遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

ぐうたら 平将門のドラマを見ている

2014-11-22 21:04:04 | ただの記事

これは 昔小説を読んだが

その時も 茨城に田舎のあたりの話だとは思ったが

今ドラマで見ると

土地勘がありすぎて うへえ!あそこだァ

となる

 

私の住んでいるところは

少し前では真壁郡と言った

でも

そこは昔は白壁郡と言ったそうだ が

桓武天皇のお父さん 光仁天皇の名前が白壁王だったので

はばかって 真壁という名になったと聞いた

将門の時代はもう真壁だったのだな

 

白壁王が誰だったかなんて忘れてたが

 

今読んでる本には天武天皇が 天智天皇を暗殺した

だの二人は同父母兄弟ではなかっただの

天武系 天智系などと 壬申の乱が意外な展開で語られているのを読むと

白壁王の即位(なんと62歳で即位だって)で天武に奪われた王位(皇位?)が天智系に戻る キーだったというのがやっと頭に入った所だ

 

これらの話ではまたまた藤原氏の戦略戦術が絡んでいる話ばかり

 

良房もすごかったけれど

光明子だってかなりすごい

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この法華寺の11面観音像 光明皇后がモデル

って

法華寺に行けば書いてもあったと思うし

慈悲深かった業績も聞かされ

そうかと思ったら

裏話はすごいな

 

だいたい 上の彫刻は貞観期のものだから

モデルだって 違うらしい

歴史をよく知らないから騙されちゃう

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今日彩友会は嘘

2014-11-22 13:27:54 | ただの記事

なんか 土曜日に変更になって

一日朝から人物画となったけれど

これは行かれないな と思って

ちゃんと記憶してなかった

学習センターに見に行った 彩友会は予定にない

12月20日だわ

 

今日は寒気がするので

一日さぼる

しかし 武蔵はいくらか風邪もよくなって

すごい洗濯魔になっている

布団も干してる

羽毛は干しちゃダメだよというと

ものすごく汗をかいたから干したいのだって

今調べたら 寿命が縮むだけのようだからいいや

 

汗かいて 熱が下がったのだろう

私にうつしたのだな 

 

わたしはなるべく食事の支度もさぼる算段

さぼり方もうまくなる

 

マスクして ポットに入れた食事を おばさんに近づかないように

置いてくる

叔母さんは用心して持って行ったおかずを残すのだ

それが気に入らないが(だってちゃんと用意するから食べてほしいが)

食べ物残すのが保険なのだ

しょうがない

寝ることにする

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死んじゃうことについて

2014-11-22 05:15:14 | ただの記事

最近は長生きの人が多くなって

近いところでは104歳で亡くなった方がいる

老衰だったそうだが

その方の仲良しでいまだにお元気で

温泉プールでお目にかかる方もいる

水中歩行もマシンを使っての運動をなさっている

 

誰もがピンピンコロリを望んでいるけれど

なかなかそうはいかない

 

ここの伯父さんも老衰だったけれど

お風呂に入れたり食事を作ってやったりは最後

叔母さんがどのくらい面倒を見たかなあ

死ぬのが怖くて怖くて

末の妹(おばさん)に泣いて訴えては叱られていたそうだ

でも 病気ではなく 老衰で フッと あちらの世界に行っちゃった

 

武蔵の母は癌だったが入院は2か月だった。

「則子さん 見てろ!絶対治って家に帰って見せる!」

と気が強いお義母さんだったが

最後は苦しそうな呼吸 最後の一息を飲んだ!

と思ったら それが息を引き取ったときだった

 

私の母は 誰も気づかないまま

その間 一人でベッドの下に潜り込んで

亡くなっていたが

歯を食いしばっていたので

苦しい思いをしたのだなあ と思った

病身で 透析に通う毎日だった

 

若く亡くなった同病の従姉もそうだ

 

栗橋の叔母さんは96歳だったけれど

長く元気に もう老人と言えるような息子たちの食事の世話を

95くらいまではやっていたのだ

最後何か月かは

その息子が介護した

 

武蔵の姉たちはまだ二人いるのだけれど

この二人はほとんど妖怪

全く年齢には見えない

見た目の若さが妖怪

(おばさんも90には見えないとよく言われる)

聞くと

見た目どころか たいそう健康で

血液検査 完璧に健康体なのだそうだ

声なんか聴いていると 甲高いくらい

若い 

そういう血統か?

 

一世代下のそこにいた従兄弟軍団の最年長は

物静かな男の子だったがなんと50歳だって!

信じられない せいぜい大学院生くらいにしか見えない

 

 

みんな 死んじゃう時には どういう風に死ぬのだろう?

わたしは病院なり施設なりで死んじゃうのがいい

 

武蔵は長生きの家系なんだから 後に残るんだから

子供の重荷にならないように考えてよ

と言ったら ここ田舎で最後まで一人で暮らし

伯父さんみたいによろより暮らし

もうダメだな と思ったら 絶食して死ぬというのだ

 

義姉は 一週間絶食だったそうで

救急車で運ばれたときはもう心肺停止だった

 

その間ちょっとでいいから食べてくれと

旦那様は必至で呼びかけてもダメだったそうで

ともかく頑固な姉に翻弄され続けたようだ

 

若い時は 私

人間が未熟だったので(家族一致の意見では今でも未熟すぎだそうだ)

憂鬱になると もう生きているのが嫌だと思うこともあったが

絶対は母より先に死んではいけないというのが

私のモラルだった

だって 自分の子供が死んじゃうということに

母としての私は想像するだに 耐えられない

(子を亡くした方 ごめんなさい)

従姉が亡くなったとき 伯母の身が心配だったが

伯母もかなり老いていたので

むしろ 老いが救いというところもあった

 

頑固で人の言うことなんか聞かないのは武蔵も同じだ

 

考えてみれば 人はみんな死んじゃうわけで

納得のいくような死に方なんか皆できない

残ったほうが それぞれ

納得するしかないので

あれこれ考えても仕方ない

なるようにしかならない

そういうものだろうが

 

戦争で殺されるのは どう考えても納得いかない

 

自分の身を守るためには

相手を殺しても自分の身 家族 国民を守らねばならない

というのが

戦争を肯定する人の意見だろうが

 

例えば 武蔵が家族のためにその剣をふるうときは

峰うちにしろ!

というのが私の意見だ

峰うちだって 暴力だけれどさ 

 

 

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