蜻蛉日記 下巻 (183) 2017.4.8
「あるところに忍びておもひ立つ。『なにばかり深くもあらず』といふべきところなり。野焼きなどするころの、花はあやしう遅きところなれば、をかしかるべき道なれどまだし。いと奥山は鳥の声もせぬものなりければ、鶯だに音せず、水のみぞめづらかなるさまに湧きかへり流れたる。いみじう苦しきままに、かからである人もありかし、憂き身ひとつをもてわづらふにこそはあめれと思ふ思ふ、入相つくほどにぞ至りあひたる。」
◆◆あるとことにこっそりと出かけようと思い立った。「なにばかり深くもあらず」と言ってみたいような場所です。野焼きなどするころで、桜は今が咲く時期なのに、どうしたものか、本来は道々美しい桜の見られるところのはずなのに、まだまだでした。実際山の奥深いところでは鳥の声もしないものでしたから、鶯の声も耳にせず、川の水だけが勢いよくほとばしって流れています。(山奥なので徒歩)たいそう苦しくてたまらないままに、こんな苦労を味わわない人も世の中にはいるのだろう。私はつらい憂き身ひとつを持て余しているんだわ、と思い思いして、入相の鐘がなるころに寺に到着したのでした。
「御灯明などなてまつりて、ひとときばかり立ち居するほど、いとど苦しうて、夜あけぬときくほどに、雨降りいでぬ。いとわりなしと思ひつつ、
法師の坊にいたりて『いかがすべき』など言ふほどに、ことと明けはてて、『蓑、傘や』と人はさわぐ。」
◆◆み仏さまにお灯明などを上げて、数珠をひとつずつ繰っては立ったり座ったりして礼拝している間に、ますます苦しくなってきて、「夜が明けた」という声を耳にするころに雨が降ってきました。ああなんと困ったことだと思いながら、庫裏に行って、「どうしたらよいかしら」などと言っているうちに、夜がすっかり明けきって、「蓑だ、傘だ」と供人たちが騒いでいます。◆◆
「我はのどかにてながむれば、前なる谷より雲しづしづとのぼるに、いとものがなしうて、
<おもひきやあまつ空なるあま雲を袖して分くる山踏まんとは>
とぞおぼえけらし。雨いふかたなけれど、さてあるまじければ、とかうたばかりて出でぬ。あはれなる人の、身に添ひて見るぞ、我がくるしさもまぎるばかり、かなしうおぼえける。」
◆◆私自身はおちついた気分で、ぼんやりと外を眺めていると、前の谷から雲がしずかに登ってきて、それをみているとひどくもの悲しくなって、
(道綱母の歌)「思いもしなかったことです。空に浮かぶ雨雲を袖で押し分けて奥山に詣でようとは。そんなはかない身の上になろうとは。」
という歌が心に浮かんだようだった。雨がいいようもなくひどく降っているけれども、そのまま寺にいるわけにもいかず、あれこれと雨を防ぐ用意をしながら、出発しました。あのいじらしい養女が、私の身に寄り添っているのを見ると、自分の苦しさも忘れてしまうくらい、いとしく感じたことでした。◆◆
■『なにばかり深くもあらず』=「何ばかり深くもあらず世の常の比叡を外山(とやま)と見るばかりなり」大和物語43による。この歌は横川を詠んだもの。
■奥山は鳥の声もせぬもの=古今集「飛ぶ鳥の声もきこえぬ奥山の深き心を人は知らなん」
■鶯だに音せず=古今集「春やとき花やおそきと聞きわかむ鶯だにも鳴かずもあるかな」
■あはれなる人=養女。ここで養女同伴での参詣であったことが分る。
「あるところに忍びておもひ立つ。『なにばかり深くもあらず』といふべきところなり。野焼きなどするころの、花はあやしう遅きところなれば、をかしかるべき道なれどまだし。いと奥山は鳥の声もせぬものなりければ、鶯だに音せず、水のみぞめづらかなるさまに湧きかへり流れたる。いみじう苦しきままに、かからである人もありかし、憂き身ひとつをもてわづらふにこそはあめれと思ふ思ふ、入相つくほどにぞ至りあひたる。」
◆◆あるとことにこっそりと出かけようと思い立った。「なにばかり深くもあらず」と言ってみたいような場所です。野焼きなどするころで、桜は今が咲く時期なのに、どうしたものか、本来は道々美しい桜の見られるところのはずなのに、まだまだでした。実際山の奥深いところでは鳥の声もしないものでしたから、鶯の声も耳にせず、川の水だけが勢いよくほとばしって流れています。(山奥なので徒歩)たいそう苦しくてたまらないままに、こんな苦労を味わわない人も世の中にはいるのだろう。私はつらい憂き身ひとつを持て余しているんだわ、と思い思いして、入相の鐘がなるころに寺に到着したのでした。
「御灯明などなてまつりて、ひとときばかり立ち居するほど、いとど苦しうて、夜あけぬときくほどに、雨降りいでぬ。いとわりなしと思ひつつ、
法師の坊にいたりて『いかがすべき』など言ふほどに、ことと明けはてて、『蓑、傘や』と人はさわぐ。」
◆◆み仏さまにお灯明などを上げて、数珠をひとつずつ繰っては立ったり座ったりして礼拝している間に、ますます苦しくなってきて、「夜が明けた」という声を耳にするころに雨が降ってきました。ああなんと困ったことだと思いながら、庫裏に行って、「どうしたらよいかしら」などと言っているうちに、夜がすっかり明けきって、「蓑だ、傘だ」と供人たちが騒いでいます。◆◆
「我はのどかにてながむれば、前なる谷より雲しづしづとのぼるに、いとものがなしうて、
<おもひきやあまつ空なるあま雲を袖して分くる山踏まんとは>
とぞおぼえけらし。雨いふかたなけれど、さてあるまじければ、とかうたばかりて出でぬ。あはれなる人の、身に添ひて見るぞ、我がくるしさもまぎるばかり、かなしうおぼえける。」
◆◆私自身はおちついた気分で、ぼんやりと外を眺めていると、前の谷から雲がしずかに登ってきて、それをみているとひどくもの悲しくなって、
(道綱母の歌)「思いもしなかったことです。空に浮かぶ雨雲を袖で押し分けて奥山に詣でようとは。そんなはかない身の上になろうとは。」
という歌が心に浮かんだようだった。雨がいいようもなくひどく降っているけれども、そのまま寺にいるわけにもいかず、あれこれと雨を防ぐ用意をしながら、出発しました。あのいじらしい養女が、私の身に寄り添っているのを見ると、自分の苦しさも忘れてしまうくらい、いとしく感じたことでした。◆◆
■『なにばかり深くもあらず』=「何ばかり深くもあらず世の常の比叡を外山(とやま)と見るばかりなり」大和物語43による。この歌は横川を詠んだもの。
■奥山は鳥の声もせぬもの=古今集「飛ぶ鳥の声もきこえぬ奥山の深き心を人は知らなん」
■鶯だに音せず=古今集「春やとき花やおそきと聞きわかむ鶯だにも鳴かずもあるかな」
■あはれなる人=養女。ここで養女同伴での参詣であったことが分る。