蜻蛉日記 上巻 (26) 2015.5.11
前栽の花いろいろに咲き乱れたるを見やりて、臥しながらかくぞ言はるる、かたみにうらむるさまのことどもあるべし。
<百草にみだれてみゆる花のいろはただ白露のおくにやあるらん>
とうち言ひたれば、かく言ふ。
<身の秋をおもひみだるる花の上の露のこころはいへばさらなり>
など言ひて、例のつれなうなりぬ。
――前栽の花々が咲き乱れているのを見ながら、お互いに横になったまま、こんな歌が口をついて出たようで、お互いにわだかまりがあってのことだったのでしょう。
(兼家の歌)「あなたが千々に心乱れて見えるのは、わたしのせいではない。そなたに隔て心があるからいけないのだ」
と言ったので、私は、
(道綱母の歌)「あなたに飽きられたわが身を思い悩む私のこころは、言うまでもないこと。ご自分の胸にお聞きください」
など言って、またしてもよそよそしくなっていまったのでした。――
「寝待の月の山の端出づるほどに、出でむとする気色あり。さらでもありぬべき夜かなと思ふ気色や見えけむ、『とまりぬべきことあらば』など言へど、さしもおぼえねば、
<いかがせん山の端にだにとどまらでこころも空にいでむ月をば>
かへし、
<ひさかたの空にこころのいづといへば影はそこにもとまるべきかな>
とて、とどまりにけり。
――寝待の月が山の端から上りはじめるころ、あの人は帰るそぶりを見せはじめました。帰らなくてもよさそうな(月の美しい)夜なのに、と思う気持ちが私にみえたのか、「私がここに留まるにちがいないような言の葉(歌)を詠んだなら」と言うのでした。それほどの気持ちでもなかったけれど、
(道綱母の歌)「うわの空で山の端にさえ留まらぬ月(兼家をたとえる)ですもの、どうして私の言の葉(歌)で引き止めることができましょうか」
返歌は
(兼家の歌)心が空に抜け出して行くというなら、影は水底に宿る筈だ。今夜はそなたのところに泊まらずばなるまい。」
といって泊まっていったのでした。――
■寝待(ねまち)の月=陰暦十九日の月をいう
蜻蛉日記 上巻 (27) 2015.5.11
「さて又、野分のやうなることして二日ばかりありて来たり。『一日の風はいかにとも、例の人はとひてまし』と言へば、げにやと思ひけん、ことなしびに、
<言の葉はいりもやするととめおきて今日は身からもとふにやあらぬ>
と言へば、
<散りきてもとひぞしてまし言の葉を東風はさばかり吹きしたよりに>
かく言ふ。」
――さてまた、台風のような日が過ぎて二日ほどにあの人がきました。「あの日の風雨は大変でも、あの女のところへは見舞いがあったのでしょう」と言うと、自分の不利を取り繕うように、
(兼家の歌)「言の葉(手紙)は野分で散ったら困ると思って手許にとどめ、今日は私自身が訪問しているではないか」
と言うので、
(道綱母の歌)「手紙は風に散らされても私のところに届いたはずです。こちらに吹いた東風に運ばれて」
「<こちといへばおほぞううなりし風にいかがつけてはとはんあたら名立てに>
まけじ心にて、又、
<散らさじと惜しみおきける言の葉をききながらだにぞ今朝はとはまし>
これはさも言ふべしとや、人ことわりけん。」
――(兼家の歌)「東風(こちら)などといういい加減な風にどうして手紙を託せようか。別人のところへ散って、口惜しい浮名を立てられるのがおちだ」
わたしは、またやり返して、
(道綱母の歌)「風に散らすまい(人目に触れないように)と大切にとっておいた言葉なら、今朝は来てすぐに言ってくれればいいものを」
これにはなるほどと、あの人は思ったことでしょう――
前栽の花いろいろに咲き乱れたるを見やりて、臥しながらかくぞ言はるる、かたみにうらむるさまのことどもあるべし。
<百草にみだれてみゆる花のいろはただ白露のおくにやあるらん>
とうち言ひたれば、かく言ふ。
<身の秋をおもひみだるる花の上の露のこころはいへばさらなり>
など言ひて、例のつれなうなりぬ。
――前栽の花々が咲き乱れているのを見ながら、お互いに横になったまま、こんな歌が口をついて出たようで、お互いにわだかまりがあってのことだったのでしょう。
(兼家の歌)「あなたが千々に心乱れて見えるのは、わたしのせいではない。そなたに隔て心があるからいけないのだ」
と言ったので、私は、
(道綱母の歌)「あなたに飽きられたわが身を思い悩む私のこころは、言うまでもないこと。ご自分の胸にお聞きください」
など言って、またしてもよそよそしくなっていまったのでした。――
「寝待の月の山の端出づるほどに、出でむとする気色あり。さらでもありぬべき夜かなと思ふ気色や見えけむ、『とまりぬべきことあらば』など言へど、さしもおぼえねば、
<いかがせん山の端にだにとどまらでこころも空にいでむ月をば>
かへし、
<ひさかたの空にこころのいづといへば影はそこにもとまるべきかな>
とて、とどまりにけり。
――寝待の月が山の端から上りはじめるころ、あの人は帰るそぶりを見せはじめました。帰らなくてもよさそうな(月の美しい)夜なのに、と思う気持ちが私にみえたのか、「私がここに留まるにちがいないような言の葉(歌)を詠んだなら」と言うのでした。それほどの気持ちでもなかったけれど、
(道綱母の歌)「うわの空で山の端にさえ留まらぬ月(兼家をたとえる)ですもの、どうして私の言の葉(歌)で引き止めることができましょうか」
返歌は
(兼家の歌)心が空に抜け出して行くというなら、影は水底に宿る筈だ。今夜はそなたのところに泊まらずばなるまい。」
といって泊まっていったのでした。――
■寝待(ねまち)の月=陰暦十九日の月をいう
蜻蛉日記 上巻 (27) 2015.5.11
「さて又、野分のやうなることして二日ばかりありて来たり。『一日の風はいかにとも、例の人はとひてまし』と言へば、げにやと思ひけん、ことなしびに、
<言の葉はいりもやするととめおきて今日は身からもとふにやあらぬ>
と言へば、
<散りきてもとひぞしてまし言の葉を東風はさばかり吹きしたよりに>
かく言ふ。」
――さてまた、台風のような日が過ぎて二日ほどにあの人がきました。「あの日の風雨は大変でも、あの女のところへは見舞いがあったのでしょう」と言うと、自分の不利を取り繕うように、
(兼家の歌)「言の葉(手紙)は野分で散ったら困ると思って手許にとどめ、今日は私自身が訪問しているではないか」
と言うので、
(道綱母の歌)「手紙は風に散らされても私のところに届いたはずです。こちらに吹いた東風に運ばれて」
「<こちといへばおほぞううなりし風にいかがつけてはとはんあたら名立てに>
まけじ心にて、又、
<散らさじと惜しみおきける言の葉をききながらだにぞ今朝はとはまし>
これはさも言ふべしとや、人ことわりけん。」
――(兼家の歌)「東風(こちら)などといういい加減な風にどうして手紙を託せようか。別人のところへ散って、口惜しい浮名を立てられるのがおちだ」
わたしは、またやり返して、
(道綱母の歌)「風に散らすまい(人目に触れないように)と大切にとっておいた言葉なら、今朝は来てすぐに言ってくれればいいものを」
これにはなるほどと、あの人は思ったことでしょう――