こちらのブログ記事にコメントができなかったのだと思うのですが
コメント欄閉じてたのでした
こちらは読みに来る人はほとんどなく
検索で来る方たちばかりで
妙なコメントが山盛りあるの気付かなかったことがあって
コメント欄を閉じてたのでした
開け増したのでご意見が亜るときはどうぞくださいまし。
さて 幼い私が 自分を座標軸の中心に据えて暮らしていたことに
気づかせてくれるクラスの取り組みがあった
たぶん先生は思春期に入った子供たちに批判精神を
批判的にものを考える力をつけたかったのだと思う
それまで クラスでのさばってた私がやり玉に挙がった
この子と前にも書いたけれど
まるで紅衛兵の自己批判を迫るようなああいう感じのような教育実践だった
みんなが対等平等に意見を交わし
対等平等に自分を鍛え という関係を気づきたかった担任の先生だった
わたしはすぐ感激するから
そういう視点の新鮮さ! 受けた!
が きつかった
だって みんなは私を嬉々としてやっつけるんだモン
わたしなんかやっつけるほうが好きだったからな
成績のつけ方もそうなのだ
普通点数のいい子にいい成績をつけるじゃない?
じゃあ点数を撮れないタイプの子はやる気が出なくなるじゃない
その子としてどう課題に取り組んでどう努力したか
それを見て成績をつけるからこれまでとは違うのだよ
という説明があって
わたしなんか ホント すっかり担任の虜になった
勿論通信簿を見て母が仰天しないように 根回しはちゃんとした
頂いた通信簿は変化があって眺め甲斐があるというのは
母もわかったようだよ
この向かって左端にいるのが担任の比木先生
ご専門は社会科だ
わたしは前から二列目左から三人目の一段下がったところにいる子だ
その紅衛兵の自己批判を迫るみたいな学級会で
前から二列目の右端の男の子が
わたしに食ってかかってきた
それが 仰天だったのだ
右端の子は私の家から一番近くの子で
一年生の時はお手手つないで通った(私小中とクラス替えの経験がない)
うちも貧しいがその子のうちは輪を掛けて貧しく
おうちもバタヤみたい中に入ると迷路みたい
だからそこでよく遊んだけど
その子は小さいし喧嘩は弱いし勉強はできないし
かわいいのが取り柄の子だと 思いあがったわたしは思ってて
この子の保護者だと思ってた
ので 文句つけられて なんだよう ブルータスおまえもか!って心境
どんな批判を受けたか忘れたけど自分勝手だと言われたのよね
自分じゃいいと思ったお節介はいじめだと言われたし
自己中心的な私にはいい薬だったが
薬が効いたことは みなにはなかなかわかってもらえなかった
ここでわたしは初めて
社会的にものを考えることを教わったのでした
批判されてみりゃ もっともなことばかりで
自分からの視点でだけ診てたらダメよ
というのを学ぶ機会のなかった一人っ子で強い子の私には貴重な体験だった
で
人は付和雷同するというのも目の当たりに見たし
批判的眼差しは 頑固だというのもわかった
人生考え直してやり直してみようと
外の中学に 私自身も行きたかったのだな