遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

 生まれて初めてイージーパンツ縫った

2013-09-14 19:51:59 | ただの記事

Img_9001

 

湯垢だらけの鏡と太い下半身ですんません

型紙とか わからないから

若い画家のでっかいジーパンがあったので

それって 縫い目が出っ張ってるからなぞれるじゃない?

それで布を切る線を いい加減に写した

それで いい加減に切って

裾なんか すごい アンバランスで今のところ 切りっぱなしだが

ともかく

お尻が入る形にできるかどうか

これが

わたしには 難問 賭けだったわけ

入った!お尻!

嬉しいなあ

嬉しいあまり

これはいてお出かけしそう

あ ウェストにゴム入れないと

ずるずる 落っこちるな

 誰かさんが 目剥く

パジャマで行くな!って

イージーパンツ って言ってよ!

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わたしの熱事情

2013-09-14 19:27:14 | 健康・病気

ただ今35度8分

ここらが夕方の平熱

朝は35度4分くらいだったりする

今朝は37度2分だった

明日は平熱で行く気がする

ともかく午前中微熱が出る

微熱って平熱より5分高いのを言うらしい

わたしもせいぜい37度5分くらいなのだが

起き上がる気力がなくなったのには

ショックだった

どうも36度台でもフーフーなると思った

昨日は料理する以外はほとんど寝てて

一昨日は料理もしないで

冷凍してあったものとか 焼き魚だけしか準備できなかった

ほとんど寝てた

今日は 買い物も行けたし 料理も出来たし ちょっと片づけもできた

順調に回復

って

何から回復してきているんだろう

明日はお当番 寝坊しないように

夜寝るように

昼間寝ないように コーヒーも入れて がぶがぶ飲んでた

寝る姿勢の苦痛はだいぶ楽になった

動き回った夜がつらくなるみたいだ

怠けてりゃ 楽勝かも

でも 筋力が落ちる

明後日は片付けで 武蔵に軽トラを出してもらわないと

絵を運べないが

明後日は水戸で高齢者の剣道大会だそうだ

だから 運べないが

どうせ 台風だ 水彩画を大雨の中運ぶの厭だし

裏の廊下に 預かってもらうことにしよう

ナツさんなんか私から見るとすごい身体能力の持ち主だけど

それでも

出来なくなったことにショックを受けておられた

見渡してみると

武蔵なんかも かなり 自分の老化に落ち込んでいるが

わたしみたいに騒がないがな

無理は利かない

おばさんなんか でもすごい

今日も炎天下 畑の草むしりやってた

やるだけやらなきゃ 気が済まないので

途中でやめられないのだ

でも それができる体力があるということだ

食べる量もすごいもん

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総理大臣に対してリコール権

2013-09-14 17:26:01 | ただの記事

って ないんだってね!

 なんて野蛮なんだ

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お会いしたこともないのだけど大爺様を偲んで

2013-09-14 14:27:24 | ただの記事

 

この人のこの歌は初めて聞きました

今日 大爺様の49日だそうです

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終活

2013-09-14 10:45:43 | ただの記事

お坊さんのブログを読んで↓

http://72463743.at.webry.info/201309/article_11.html

色々考えちゃった

わたしは葬式が嫌い

葬式で腹を立てたことがとても多かった

武蔵の親族やここ田舎の風習が納得いかないので

わたしは浅草のお墓に入る 葬式やらないでくれ

と言ってきたが

それは自分勝手というものなのだな

お母さんをよく知る人と偲ぶ会とかもダメ?

とちよが言うのでそれはいいのだが

(あちゃあ どういう風に偲ばれちゃうか 私もそこに居たい)

この頃 私はおばさんより先に死にそうだなという気がして

そうすると おばさんの気持ちを考えないといけないわけだ

それが 難しい

おばさんの考え方も私には訳が分からないが

それはおばさんのことだから

おばさんの望むようにするよ と言ってあるし実際そうする

でも 嫁さんが ここのお墓を蹴って 浅草に行っちゃうという希望だと聞いたら

頭に来ちゃうだろうなあ

何が気に入らないかと言って 故人を偲ぶとか送るとかが二の次三の次

ここらはつい最近まで 地区の組が葬式を執り行い

それには古い顔役とかいるわけで

新しい方式で葬祭場なんかでやっちゃったりして

(おじさんの葬儀はそうした )

組の顔役の出番がないと

そのことでそういう人はいちゃもんをつけてくる

故人を偲ぶ気持ちも 悼む気持ちも吹っ飛んでしまう

席順もそうだ

武蔵が ちよが故人に一番かわいがられてたな

と葬儀委員長の隣に座れ

と座らせたら

甲高い声で

そんな馬鹿な席はないと叱られ 

べそべそしてる娘は

訳わからず 席を変えさせられた

もうこんな人々の間で自分の葬式なんかやってもらいたくない

と思ったんだが

ま 古い人は先に行くのが順だからとはいうものの

武蔵の親族は みなすごく元気で

わたしは だめ 私が先だわ

で 残った子供たちが 葬式やらない

浅草の墓に入ると

わたしの遺言のせいで 子供たちが親族の間で辛い思いをしたら

いけないよねえ

死んじゃえば自分は分かんないんだから

どうでもいいっちゃ いいのだが

浅草のお墓に入れば

わたしの両親も 残った人の記憶に少しは長く残るだろうしなあ

一人っ子の義務だよ

というのは通用するかなあ?

葬儀は家族とよし子ちゃんなど近しい親族だけで

浅草のお寺でやってもらうというのなら

おばさんは 納得いくかも

(ま 分骨したっていいのだ 浅草方式の葬儀ならいいということ

だいたい 子供らの都合で 先行き 浅草のお墓を田舎に移したって

別にわたしはかまわない)

ま 相談して よきにはからえだな。

わたしは 宗教心がないと思っているけれど

仏教のあれこれの考え方には興味もあるし

いろいろ ああそうかということも多く

実は 仏教好きになって来ている

わたしの母が亡くなったときは

頼んだわけでもないのに

東京の東の端から住職は毎週わが家に通ってきて

お経をあげて 親鸞聖人の御書の中から いろいろ読んでくださった

それが 実に 心にしみた

家族で心ひとつにして旅立っていった母を偲んだものだし

その旅立ちを胸に収めるのに

本当にありがたいお話だった

だいたい住職は声もよかった

ありありと 故人の旅立ちの行程がイメージできるようなお話だった

詳しくは みんな忘れちゃったけど

その住職も鬼籍に入っちゃったが

Shakasannzonn

ああ

阿弥陀様って描いたことないんだな

今度描いてみよ

コメント (4)
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花てぼさんのところで懐かしいものをみた

2013-09-14 05:06:15 | ただの記事

下町風俗資料館においでになった記事を写真付きで載せておられる

目を惹いたのが↓の写真

わたし これ知ってる!↓のチョンチョンを押すとお水が出るので

それでお手洗いのあと手を洗うの

小さいころトイレにあった!

下町風俗資料館ってどこ?

と見たら あら 不忍池のほとりか

あの近くに朝倉彫塑館もあるし

散策するにはいいわねえ

あそこは今休館中だ

根津に武蔵が下宿してた頃

住んでたのは元花魁の部屋だったんだって

風情のある部屋だったそうだ

続いて

荷風の詩碑が載ってる

詩 読んでもらいたいから

全文丸写し

今の世のわかい人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の芸術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり
團菊はしおれて櫻痴は散りにき。
一葉落ちて紅葉は枯れ
緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を焼きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残煙となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の芸術を。
くもりし眼鏡をふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の兒ならずや。 

    震災 「偏奇館吟草」より
わたしはもの知らずなので
上の詩に出てくる名前でわからないものがいくつもある
柳村先生ってだれ?
聞いたことあるだけってのもあって
聞いたことがあるってなんだろうねえ
問題となっている紫朝って新内の人なのね
こういう人々の名前も
荷風が眼鏡を曇らせても
私らの世代では古典の世界ねえ
とはいえ
親たちの世代は分かるのよ 多分
わたしのおじさん(戦死した父のお兄さん)は
新内を習ってていい声だったのよとおばさんが言ってた
聞いてわたしは ふうんおじさんて遊び人かい?
って 思った
両国あたりも 新内なんか流行って
おじさんが習う芸ごと?芸者さんに習ったんかい?
なんて思ってた
確かに 身のこなしが しゃなりしゃなりしてるおじさんだったぞ
当たりが柔らかく優しげで
(すんませんもうとっくに故人です)
吉原のあたりの話だが
武蔵が勤めを辞めた後
豆腐やの親戚に世話になってたことがあって
豆腐屋のお兄ちゃんだったことがあったのはどこかで書いたけど
その最初頃 背広に革靴で豆腐売りに行って花魁に笑われたんだって
「お兄ちゃん そんな恰好じゃあ 豆腐売れないよ!」
ってさ
その話が出たのは
昨日武蔵の服は次々野良着に降ろされ
皆ドロドロでみじめな状態
背広着て野良に行くかなあ
と言ってたところから発展した話だった
上の詩でいう
今の若い人々 って 私の父の世代(母は当時赤ちゃんだった)
でその子供の私たちの遭った震災で
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり

喪われてしまった文化は何なのか
考え込んでしまった
コメント (4)
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