なぜこの絵巻物を 後白河は作らせたのか?
というのが私の関心の発端だった
↓の記事を読むと ますますわからなくなる
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/1-29.htm
分かったのは 平安末期というのは
これは 関心を抱かないではいられない
すさまじい時代の転換期だったのだなということだ
伴大納言絵詞に描かれている応天門の変(866)
これは貞観期
貞観彫刻↑ というようなのが
私にとっては平安前期のイメージ
王朝雅な時代というのは
遣唐使を廃止して以降のことではないか?
ともあれ
応天門の変では伴氏 紀氏を退け
そのあとも王権と摂関家の権力争いから
菅原道真も追いやられたり ・・・
その摂関家の権力のありようは
後白河の時代は 明らかにもはや古くて話にならん状態と思うけれど
武門と貴族の闘争もあれこれを手玉に取った
後白河が 何を目指したんだか
目指しもしなかったのか
訳が分からない
ともあれ
応天門の変で
藤原摂関家の権力が確立したのだ
応天門の変の 真犯人が
↑藤原の良房なのか
伴大納言↓なのか
分らないけれど
推理小説好きの私としては
この事件の勝者 良房が犯人だろうよと思い
なぜ その藤原氏が権力を確立した事件を
後白河は絵巻に遺そうとしたのか?と思ったのだ
上のリンク先の記事によると
は
和漢の間、比類なき暗主なり
と言っていたそうだし
まず帝王の器ではないと そういう評はいろいろあって
ドラマ 平清盛でも イカレポンチ風の表現が多かった
上のリンク先の方の意見のように
古の 王権 雅 華やかな時代への逆行復興を目指した
というとらえようならば
おバカな妄想体制派?みたいなものかもしれないけれど
でも
1127年から1192年という時を
儚くはなく かなり濃厚に生きていたのが
面白いなあ と 興味は尽きない