永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を詠んできて(24)(25)

2015年05月05日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (24) 2015.5.5

「七月になりて相撲のころ、ふるきあたらしきと一領づつひき包みて、『これ、せさせ給へ』とてはあるものか。見るに目くるるここちぞする。古体の人は、『あないとほし。かしこには、えつかうまつらずこそはあらめ』、なま心ある人などさし集まりて、『すずろはしや、えせでわろからんをだにこそ聞かめ』などさだめて、返しやりつるもしるく、ここかしこになん持て散りてすると聞く。かしこにもいとなさけなしとにやあらん、二十よ日おとづれもなし。」
――七月になって丁度相撲の節会のころ、仕立物の古いのと新しいのと一そろいずつ包んで、町の小路の女から「これを仕立ててください」と言ってくるなんてまあ、あきれて目もくらくらする心地です。古風な母親は、「まあ気の毒な、あちらでは兼家の衣装を縫って差し上げられる人がいないのでしょうね」と言っています。心から仕えている侍女たちが集まって、「なんて馬鹿馬鹿しい。あちらでは仕立てができず世間体のわるい噂でも聞きましょうとも」などと決めて、突っ返してやりましたところ、案の定あちらこちらに頼んでなんとかしたと聞きました。あの人(兼家)もこちらの態度を随分薄情と思ったのか、二十日以上も音沙汰がないのでした。――
  

■相撲のころ=相撲の節(すまひのせちえ)の略。朝廷の年中行事で、毎年七月、諸国より強力の者を召して、宮中で競技を披露する。

■ふるきあたらしきと一領づつ=一領(ひとくだり)。新旧の衣一そろいずつ。

■すずろはしや=気に食わない。


蜻蛉日記  上巻 (25) 2015.5.5

「いかなる折にかあらん、文ぞある。『まゐり来まほしけれどつつましうてなん。たしかに来とあらば、おづおづも』とあり。返りごともすまじと思ふも、これかれ『いとなさけなし。あまりなり』などものすれば、
<穂に出でていはじやさらにおほよそのなびく尾花にまかせてもみむ>
たちかへり、
<穂に出でばまづなびきなん花薄こちてふ風の吹かむまにまに>
使ひあれば、
<嵐のみ吹くめる宿に花薄ほにいでたりとかひやなからん>
などよろしう言ひなして、また見えたり。
――どんなときだったでしょう、このような文が来ました。「お伺いしたいが、どうしたものか。必ず来て欲しいというなら、恐る恐るにも」と。返事などするまいと思っていましたが、侍女たちが、「それではあまりにも情がなさすぎます」と言うので、
(道綱母の歌)「言葉に出して来てくださいとは決して申しません。あなたの心からの気持ちにお任せしてみましょう」
返事は
(兼家の歌)「言葉に出して来て欲しいというなら、何をおいてもその言葉に従おうものを」
使いの者が返事を待っているので、
(道綱母の歌)「あなたに冷たくあしらわれてばかりのわが家に、来てくださいと言っても無駄ではないでしょうか」
などと、私の方で折れた形になったので、またあの人が見えたのでした。――

■尾花=すすき、「穂」「なびく」は、縁語。