一〇〇 ねたきもの (113) その2 2019.3.13
見すまじき人に、ほかへやりたる文取りたがへて持て行きたる、いとねたし。「げにあやまちてけり」とは言はで、口かたうあらがひたる。人目をだに思はずは、走りも打ちつべし。おもしろき萩、薄などを植ゑて見るほどに、長櫃持たる者、鋤など引きさげて、ただ掘りに堀りていぬるこそ、わりなうねたかりけれ。よろしき人などのあるをりは、さもせぬものを、いみじう制すれど、「ただすこし」など言ひていぬる、言ふかひなくねたし。受領などの家に、しもめなどの来て、ながめに物言ひ、さりとてわれをばいかが思ひたるけはひに言ひ出でたる、いとねたげなり。
◆◆見せてはならない人の所へ、余所へ送った手紙を取り違えて持って行っているのは、ひどくいまいましい。使いの者が、「なるほど間違えてしまいました」とは言わないで、頑固に抗っているの。人目をさえ気にしないなら、走って行って打ってしまうだろう。風情のある萩、薄などを植えて眺めてみている間に、長櫃を持った者が、鋤などを引き下げて来て、ひたすら掘るに掘って立ち去って行くのこそはどうしようもなく忌々しかった。相当な地位、身分の人のいる時には、そんなことはしないものを、ひどく止めるけれど、「ほんの少しだけ」などと言って行ってします。言う甲斐もなくいまいましい。受領などの家に、下僕などが来て、無礼な風に口を利き、そうしたところで自分をいったいどう思っているのかという口つきで言葉に出しているのは、たいそう忌々しい感じだ。◆◆
■長櫃(ながびつ)=長方形の、足のついた長持ち。二人でかつぐ。
■受領(ずりょう)=国司交代の際、新任国司が前任国司から事務を引き継ぎ、官物を受領うることからの名。その折の新任の国司の長官をいう。受領は都の権力ある貴族からはばかにされていた。
■しもめ=「しもべ」と同じか。
見すまじき人の、文を引き取りて、庭におりて見立てる、いとわびしうねたく、追ひて行けど、簾のもとにとまりて見るこそ、飛びも出でぬべき心地すれ。
◆◆見せてはならない筈の人が、手紙を引っ張り取って、庭に下りて立って見ているのは、とてもやりきれなく、忌々しくて追いかけて行きたいけれど、女性は簾(すだれ)より外に出るわけにはいかないので、簾のもとに立ち止まって見ているのこそ、今にも飛び出して行ってしまいたい気持ちがするものだ。◆◆
すずろなる事腹立ちて、同じ所にも寝ず、身じくり出づるを、しのびて引き寄すれど、わりなく心こはければ、あまりになりて、人も「さはよかンなり」と怨じて、かいくくみて臥しぬる後、いと寒きをりなどに、ただ単衣ばかりにて、あやにくがりて、おほかた皆人も寝たるに、さすが起きゐらむ、あやしくて、夜のふくるままに、ねたく、起きてぞいぬべかりけるなど思ひ臥したるに、奥にも外にも、物うち鳴りなどしておそろしければ、やをらまろび寄りて、きぬ引きあぐるに、空寝したるこそ、いとねたけれ。「なほこそこはがりたまはめ」などうち言ひたるよ。
◆◆つまらないことに女が腹をたてて、男と一つ所に寝ないで、蒲団から身じろぎをして抜け出るのを、男がこっそり引き寄せるけれど、むやみに強情なので、あまりのことにと思って、男も「それならそのままで良さそうなんだね」と恨んで、夜具を引きかぶって寝てしまった後で、ひどく寒い折などに、ただ単衣(ひとえ)だけで、ちぐはぐな気持ちで不愉快で、もうほとんどの人が寝ているときに、そうはいっても起きているのは変なので、夜が更けるにつれて、忌々しくて、さっき起きて出て行けばよかったなどと思って寝ていると、奥の方でも、外の方でも何か音が鳴って恐ろしいので、そっと男の方へ転がって寄っていって、夜具を引き上げると、たぬき寝入りしているのこそ、ひどく忌々しい。なんとまあ、「そのままやはり強情を張っていらっしゃるのが良い」などと言っていることよ。◆◆
■身じくり=不審、仮に「身じろき」の説にしたがう。
見すまじき人に、ほかへやりたる文取りたがへて持て行きたる、いとねたし。「げにあやまちてけり」とは言はで、口かたうあらがひたる。人目をだに思はずは、走りも打ちつべし。おもしろき萩、薄などを植ゑて見るほどに、長櫃持たる者、鋤など引きさげて、ただ掘りに堀りていぬるこそ、わりなうねたかりけれ。よろしき人などのあるをりは、さもせぬものを、いみじう制すれど、「ただすこし」など言ひていぬる、言ふかひなくねたし。受領などの家に、しもめなどの来て、ながめに物言ひ、さりとてわれをばいかが思ひたるけはひに言ひ出でたる、いとねたげなり。
◆◆見せてはならない人の所へ、余所へ送った手紙を取り違えて持って行っているのは、ひどくいまいましい。使いの者が、「なるほど間違えてしまいました」とは言わないで、頑固に抗っているの。人目をさえ気にしないなら、走って行って打ってしまうだろう。風情のある萩、薄などを植えて眺めてみている間に、長櫃を持った者が、鋤などを引き下げて来て、ひたすら掘るに掘って立ち去って行くのこそはどうしようもなく忌々しかった。相当な地位、身分の人のいる時には、そんなことはしないものを、ひどく止めるけれど、「ほんの少しだけ」などと言って行ってします。言う甲斐もなくいまいましい。受領などの家に、下僕などが来て、無礼な風に口を利き、そうしたところで自分をいったいどう思っているのかという口つきで言葉に出しているのは、たいそう忌々しい感じだ。◆◆
■長櫃(ながびつ)=長方形の、足のついた長持ち。二人でかつぐ。
■受領(ずりょう)=国司交代の際、新任国司が前任国司から事務を引き継ぎ、官物を受領うることからの名。その折の新任の国司の長官をいう。受領は都の権力ある貴族からはばかにされていた。
■しもめ=「しもべ」と同じか。
見すまじき人の、文を引き取りて、庭におりて見立てる、いとわびしうねたく、追ひて行けど、簾のもとにとまりて見るこそ、飛びも出でぬべき心地すれ。
◆◆見せてはならない筈の人が、手紙を引っ張り取って、庭に下りて立って見ているのは、とてもやりきれなく、忌々しくて追いかけて行きたいけれど、女性は簾(すだれ)より外に出るわけにはいかないので、簾のもとに立ち止まって見ているのこそ、今にも飛び出して行ってしまいたい気持ちがするものだ。◆◆
すずろなる事腹立ちて、同じ所にも寝ず、身じくり出づるを、しのびて引き寄すれど、わりなく心こはければ、あまりになりて、人も「さはよかンなり」と怨じて、かいくくみて臥しぬる後、いと寒きをりなどに、ただ単衣ばかりにて、あやにくがりて、おほかた皆人も寝たるに、さすが起きゐらむ、あやしくて、夜のふくるままに、ねたく、起きてぞいぬべかりけるなど思ひ臥したるに、奥にも外にも、物うち鳴りなどしておそろしければ、やをらまろび寄りて、きぬ引きあぐるに、空寝したるこそ、いとねたけれ。「なほこそこはがりたまはめ」などうち言ひたるよ。
◆◆つまらないことに女が腹をたてて、男と一つ所に寝ないで、蒲団から身じろぎをして抜け出るのを、男がこっそり引き寄せるけれど、むやみに強情なので、あまりのことにと思って、男も「それならそのままで良さそうなんだね」と恨んで、夜具を引きかぶって寝てしまった後で、ひどく寒い折などに、ただ単衣(ひとえ)だけで、ちぐはぐな気持ちで不愉快で、もうほとんどの人が寝ているときに、そうはいっても起きているのは変なので、夜が更けるにつれて、忌々しくて、さっき起きて出て行けばよかったなどと思って寝ていると、奥の方でも、外の方でも何か音が鳴って恐ろしいので、そっと男の方へ転がって寄っていって、夜具を引き上げると、たぬき寝入りしているのこそ、ひどく忌々しい。なんとまあ、「そのままやはり強情を張っていらっしゃるのが良い」などと言っていることよ。◆◆
■身じくり=不審、仮に「身じろき」の説にしたがう。