永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(184)その2

2017年04月14日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (184)その2  2017.4.14

「おぼつかなうもやありけん、助のもとに『切にきこえさすべきことなんある』とて、よび給ふ。『いまいま』とてあるほどに、使ひはかへしつ。そのほどに雨ふれど『いとほし』とて出づるほどに、文とりて帰りたるを見れば、紅の薄様ひとかさねにて、紅梅に付けたり。言葉は、「石の上とふことは、知ろしめしたらんかし、
<春雨にぬれたる花の枝よりも人しれぬ身の袖ぞわりなり>
あが君あが君、なほおはしませ』と書きて、などにかあらん、『あが君』とある上は、書い消ちたり。助、『いかがせん』といへば、『あなむつかしや、道になん逢ひたるとて、まうでられね』とて出だしつ。」

◆◆右馬頭のほうは気がかりだったのであろうか、助のもとに、「是非申し上げたいことがございます」と言ってお呼びになります。「すぐ参ります」といってとりあえず使いの者を帰しました。そのうちに雨になって、「お待たせするのは申し訳ない」といって助が出かけて、お手紙を手にして戻ってきたのをみますと、紅色の薄様をひとかさねにして、紅梅の枝につけてありました。文面は、「『石の上(いそのかみ)』という古歌をごぞんじでしょうね。
(右馬頭の歌)「春雨に濡れた紅梅よりも、人知れず血に染まった私の袖の方がひどい」
あが君あが君、やはりお出でください」と書いて、どうした訳かしら、「あが君」と書いてあるところはそのうえを墨で消してあります。助が「どうしましょう」と言うので、「まあ、面倒なこと、途中で使いに逢ったと言ってお伺いしていらっしゃい」と言って兼家邸に送り出しました。◆◆



「帰りて、『<などか、御消息ここえさせ給ふあひだにても、御かへりのなかるべき>と、いみじううらみきこえ給ひつる』など語るに、いま二三にちばかりありて、『からうして見せたてまつりつ。のたまひつるやうは、<なにかは、いま思ひさだめてとなん言ひてしかば、返りことははやう推し量りてものせよ。まだきに来むとあることなん、便なかめる。そこに娘ありといふことは、なべて知る人もあらじ。人、異様にもこそ聞け>となんのたまふ』ときくに、あな腹だたし、その言はん人を知るはなぞ、と思ひけんかし。」

◆◆助は帰って来て、「右馬頭さまは『どうして、殿にお問合せをなさっている間でも、ご返事いただけない筈はないでしょうに』と大変お恨みになってお出ででしたよ」などと話して、さらに二、三日くらい経って、助が、「やっと父上にあの手紙をお見せしました。そしておっしゃるには、『なに、かまわない。そのうちにこちらの返事はすると言っておいたから、そちらから返事は早くよいように書いておけばよい。まだ年頃でもないのに、通って来たいなどと言っているのは具合が悪い。第一、そちらに娘がいるなどとは世間では知っていないだろう。変な噂がたっては困るよ』とおっしゃっていました」ということを聞いて、何と腹立たしいこと。その誰もが知らないはずの娘のことを右馬頭が知っているのはなぜ?そもそもあの人が漏らしたからではないかと思ったことでしたよ。◆◆


■『石の上(いそのかみ)』=古今集「石上(いそのかみ)ふるとも雨にさはらめや逢はんと妹にいひてしものを」(雨が降っても来て欲しいという気持ちをあらわしている)