遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

今日は里山に絵を描きに行った

2013-09-21 18:43:54 | 絵画

Img_9087

里山には穴を掘ってあって

そこで物を始末するんだけど

この前描きに行ったときは

棄てたかぼちゃの種からかぼちゃがワンワン芽を吹いて

一杯なってたのだが

今日行ったらそれは整理されて穴になってた

もしかすると

穴も描くと面白いかもしれない

だいたい構図を決め初めて

そこで でっかい絵 じかに描きたくなった

トラックでパネル運んでよ

と言ったら

その絵をテントに入れておけばいいよ

というのだがテントに入れといて 大丈夫かなあ

話は 全く別だが

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/09/20/gazo/G20130920006652390.html

福島に視察に入ったあべ↑

名札の誤字あざ笑われているけど

それをいいことに なんでも東電のせいにし始めたり

この写真は世界中に発信されちゃったし

なんか頓珍漢な指示出して

現場の総スカン食ってるし

全く それでも 支持する人がいるというが信じられない

コメント (2)
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唯物史観と党派性

2013-09-21 18:20:03 | 美術史

この間

原発作業員さんの本の出版にかかわる

いろいろな取り組みについて読んで行ったら

そのサイトの管理人の思想的背景の自己紹介に出会った

学生運動盛んなころ 戦旗のグループのリーダー的存在だった人で

自分は共産主義の洗礼を受けた

みたいなことが書いてあった

戦旗のグループって ブントと関係あるみたいだけど

どんな人たちか 私は分からない

でも みなあの頃の若者は

マルクスやエンゲルスやレーニンゃらの書物を読んだりしたものだ

(一番有名なのは資本論なんだろうけど あの厚さを見ただけで

読む気になれないし経済学なんか わかるわけないし

あたまっからパス!だったけど)

今や 共産主義ってなんなの?ソ連も崩壊しちゃったし

北朝鮮も中国も あれが共産主義国家とは到底思えないし

さっきも中国って幼いころ神童で 大人になったらただのバカ!

みたいな国になっちゃったねえ

酷い陰口を利いたものだけれどなあ

でも 共産主義の洗礼を受けたって いう話はちょっと分かる気がする

わたしも

あの唯物史観 とか階級社会というとらえ方とか

歴史的に社会的にものを見るとか

そういう考え方には うんと影響を受けた

ただ 現実に どうやって社会を動かすのかって

その力の仕組みがわからないから

社会運動になると 必ず党派的なことが出てきて

そこが難しい

支配階級の暴力には権力を手にしないとならないのは現実のことだったのだろうけれど

結局それが罠だったではないか

という気がする

その 党派的なこと

ってのが どうしても 人の脳みそを 支配する手続きのように思えて

そんな

革命的なことなんかじゃなくても

やたら 派を作るとか 人を子分にするとか

これって 人間の性なのかもしれない

だから

今原発がらみでいろいろな運動もあり

力を結集しなくちゃ もう歴史はおしまいでという気もするけれど

例えばよ

署名なんかも する気が無くなった

なんか 誰かのために利用されそうで いやなのだ

最初は無邪気に 電子署名やったんだが

絶対あの後からだ ヘンなメールが殺到し始めたのは

という気もするし

でも 唯物史観というのはまた別の話だ

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 時代の証言

2013-09-21 16:03:58 | 美術史

赤城さんのツイートと写真

時代の証言者 そういう意識があるのかどうかわからないけれど

写真という手段を選んだのは

客観的にその時の今を カシャっと収めようとしたのだし

極力 主観性を排除みたいな

そういうことはないな

テーマ性も

赤城さんの思想もよく見て取れる一連の作品だもの

崋山の本を読んでいたとき崋山が

かなり風俗画を重要視している文章があった

その風俗画集が ちょうど北斎の漫画集が出た時期で

出版はやめた

そういういきさつだけど

北斎は 時代の証言という意図というより

弟子たちに手本を示すみたいな

画集だった ハウツーもの?

でも 結果は 時代の証言になってる

風俗画って庶民が主役だから

庶民にもてはやされ

とかく 色事にかかわる線に 行くよな

世の中 雄が支配的だから

だから 風俗画には そういうテーマも多いし

危な絵にも流れては行くけれど

わたしなんか自分が庶民だからな

庶民の暮らしや出来事風俗を描いた絵画が いいもんだ

という感覚はある

浮世絵なんか風俗画だものね

何をどんなふうに描かれたかって

見れば 芸術作品は皆 時代の証言者でもあるわけだ

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 案山子 さだ まさし

2013-09-21 15:23:47 | ただの記事

車の中で

この歌が流れて

この歌は知ってるし

音域も狭いから歌えるな

と思ったけど

だめ

歌えないわ

ええ??

昔は平気で歌えたのに

いろいろ思っちゃう

わたしは田舎にいても

ここから都会に子供を出したわけではなく

子供の方が

母ちゃん田舎で元気かな 友達出来たかな?って思われる方かも

だけど

離れたところでめったと会わない子供のこと思う母ちゃんにはなった

子供たちは

割合さっさと家を離れ

わたしも さっさと親元を離れたが

それほど ウェットな関係じゃないんだが

でも 親子は たとえ相手が犯罪者になっても

相手を思わずにはいられない そういう関係だ

(そういうことはなかったけれど たとえばの話)

そういう風に 絶対的身寄りでいる自分であるとか

身寄りがあるとか

どっちでもいいや そういうのがあるというのは幸せなことだ

と この頃思うのよね

条件付きじゃない関係 というのは

別に肉親じゃなくてもいいのよね

頭に来ても 怒り狂っても 必ず寄り添える関係

というのがあったら いいのよね

そういうことを思いつつ聞いてたら

この歌は 平常心では歌えない歌だな

やっぱり

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レアリスム

2013-09-21 08:23:47 | 美術史

こういう何々イスムって

結局はレッテル貼りだな

レッテルを貼って分類する

そういうの 学者の仕事か

シュールレアリスムについて勉強するってのが

絵を描く側と 研究員では 視点が全く違うということもありうるわけだ

怒らせたフランス文学のレアリスム って全く分からない

日本人の常識では フローベルやバルザックという感じで習ってきたが

それだって ロマン派と同違うかなんて

考えると訳が分からなくなる

感じとしてはそれまで相手にもされず芸術の題材にもされなかったような

一般市民に目を向けて表現した文学

みたいなイメージがあるけど

勉強したわけじゃないからわからない

そういう 高級な人々ではなく ハイソな文化ではないところに目を向け

というのが なんかだんだん週刊誌みたいな関心の持ちようで

なんかなあ すごく卑猥なんじゃないの

高校生のころ田山花袋を読んで オエ!となったがな

純情なんだ 私

田山花袋は自然主義とレッテル貼られ写実主義とはまた一線を画してるようだけど

そんなレッテルについて研究する

文学なんて

クソくらえだわ(やけくそ 当たり散らし)

さらに 自称レアリストって言い方は

蔑称だ まがい物だよという価値観がついて回る

わざわざそんなこと言わないでまがい物なら無視すりゃいいのに

自称とくっつけて呼ぶ手合いが厭だ

このかんの不快感はこういうところからきてたと分かった

レアリスムだって 

19世紀について言えば それまでの値打ちを付加されたものを切り捨てて

あるがままを見ようというような運動だったかもしれない

価値づけという色眼鏡を外して

自我を捨てた気になって事物に対峙したら

それまで見えなかったものが見えてくるというのはよくわかるからな

でも

それも なんか 固定的に 写実ですとか自然ですとか

こう

とっても党派的な思想の色付けがついて回ってくる

そうすりゃまた硬直してくるのでそれを壊すようにさまざまなものの見方が

出てくるわけで

わたしは それも含めて 事物への多面的な視点からのアプローチ

という意味で

レアリスムという言葉を使うけど

勿論 社会的にとか文化史的に認知されている言葉づかいじゃないからな

人に通じないのはしょうがない

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ぼける恐怖

2013-09-21 06:31:18 | 健康・病気

わが家はだいたい私が乗用車を使い

 武蔵が軽トラ

 でも 乗用車のほうが乗り心地がいいから

 空いてれば武蔵も乗用車を使う

一五夜の夜中まで車は武蔵が使ってたが

 昨日は鍵がない!

 武蔵のせいだ。

 

 軽トラの鍵と一緒にくっつけてる鍵を外して

 今日はこれで出かけろ と鍵をよこした

 ら 筑波山にいたら電話が鳴って

 わたしが軽トラの鍵もってったか?という

 いくら探してもないんだって!!!

 夕方家に帰ったら

 憔悴しきった武蔵が居て

 どうしても軽トラの鍵がない!見つからない

用車の方の私の鍵も出てこない

 という

 あああああああ

 多分 迷子になった子供のように

 不安だろうよ

(ま 方向音痴の武蔵は迷子になるのは慣れてるが)

 武蔵の物忘れは すごいもの

 本人はもしかすると

 ぼける恐怖に震えてるかも

 かわいそうに

 明日は我が身だけど・・・・

 

 

ちょっと考えてみた

 

将来 武蔵がぼけたらなあ

 

頑固だから手におえないぞ

 ま 医学の進歩に賭けよう

 脳みそに効く薬の進歩って目覚ましいというから

 このブログの左にリンク貼ってある

 96歳の遺言のおけいさんはとうとう天国に旅立たれた(合掌)

 亡くなるまで クリアーなおつむだったようで

 すごい記憶力だったようだ

 時々そういう方がいるけれど

 それがお幸せなのか

 死に至るお苦しみも全部感じておられるかと

 傍目にもつらい方もいる

 うちのおばさんは相当しっかりはしてるけど

 あああああ しょうがないな

 年寄だから許そう

 ということもいっぱいあり増えてきてもいる

 でも ぼける恐怖は あまりない

 何しろ自信は 超楽天的だからな

 傍は楽だ

 

結局

わたしが帰宅してしばらくしたら 鍵は二つとも出てきた

 

 

 

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時代の証言

2013-09-21 02:06:00 | 展覧会情報

わたしがフォローしているツイッターに

赤城修司さんという方がいる

福島市の高校の美術の先生

ずっと写真と短いツイートで その時その場所を切り取って見せてくれる

という表現を続けてこられたかただ

多分 きっと写真集というような形でも 作品として残るんじゃないか

と思ってきたけど

展覧会という企画もあるようだ

5人を集めての企画

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