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遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

社会的?

2013-09-01 20:34:16 | 原風景

こちらのブログ記事にコメントができなかったのだと思うのですが

コメント欄閉じてたのでした

こちらは読みに来る人はほとんどなく

検索で来る方たちばかりで

妙なコメントが山盛りあるの気付かなかったことがあって

コメント欄を閉じてたのでした

開け増したのでご意見が亜るときはどうぞくださいまし。

さて 幼い私が 自分を座標軸の中心に据えて暮らしていたことに

気づかせてくれるクラスの取り組みがあった

たぶん先生は思春期に入った子供たちに批判精神を

批判的にものを考える力をつけたかったのだと思う

それまで クラスでのさばってた私がやり玉に挙がった

この子と前にも書いたけれど

まるで紅衛兵の自己批判を迫るようなああいう感じのような教育実践だった

みんなが対等平等に意見を交わし

対等平等に自分を鍛え という関係を気づきたかった担任の先生だった

わたしはすぐ感激するから

そういう視点の新鮮さ!  受けた!

が きつかった

だって みんなは私を嬉々としてやっつけるんだモン

わたしなんかやっつけるほうが好きだったからな

成績のつけ方もそうなのだ

普通点数のいい子にいい成績をつけるじゃない?

じゃあ点数を撮れないタイプの子はやる気が出なくなるじゃない

その子としてどう課題に取り組んでどう努力したか

それを見て成績をつけるからこれまでとは違うのだよ

という説明があって

わたしなんか ホント すっかり担任の虜になった

勿論通信簿を見て母が仰天しないように 根回しはちゃんとした

頂いた通信簿は変化があって眺め甲斐があるというのは

母もわかったようだよ

Img581

この向かって左端にいるのが担任の比木先生

ご専門は社会科だ

わたしは前から二列目左から三人目の一段下がったところにいる子だ

その紅衛兵の自己批判を迫るみたいな学級会で

前から二列目の右端の男の子が

わたしに食ってかかってきた

それが 仰天だったのだ

右端の子は私の家から一番近くの子で

一年生の時はお手手つないで通った(私小中とクラス替えの経験がない)

うちも貧しいがその子のうちは輪を掛けて貧しく

おうちもバタヤみたい中に入ると迷路みたい

だからそこでよく遊んだけど

その子は小さいし喧嘩は弱いし勉強はできないし

かわいいのが取り柄の子だと 思いあがったわたしは思ってて

この子の保護者だと思ってた

ので 文句つけられて なんだよう ブルータスおまえもか!って心境

どんな批判を受けたか忘れたけど自分勝手だと言われたのよね

自分じゃいいと思ったお節介はいじめだと言われたし

自己中心的な私にはいい薬だったが

薬が効いたことは みなにはなかなかわかってもらえなかった

ここでわたしは初めて

社会的にものを考えることを教わったのでした

批判されてみりゃ もっともなことばかりで

自分からの視点でだけ診てたらダメよ

というのを学ぶ機会のなかった一人っ子で強い子の私には貴重な体験だった

人は付和雷同するというのも目の当たりに見たし

批判的眼差しは 頑固だというのもわかった

人生考え直してやり直してみようと

外の中学に 私自身も行きたかったのだな

 

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とても長い停電でした

2013-09-01 18:45:21 | ただの記事

今日はKINU洋画会でした

椅子に座るのは大丈夫なんだけど

同じ姿勢でいるのが体躯がつらくて

途中で床に寝転んでは あっち向いたりこっち向いたりしてしのいでましたが

顰蹙ものだったかも

終わるころ フィクサチーフを忘れたので

隣にいた酔っぱらうとダメおやじのK氏に

「あのさあ いつもいじめてて悪いんだけどさあ

これからなるべくいじめないようにするからさあ

フィクサチーフ貸してくれない?」

と言ったら

貸してくれた

こう下手に出られちゃ(これしたてなんだ?したでだと思ってた方言か)

断れない いいよ と

ニコニコかしてくれた サンキュね

Yさんは触れたわたしの腕が熱いから熱上がってるよ

といってたがさっき測ったら35度8分 平熱だ!

外はすごい黒雲

会場を出る時は土砂降り

家に着いた途端電気が消えて停電

おばさんに電話するか?

と思ったが 電気が来てなきゃ電話は通じん

訪問したら

どうせ何もできないから寝てる

と 賢いおばさんだ

Img_8964

おばさん愛用の畑も水浸し

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わたしも懐かしい写真を

2013-09-01 09:16:33 | 原風景

Img577

  小学校3.4年生くらいかな?

わが家はほとんど庭もない小さな家でしたが 

裏に庭師の方の植木置き場の緑地があって

そこが秘密の花園

わたしはリッチな気分でそこをお庭にしていました

鉄条網の柵があるんだけど ちゃんと子供が潜れるようなほころびがあって

入って叱られることもなく

遊び場にしてた

今はそこにはテラスハウス風の家が並んでいる

花てぼさんも書いておられたけど

学芸会の子供の衣装なんて大人たちにとっては

格好の 楽しイベントででもあるかのように

寄ってたかって なんか作ってくれるのでした

これもそれっぽい 合唱とか 独唱とか?

もう一枚

Img578

これまた3,4年生の時でしょうと思う

こぶとり爺さんやったの

わたしは青鬼の大将で

ほら見てごらんよ

大将 そんな色っぽい足つきダメでしょう

この衣装も隣のお姉さんが作ってくれた

そこ行くと娘はすごいなあ

乞食の衣装自分で作ってたもんな

戯曲も彼女作だし あたしの娘か?あいつ

今日あの子は青森県三内丸山遺跡で歌ってるよ

http://www.feeltheroots.com/

その娘の写真があった

Img579
すごいおむつ 中身があるのじゃないの

こんもり?

隣で椅子を組み立ててくれてるお兄ちゃんは

キャンプ仲間

後に中学ではナンバーワンのアイドルになって

娘が こういうおむつ時代からの仲で

ともにテントで寝た仲でっていうことに女の子たちにさんざ

嫉妬されたらしい

仲って ほとんどきょうだいよ

Img580


風船って楽しいねえ

わたし

弟君を探しちゃったよ

お姉ちゃんおむつだから1歳代ね

だから彼はまだ生まれてないのよ

3歳違うから

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自分の本質

2013-09-01 08:38:26 | 原風景

これが ゆすらうめさんの原風景のとらえ方

>原風景は自分の本質を知りたいのじゃあないのかと

これが 全てという気がする

一体全体なんだ?という思い

それを縦横に探ってみたい気がする

>社会経済思想

などという難しいことに話を振られたが自分の本質をそういうことに絡めて

考えたことはほとんどなく

初めて意識したのは中学校に入った時だ

それまで 思い返せば はた目には酔っ払いのお父さんを持って

お母さんが苦労して かわいそうな子だったのかもしれない 私

でも毎日意気揚々と 世界は自分を中心に回ってるぐらいの勢いで

当たりはばかることなく暮らしてた

それが 中学校に入って 仰天の連続

!!!!

母が結構お受験 みたいなのに熱中するタイプ

自分が行きたい学校にも行けず同級生が女学校なんかに行くのを

指をくわえて見てたからだろうと思う

地方で考えるほどではないが(何しろ学校はいっぱいあるのだ)

受験なんて別にしなくてもいいのに(区立があるんだから)するのは

アハハ お金持ちの子なのね!?

結局私は仲良したちが受けた私立は受験料も払えないから受けないで

公立を受けたのだが 学費が安くても同じ

今思えば

制服の採寸に来た業者は

あまりの陋屋に住んでいるので仰天したと思う

振り返ってみると

自分の地元でも皆は庭付きの立派なお屋敷に住んでるのが多かったけど

そういうことも意識したことが

小学校時代はなかった

中学に入ってからは あらゆることで 金銭感覚が違うのでびっくり

ちょっとしたことでも

お母さんいお金を出してもらえるかどうか

いつもびくびく

そういう子はほとんどいないから

おおらかに 何やかやお金のかかることをするんだ その学校

(今思えば 大したことはなかったんだろうが)

あるとき 仲良くなった子が 物知り顔に行った

お母さんがね うちは みんなの家のようにブルジョワじゃないのだから

貧乏人なんだから

心してお付き合いしなさいっていうのよ

ホント みんなとは付き合ってらんない

というのだが

彼女の御父様は大手新聞社に勤めお母様は声楽の先生だ

そういう環境が貧乏 というのは 私の住む世界ではないな

と思った

で 結局 いじけて遊ばなかったかというと 遊んだ

思い出した もう一人面白い子が居て

結構な距離を徒歩通学してた

うちさお父さん大学教授で安月給だからさ

バスの定期買ってくれないんだ

今は分かるよ

大学教授って給料はそう高いもんじゃないけど

でも飲んだくれを父に持つ身では!!!

だわよ

おおらかな子で おおらかすぎて 制服の胸元は歯ブラシの飛沫だらけなのだ

もう一人の友達は自分ちは金持ちだ

っていうの

そうだろうなたぶん 広いお屋敷だった

(前の子の家はその子の家の半分くらいでちょびっとのお庭付

でもわが家の二倍はある)

で 末っ子で 小遣いはねだり放題だから心配ないというのだ

親のほかに大きい兄弟もくれる

だから 行こう!

と言っては 自由が丘の商店街の屋上のスケート・リンクで滑り呆けた

その子は絵も習っていて高校は美術科に行った

その後高校で出会った友達は

そういう私の遊び人ぶりは 多分 貧乏と縁がないじゃない

と思ったと思う 思えば中学生が子供同士で映画を見たり

パーラーによってパフェにパクついたりって

しないよな

でも

そういうことをする子に育った

高校生になれば パーラーなんかじゃなく喫茶店にも出入りを

じゃない

たむろして そこで本を読んだり勉強したり そういう生活スタイルを身に着けてしまった

だって 家は いられないんだもの

で 母は 毎日昼食代とお茶代をくれたのだ

そんなのさ 田舎じゃ考えられないよ

不良じゃないかと言われそう

そういう時代を経ても

自分は相当貧困な階層だとはわかったにせよ

生まれてから一度も飢えたことはなく

飽食のママ 育ったんだから 貧しいと言えば罰が当たる

でも 中学時代の友達との環境の違いには仰天だった

高校時代は そうたいして周りとなじまず

どんな人がいたか よくわからない

でも 中学より 地味だった気がする

浅草橋のカバン問屋さんの子とかもいた

お母さんが飲み屋さんという子もいた

庶民的だったかもしれない

地モティーも多かったのだ

地方からも来てたけど

!!

そっか 中学は 新興高級住宅街にあったからだ

田園調布の子もいっぱいいたし 

そういうのは 個々の感想

もう少し大人になってまた考えることがあった

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親子の関係

2013-09-01 04:31:33 | 原風景

ご両親さま都のお写真をいろいろ見せていただいた

立派なご両親だなあと思う

これは傍目

裕福そうな

っていうのも傍目

傍目ってそういう風に映る

素直に尊敬をにじませた文章にぶつかると

いい子だったんだなあ

とそういう傍目の感想を持った

ナツさんだけお母様との葛藤を匂わせていらっしゃるけれど

どうなのでしょうか?

親子の葛藤って ふつうあるものだと思ってた

わが子らはどうなんだろう?

親を受け入れるとか拒絶するとか

一生かかって 結局付き合っていくのが親の存在のような気がする

よく 子を持って知る親の恩

っていうけれど

わたしなんか出来が悪いから親の恩に感謝するより

わたしもきっとかわいくてお母さんを幸せにしたんだろうなあ

と思ったがな

死ぬ時には なんか親を全部受け入れて死んでいけるような気がする

ここの所武蔵が釣りバカ日誌を見てるんだが

スーさんが危うく死にかけて三途の川の渡しで順番待ち

6文銭を持っていないばかりに大騒動になって三途の川に落ちて

生き返っちゃう

あああ生き返っちゃったよ

あっちへ渡れれば楽になれたのにという話

そうだな あっちに行っちゃえば楽になれるんだよ

ともうずっと痛かったりいやだったりするから

心底納得した

そこで

わたしは父の自殺を思い出した

もう自分の病気の苦しみばかりで半狂乱の日々だった

腸を手術したりそれはうまくいかなくて

しかも肺炎になって入院し

そうやって帰ってきてしばらくして死んじゃった

当時わたしは結婚後ちょうど半年後で娘がおなかにいた

妊娠中は強烈ン悲しむと赤ちゃんによくない

と信じてたので

わたしは

あれだけ私に執着してかわいがってるふりをしてすごくインチキなおやじだと思って

腹を立て

自殺というのは自己表現だと受け取って決まって

その手に乗るか!

わたしはそんなことに影響は受けない!

蓋をしてきた

これまでずっとだ

自分勝手でホント腹立つ!と

それいらいいろいろな自殺事件に接する度に

わたしは死んだ人のことは思いやらず残った人のことばかり考えてた

いじめに遭って自殺した子供

あとに残す親のことを考えなかったのか

とか

いじめた人間はもう二度と償えない罪を着せることになるんだよ

という風に思ってきたので

自殺は よくないと今も思っている

だから 私は 絶体自殺はしないけど

でも そういう人は本当に苦しかったんだし

あちらに行ったらその苦しみは感じなくなるんだから

楽になったのだな

と 思っていいのだと思うようになった

わたしの父も 実際は死ぬ間際に私のことなんか

思い出しもしなかったろうよ

そのくらい自分の苦しみでいっぱいだったのね と思った

まあ お父さんの死後38年経って

やっと それを受け入れられる気がする

お線香でも上げるか

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熱と痛みと

2013-09-01 04:00:04 | 健康・病気

昨日は熱はあっても痛くて

しかも眠れない

自分で自分の体調の悪さが理解できないのでいろいろ調べた

やっと納得いく見解

でも医者は絶対認めないだろう

1月以来の痛みはリウマチは関係ない

肩関節の変形

お尻の痛みは坐骨神経痛

そう言いきかされてきた

坐骨神経痛ってこんなに痛いのか?とびっくりだったが

発熱以来坐骨神経痛は 前ほど激烈じゃない

何で?一昨日は熱で朦朧とした感じで

寝てばかりいてまったく痛みは感じない

という感じ

一体なんで?

これがまず不思議

リウマチで発熱する場合を調べたら

熱は38度を超えて高くはならない

高熱が出るときは悪性リウマチ

そういう熱だって

37度から38度を行ったり来たりが続いている

わたしのは それかあ

リウマチが動くとそうなる

って

動くって何?

よく言うけど

熱は下げるな 痛み止めは飲むな

という医者が居た

熱が出る仕組みと痛みが出る仕組み

これは病気から回復するために戦ってる証拠だというのだ

何とかいう物質を排除する

血流を上げて体を洗い流すみたいな

そういうようなことが書いてあった

いたいのはつらいから その辛さが害になるほどなら

痛み止めもやむを得ないしそれで休まるならそういう効果もあるが

本来熱も痛みも体が治癒するための大事な働きなのだ

というのだ

わたしは1月以来肩から始まった痛みのきっかけは

先生がプレドニンを減らしたからだ

と内心恨んでたが

そうか

違うかもしれない

だいたい私のリウマチは変だ手も足もそう変形はない

指の関節も腫れてない

これは先生の管理がいいからだということにしてるが

自己 免疫疾患って過剰に自分の体を攻撃してしまう病気だと思うけど

対象はおおむね滑膜というのが定番

でも私滑膜の増殖ないぞ

ずっと筋肉に来るタイプじゃない気と思ってきたけど

(今もそう思ってるけれど)

そういうタイプがあるとはどこにも書いてない

体内に痛み発生!となったのでリウマチも興奮して

駆けつけてる

大騒ぎするヒステリー女みたいに

これは 相当 合ってそう

それで体中わさわさ暴れて熱が出る

で 朦朧とすると副交感神経優位になって

痛みから神経が解放される

眠れない時はそうならないから神経が怒ってるので痛い

で熱が 痛みを少しずつ剥いで 段々楽になる

前回の発熱で 肩 楽になったじゃないねえ

これは大発見かもしれない

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やっと削除した

2013-09-01 03:38:26 | 原風景

自分の頭の悪さに辟易

ファイル名をさ わかりやすく付け替えればいいのにそのまま保存して貼っちゃったから

何が何だか分かりゃしない

数字の似たファイルが山盛りで

目の見えないわたしはたぶん間違って削除しただろう

2、3日ローカル側は残しておくので間違えてたら連絡ください

みんなはファイルの管理はちゃんとしてるんだろうなあ

ナツサンなんか すっきり整理してそう

花てぼさんは私みたいに違いない

(あ 頭悪いなんてそんな恐れ多いことを言ってるのではありません

ま ファイル管理に関しちゃ 同じようなもんだろうけどという意味

あああ 絶交しないでね)

どこかで整理しないと何がどうなっているかわかんなくなりそう

コメント (2)
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