永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(30の2)

2015年05月18日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (30の2)

「例のほどにものしたれど、そなたにも出でずなどあればゐわづらひて、この文ばかりを取りて帰りにけり。さてかれよりかくぞある。
<をりそめし ときのもみぢの さだめなく うつらふ色は さのみこそ あふ秋ごとに つねならめ なげきのしたの 木の葉には いとどいひおく 初霜の 深き色にや なりにけん おもふおもひの たえもせず いつしかまつの みどりごを 行きては見むと 駿河なる 田子の浦波 たちよれど 富士の山べの 煙には ふすぶることの たえもせず 雨雲とのみ たなびけば たえぬわが身は 白糸の 
まひくるほどのを おもはじと あまたの人の えにすれば 身ははしたかの すずろにて なつくる宿の なければぞ 古巣にかへる まにまには とひくることの ありしかば ひとりふすまの 床にして ねざめの月の 真木の戸に ひかりのこさず 洩りてくる 影だにみえず ありしより うとむ心ぞ つきそめし 誰か夜妻と あかしけん いかなる罪の 重きぞと いふはこれこそ 罪ならし 今は阿武隈の 逢ひもみで かからぬ人に かかれかし なにの岩木の 身ならねば おもふこころも いさめぬに 浦の浜木綿 幾重ね 隔て果てつる 唐衣 涙の川に そぼつとも 思ひしいでば 薫物の このめばかりは かわきなん かひなきことは 甲斐の国 速見の御牧に あるる馬を いかでか人は かけとめんと おもふものから たらちねの 親としるらん 片飼ひの 駒や恋ひつつ いなかせんと おもふばかりぞ あはれなるべき>
とか。
――あの人は例のごとく大分間をおいて来た時に、わたしはそちらへも行かず知らん顔をしていると、居づらくなったのでしょう。あの手紙だけを持って帰っていきました。
そしてのちの返事には、
(兼家の長歌)「折り初めた秋の紅葉(新婚)が時と共に色あせていくのは世の常のことではないか。だが私は違う。陸奥に旅立つそなたの父上が、悲嘆にくれるそなたをくれぐれも頼むと言って行かれた言葉が身にしみて、そなたへの愛情は増していったのだ。気持ちが絶えるどころか、私の行くのを楽しみにしているあの子を、一刻も早く訪ねてやりたいと、田子の浦波のように何度も何度も立ち寄ってみたけれど、富士の山辺の煙ではあるまいに、しきりにやきもちを焼いて、天雲とばかりよそよそしく私に背をむけているではないか。それでも私がそ知らぬ顔で途絶えないように通って行くのに、周りの者達が愛情がないと恨み言を並べたてるので、私はとりつくしまもなく、居心地が悪いのだ。
といって私には馴染みの女とてないので、すごすごと自分の邸に帰るしかない。そうした合い間にも、やはりそなたへと足が向くのだが、いつぞやなどは、出迎えてもくれず、私はそなたの家でわびしくひとり寝をしたものだ。真木の板戸から差し込むのは寝覚めの月ばかりで、そなたは影さえも見せてはくれなかった。そんなことから、そなたを疎む心が萌えそめたのだ。誰が隠し女と夜を明かしたりするものか。それなのに自分のことは棚に上げて、「前世にどんな罪を犯したのでしょう」と恨みつらみを言うのは、それこそ罪というものだ。こうなったからには、父上の上京を待つまでもなく、もっとましな人を見つけて頼るがよい。そなただって木石の身ではないのだから、どう考えようと止めはしない。浦の浜木綿のように二人の仲が幾重にも隔たって、涙の川に泣き濡れようと、昔のことを思い起こしたならば、その思ひの「火」できっと乾くだろう。
今さら言っても仕方がないが、甲斐の国の速見(へみ)の牧場に荒れ狂う馬のようなそなたを、人はどうして繋ぎ止めることができようか。勝手に振る舞えばよいとは言うものの、物心がついて、私を父親だと知っているあの子を、片親育ちにして父親恋しさに泣かせるようなことにもなろうかと思うと、それが不憫でならないのだ」
とか言って返して寄こしたのでした。――