画塾になり

わが子はそこに通った

私は先輩である

 

大人になって

お絵描きと朗読 お習いしている

絵は

課題は頂くが 子供の時と一緒

大橋さんはほっとこうと言われるが

Yさんもほっとかれてるから 差別とは思わないで楽しんでる

私のお稽古事歴 以上

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