永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(105)

2016年03月05日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (105) 2016.3.5

「ついたちの日、をさなき人をよびて『ながき精進をなんはじむる。≪もろともにせよ≫とあり』とて、はじめつ。我はた、はじめよりもことごとしうはあらず、ただ土器に香うち盛りて脇息のうへに置きて、やがておしかかりて仏を念じたてまつる。」
◆◆一日の日(四月一日か)、道綱を呼んで、「長精進を始めます。(僧侶が)一緒にせよ、とのことですよ」ということで、始めました。わたしはまあ、はじめから大げさではなく、ただ土器(かわらけ)に香を盛って脇息の上に置き、そのまま寄りかかって仏様に祈りを捧げます。◆◆



「その心ばへ、『ただきはめてさいはいなかりける身なり。年ごろをだによに心ゆるびなく憂しと思ひつるを、ましてかくあさましくなりぬ。疾くしなさせたなひて、菩提かなへたまへ』とぞ行ふままに、涙ぞほろほろとこぼるる。」
◆◆仏様に祈った内容というのは、「ただ誠に不幸な身の上でございます。今までの長い年月でさえ、心の休まる折とてなく、辛く苦しいと思っていましたが、最近はさらにとんでもない夫婦仲となってしましました。早く出家させてくださって、悟りを開かせてくださいませ。」と言うふうに勤行しながら、涙がぽろぽろとこぼれます。◆◆



「あはれ、今様は女も数珠ひきさげ、経ひきさげぬなしと聞きしとき、『あな、まさり顔な、さるものぞやもめにはなるてふ』などもどきし心は、いづちか行きけん。夜の明け暮るるも心もとなく、いとまなきまで、そこはかともなけれど、行ふとそそくままに、あはれ、さ言ひしを聞く人いかにをかしと思ひ見るらん、はかなかりける世を、などてさ言ひけん、と思ふ思ふ行へば、片時涙うかばぬ時なし。人目ぞいとまさり顔なくはづかしければ、おしかへしつつ明かし暮らす。」
◆◆ああ、当節は女も数珠を手にし、経を持たない者はいないと聞いたとき、「なんとまあ、意気地のないこと、そういう女に限って寡(やもめ)になるというのに」などと非難していたあの心はいったいどこへ行ってしまったのだろう。夜が明け日が暮れるのももどかしく、そうかといって為すこともないけれど、勤行に精をだしながら、ああ、あんなふうに言ったことを聞いた人は、どんなにおかしいと思ってみることだろうか。自分がいつ夫に捨てられるとも知れぬ身の上だったのに、と思い思い勤行をしていると、片時も涙を押しとどめることができません。人の目には意気地なしに映るだろうと恥ずかしいので、涙をこらえながら日をすごしています。◆◆


■土器(かはらけ)=薫物を置く器、土器でできているもの。

■香をうち盛り=香の煙は仏を迎えたてまつる使い。

■疾くしなさせ=疾く為成させ。その(出家)ように。

■まさり顔な=「まさり顔なし」の語幹。人に自慢できる顔つきもない。意気地が無い。

■もどきし心=非難する。

■そそくままに=「そそく」は忙しくする様。