永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(908)

2011年03月11日 | Weblog
2011.3/11  908

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(85)

 薫は、

「今はの事どもするに、御髪をかきやるに、さと、うちにほひたる、ただありしながらのにほひに、なつかしう香ばしきもありがたう、何事にてこの人を、すこしもなのめなりしと思ひさまさむ、まことに世の中を思ひ棄て果つるしるべならば、おそろしげに憂きことの、悲しさも醒めぬべき節をだに見つけさせ給へ、と、仏を念じ給へど、いとど思ひのどめむ方なくのみあれば、いふかひなくて、ひたぶるに煙にだになしはててむ、と思ほして、とかく例の作法どもするぞあさましかりける」
――ご臨終にあたっての受戒となり、最後の御装いをしてさしあげる時、お髪を整えますと、さっと漂う香りが全く生前さながらで、なつかしく、それがまたいっそう堪え難くてならないのでした。このお方のどこを見れば、少しでも疵(欠点)のある方だったと諦めがつくというのだろう。私に本当にこの世を厭い捨てよとの御仏のお導きならば、このようなお美しい亡殻ではなく、悲しみも一瞬にして覚めてしまうような、醜く恐ろしげなお姿でも見せて欲しいのに、と仏にお祈りなさいますが、つのる悲しみは鎮めようもないのでした。
致し方なく、いっそ一思いに火葬の煙にでもしてしまおう、と思われて、すべて作法どおりにお運びになるのは、予想もしていらっしゃらなかっただけに、余りにひどい成り行きというものです――

「空を歩むやうに漂ひつつ、かぎりの有様さへはかなげにて、煙も多くむすぼほれ給はずなりぬるもあへなし、と、あきれてかへり給ひぬ」
――(薫は)まるで空を漂っているようなご様子で、大君の最後の火葬もはかなげで、煙も多くなく済んでしまわれたのもあっけなく、ぼうっとして野辺の送りからお帰りになりました――

「御忌にこもれる人数多くて、心細さはすこし紛れぬべけれど、中の宮は人の見思はむこともはづかしき身の心憂さを、思ひ沈み給ひて、またなき人に見え給ふ」
――四十九日までは薫がご滞在なさり、そこに詰めている人も多く、心細さはすこし紛れてはいますが、中の君の方では、匂宮があれきりお見えにならないことを、世間ではどう噂をしているかと、恥ずかしく心も塞いで沈みきっていらっしゃいますので、まるでこちらも死んだ人のようにお見えになります――

「宮よりも御とぶらひ、いと繁くたてまつれ給ふ。思はずにつらし、と思ひきこえ給へりしけしきも、おぼしなほらで止みぬるをおぼすに、いと憂き人のゆかりなり」
――匂宮からも度々ご弔問の御文を差し上げられます。(中の君は)姉君が、あまりにも匂宮を薄情な方とお思い申しておられて、そのままお気持も変わらないままになってしまいましたことを思いますにつけ、まことに悲しい匂宮との御縁なのでした――

◆今はの事ども=臨終の作法、すなわち受戒。

◆ありがたう=有り難し=めったにないこと。珍しい。優れている。

◆例の作法=通常の葬送の段取り。

◆あきれて=呆れ甚し(あきれいたし)=事の意外さに呆然として。まったく途方にくれる。

◆絵:大君の火葬

では3/13に。