東西キリスト教の歴史を読んでみたら
私には 全くくだらないことの応酬にしか見えない
宗教論争ではなく
結局背後にある権力闘争ではないか
と考えると ホント 大審問官の言うとおりだと思う
最初 一読したときは 大審問官は 悪魔の論理だと思ったんだがな
私の頭の中も悪魔かもしれない
最終的にずっと無言のキリストは 大審問官に接吻
という結末
で
この話をしていたイワンに
アリョーシャも接吻するんだが
剽窃かよ という展開
ドストエフスキーの中で
神の祝福が 人間の苦悩を救済する
という展開なんだろうなあ
と
ここでも私は思って
「罪と罰」のおわり ラスコーリニコフが
大地にひれ伏して接吻する場面を思い出す
詩劇 大審問官を作ったイワンは西欧的な学問を身に付けた
インテリ
そういう設定だそうだが(そういう風に解説があるだけで
私は小説の中でそれをどう読み取るのかわかんない)
東西のキリスト教のこと
東西の文化のこと
そういうテーマは大きいような気がする
オルハン・パムクの小説も
西欧化するトルコ という問題が大きかったけれど
西欧的なものの考え方が優位なことと
キリスト教の東西の分裂の歴史は重なって見える
だいたい 文明大国って 傲岸だ
話は飛ぶようだが
尖閣諸島をめぐる中国のやり方
商標登録をめぐる中国のやり方
全く 中華思想の 不遜というか傲岸ぶりじゃないかと
ちょっと ムカついているんだが
文明大国って 当然自分に正義があると 勝手に威張っている感じがする
逆に おごり高ぶってきた日本 というのもあるんだろうな
これからは
先進部分 というのは 深く謙虚に
自然と歴史に ひれ伏さないといけない