みなさん↓のブログは読みに行ってないでしょう?
http://72463743.at.webry.info/201309/article_11.html
多くの方は金の亡者になったお寺さんのありように お怒りのようですね
宗教家がそれを生業とすると そうなるかもしれない
宗教家は今が正念場かもしれない
わたしもね 神主に商売人を見たことがある
でも 坊さんにそれを感じたことは あまりないのよ
で なぜ葬式が嫌いか
それは世俗側の人々の押し付けがましい押し付け儀式が厭だということなの
葬式にかけるお金もないというのもある
だって ン百万かかるね お葬式って。
やりようで ンが変わるけど
お金持ちでお商売人が1ダースものお坊さんのお経の大合唱に送られたことがあって
こりゃ単位は百万じゃないなと思ったが
それは
お商売人の人生が 派手にお商売人のお付き合いの中にあったんだからいいんじゃないの?
で
これでお寺が潤えば 貧乏人は安くお葬式出してもらえるだろうし
と思った
ともかく死生というのは自分一人のものではないだろうという
上のブログのお坊さんの言葉に
色々考えることもあって 終活という記事を書いたのだけど・・・・
自分の身近な人の死をどう受け止めていくかというのも
私自身 親が亡くなってもう40年もたっても
あれこれ考えている
多分自分が死ぬ瞬間は
そういうもの一切その時初めて呑み込めるかもしれないと思ったり
そんなふうにこの頃思っている
だから49日という儀式(神道ではまた日にちがちょっと違うようだけど)も
お葬式以来 お骨を身近に置いて 語りつくせないまでも
亡き人と別れを告げて お墓に収めることができる
ああ そういう 古来からの カウンセリング的な
知恵か
と 思ったりした
が この田舎のこの地区は
葬式の日に49日の法要も繰り上げでやって 納骨もやってしまう習わしだ
仏事にうるさくてつべこべうるさいから
んるせ~~~
と思ってたのに
何じゃ?と思って 調べた
なぜ こうしたか
多分 この地区は 本当に貧困な地区なので
49日の法事を別にはやれなかったのだろうな
坊さんも それに協力した結果なのだろう
検索したら
49日繰り上げ法要についてはお寺関係者は
ありえない!とかなり怒ってる
北海道ではあるようだが
あまりに雪深く 集まるのが困難だからだろうと言ってるが
そこ以外は おおかた浄土真宗当たりの策謀だって
当たり散らしてる
その云いたるや ホント 金になるチャンスを奪いやがって
みたいな意見ぶりで
笑った。
ちなみに この地区は天台宗で
浅草のお寺が浄土真宗だよ?
浄土真宗では亡くなったときすでに仏様にはなっているという考え方だそうだから
そこらへんで他宗派の人の白眼視 というのもあるかもしれない
ともかく
わたしはおばさんが不安から体調を崩したりしたので
自分の考えだけでは 葬式なしにして
と
簡単には言えないな と 上の ブログ記事を読んで
いろいろ考えたのでした
お坊さんのブログを読むと
今まで考えたことのない視点でものを考えるので
ありがたいのよ
本来お坊さんて そういう人なんじゃない?
ありがたがるだけじゃなく
神はいるのかいないのか
命を懸けて 格闘する物語からも
色々考えるじゃないのさ
そういうのって 実は 面白くない?
赤いパンツ作るのと同じくらい 私は面白い