じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ネパールの小ネタ

2015-12-22 20:34:42 | ネパール旅日記 2015

なんでも無い風景なのだが・・・


なんでもない農村風景・・・好きなんです


家族で田を耕す風景・・・懐かしいです


棚田 美しいと見るか 大変だなと見るか


トラクターも耕耘機も無理 牛しか無いな


棚田が作れるのは条件の良い所なのです


棚田の多くは陸稲(おかぼ)のようです


雄鶏の威厳に自分は男として負けた気がした

もうヒマラヤのクライミングは出来ないし、そんなに遠く無い将来、トレッキングルートを行くのも怪しくなると思う。
それでも私はヒマラヤの風に吹かれたいし陽にも焼かれたい。
そうしたら、石段の農村地帯をゆっくりゆっくり周るのが良いと思っているのだ。
その時にはネパールの農村風景を撮り歩きたいと思っているのだ。
ネパールも少しずつ変っている。
道路はもっと奥まで達し人の暮らし向きも変るのだろうと思う。
それを寂しいと思うのは私の傲慢だ。
棚田の先に電信柱が写りマチャプチャレの山頂と電線が重なっても良いと思うのだ。

ネパールは良いのだ。
ヒマラヤは良いのだ。
素朴さと理不尽さを含めて好きなのだ。





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チョムロン~ヒマラヤ

2015-12-22 15:10:14 | ネパール旅日記 2015

 11月20日(金曜日)快晴 目的地 ヒマラヤ(2920m)

今朝の支払い 1750Rs(2059円)宿代300Rs
ビール+ベジタブルピザ+ミルクティー3杯+パンケーキ+紅茶をポットで

6時起床 7時朝食 8時出発

チョムロンは谷間で朝の日差しが遅れて来る。
周囲は既に明るくなっているのだが朝陽が当たらずぼんやりと暗いのだ。
その様子は高所のヒマラヤと違って厳しさが無くどことなくアジア的であった。


マチャプチャレに朝陽が当る


朝もやにけむる山間の集落


ヒマラヤロッジの朝


ネパール的猿のいる風景(珍しい猿らしい)


アジア的朝の風景


日本人的部屋の散らかし具合

チョムロンを出るとすぐに石段で400mほど一気に下った。
そして、下った分以上の登り返しが待っていて、未だ幾らも歩いていないのに気持ちが萎えた。
昨日のアップダウンは心身ともに参った感じであったが本日も負けず劣らずのアップダウンだった。
しかも、今日のコースは石段が多く歩幅が決められるので余計に辛く感じた。

一気下りの石段を駆けるようにして下っていた女性が汗を拭いつつジャケットを脱ぐのに立ち止まっていた。
Rajuもそこでジャケットを脱ぐと言ってザックを降ろした。
Rajuは何か理由を見つけては女性のトレッカーに近づこうとするのだ。
お前、誰のポーターなんだ?と言いたくなる場面もあるのだが、ネパール人には何を言っても虚しいだけなのを学習済みなので黙っていた。
彼女の名前はリーでマレーシアから来ていて年齢は38歳と、Rajuが後で教えてくれた。
リーとはこの後、訳あって同じ部屋で眠る事になるのだが、この時は良く喋る煩い人だな、と思って敬遠していた。

10時00分 シヌワ着 15分休憩 
チョムロンから3キロほどの石段登りに2時間かかった。
石段の周りには民家が点在し棚田が美しかった。
自分が喘ぎながら登る石段を通学の子供らが駆け上がって行った。
氷河のヒマラヤの村と違って何処かに豊かさを感じさせるのは米が穫れるからだろうか。
しかしのどかな田園風景はシヌワまでで、この先にはトレッカー用の宿があるだけで民家は無くなる。
シヌワから先は日本の山道に似て歩きやすかった。
とくにバンブー近辺は名前の通り竹林が多くまるで日本の山道そのままだった。

11時30分 バンブー着 昼食(チキンバーガーが美味かった)
12時15分 バンブー出発
バンブーの先の竹林の中で身体の毛は白なのに顔が真っ黒の猿に出会った。
ハヌマン・ラングールはオナガザル科の少し大きめな猿で神様の使いだとか。
Rajuが知らないのでヒンドゥー教の関係では無いのかもしれない。

14時00分 ヒマラヤ着
自分の持つ旧いガイドブックにはヒマラヤは一軒宿と書かれていたが二軒に増えていた。
自分が到着した時、他に客がいなかったので好きな部屋が選べた。
しかし、横並びに5部屋と離れに4部屋程度の小さな宿で何処を取っても似たような物なのだが。

日没近くに騒がしい声を立ててリーがやって来た。
水場で洗濯をしていた自分を見つけて大騒ぎしつつ部屋の料金を確かめ「ここに決めた」と言った。
ああ、これで話し相手には事欠かないが機関銃英語に攻められる覚悟が必要になった。

夕食時、リーの徹底した節約に脱帽した。
宿代の他には夕食に一品と、朝食に一品と、飲み物は自前のポットにお湯を貰いスティックコーヒーなどを飲んで支払いを押さえるのだった。
トーストやチベットパンを頼むとバターやジャムは別料金なのだが彼女はカトマンズのスーパーで買ったピーナツバターを持って節約していた。
この日の夜、リーの旅の武勇伝を聞いた。
彼女は筋金入りのバックパッカーで、世界中を歩いていた。
アンナプルナベースキャンプへのトレッキングは少し時間が空いたので暇つぶしにやって来たそうで、この後は12月5日から北海道のニセコのスキー場で春までのアルバイトが決まっているのだと言った。
そんな話しが出る頃には既に旧知の友人の話し振りになり、当然北海道に遊びに来るんでしょう?と言われ、バイトが終わったら当然仙台に招待してくれるんでしょう?と、機関銃英語で畳み込まれたのだ。
自分はツボルグのビールを飲みながら、うんうんと頷きながらOKを連発するのだった。

8時就寝







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朝の独り言(雑談)

2015-12-22 08:24:20 | 日記的雑談
朝飯を食べた・・・塩鮭と昆布の佃煮と、昨夜の残りの豚汁だった。
ちょっと迷ったんだが・・・最初は「朝飯は食べた」で始めたのだのだが・・・。
朝飯「は」にしてしまうと、んじゃぁ、その後の展開として「昼飯はどーなんだ」みたいな事にならないと「は」は変だし、余程退っ引きならない事でも勃発しない限りは昼飯も食訳で・・・やっぱし「は」は無いな、と言う事で「を」にした訳です。
しかし「朝飯を食べた」と何の引っかかりも無い事実をベロンと出してしまった今、その後に続く言葉が無い訳です。
状況説明として、鮭や佃煮や豚汁を列べてみても、だからナンなんだ、と言う事な訳で・・・ああ、そっか「は」と「を」の問題では無しに、全てが駄目だったのね、そっか。

と、言う事で、我が家地方は11月下旬並みの暖かさと言う火曜日の朝を迎えている訳でありますが、皆様に置かれましては如何お過ごしで在りましょうか?
やっぱし火曜日で22日で、冬至なんでありましょうね?
そして年末の慌ただしさの中で七転八倒などしているのでしょうね。
良いお年をお迎えください・・・いや、未だ早すぎるな。

と、まぁ、こう言うドーでも良い事を長々と引っ張る時と言うのは毎度の事ですが、ネタが無い訳です。
庭には育ち盛りのキャベツと白菜とイチゴの花が咲いているんですけれども、それはあんましフォトジェニックでも無くお見せする程のモノでも無く、ネタになりませぬ。

ああ、そーだ、昨日フィリピンからXmasaカードが届いたんで久しぶりに電話をしてみた訳です。
お互いに近況報告などした訳ですが・・・自分は、マザー・イン・ロー パタイ ラストイヤー アンド マイ マザー サンタマリア オクトーバーと、言うと、オー マイ、 ユーノーBombee リッキー パタイ ラストマンス アンド ヤヨイ アンド ペドロ パタイ ラストイヤー・・・ ダグハン パタイ ナ(大勢死んだな) と、言う事で、死んだ話しばかりになっちまった訳です・・・ミンガォ ナ(寂しいな)で、しばし無言になっちまいました。
しかし、当方のパタイは二人とも天寿でありまして下手すると祝い事な訳ですが、あっちのは、リッキーが45歳でパイクの酔っぱらい運転で逝っちまい、ヤヨイは60歳そこそこで心筋梗塞で、ペドロは船から海に落ちて行方不明・・・結果は一つなのでありますが、中身が違い過ぎると言う事で、これもお国柄と言う事なのでありましょうか?

いや、書きたかったのはそんな事ではなく、あんましパッとしない人が死んだ話しなどしてふと見ると通話時間が20分過ぎ・・・65円×20分=1300円・・・ンじゃなぁ~と、挨拶もそこそこに切った訳です。

2年振りに電話したのに Helloと言った瞬間に Oh Bombee cumusta?と、一発で分る訳でして・・・切れない縁だなぁ~なんてしみじみ思った次第であります。
ちなみにBombeeは私のフィリピンでの名前でして、漢字で書いて「貧乏」をひっくり返した訳ですが、RPGゲームのキャラが出るより相当前からのネームであります。

で、フィリピンに置いて来た家がある訳ですが、J-poyが言う訳です・・・イモン バライ Okラン マーヨ ナ、と。
お前の家は大丈夫だよ、と、言う訳です・・・もう5~6年もペンキも塗っていないのに大丈夫な筈は無いんで、自分が行けばまた金蔓になると踏んで呼び寄せようと企んでいるのは明白・・・でも、行きたいなぁ。

いや、これを読んで大いなる矛盾を感じる方が大半だと思う訳ですが・・・フィリピン人と日本人の関係の殆どは、日本人の仏の心と、フィリピン人のマリア信仰の心な訳で、日本人が喜捨する事で成り立つ訳であります。
簡単に言うと、日本人が喜捨の心で「お金」と言う現物を差し出し、代わりにキリスト教の慈愛に満ちた「歓待」を受けるのであります。
貴方・・・フィリピン人のホスピタリティーを舐めてはダメでありますよ。
それはモー・・・モーと言っても牛じゃないんですけれども、控えめな所の無い赤ら様な心地良さを醸し出す訳でして、並の神経じゃ逃げられません。

あっ・・・東京市場が開いたので「仕事」に行きます。




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