異端だという評価が下ると
なんやらつまはじきに会うみたいな
そういう話をよく聞く
遠藤周作の「沈黙」がノーベル賞候補になったとき
異端だと嫌われ排除された と言うのもそうだ
そういう話を聞くと
キリスト教って 自由に考えられない
絶対服従を要求する変な宗教だなあと思ってしまう
だいたい
一神教ってそういう狭苦しい宿命ではないか?
キリストって信仰の自由? 自由な信仰について語っていたの?
でも今や(大審問官の時代では15世紀)自由なんてとんでもなく
権力をもって民衆から自由を奪って パンを与え支配する
それを愚かな民衆は望んでいるのだといい
自由は 異端なんだわ
ヨーロッパの人々にはそういうことが身に備わって自然な感覚の人が
多いのかもしれない
バルバラも 異端だと目されたっけ?
自殺は罪でもあるのだっけ?
ともかく日本人 神存在を感じにくい私には わかりにくい