11月20日(金曜日)快晴 目的地 ヒマラヤ(2920m)
今朝の支払い 1750Rs(2059円)宿代300Rs
ビール+ベジタブルピザ+ミルクティー3杯+パンケーキ+紅茶をポットで
6時起床 7時朝食 8時出発
チョムロンは谷間で朝の日差しが遅れて来る。
周囲は既に明るくなっているのだが朝陽が当たらずぼんやりと暗いのだ。
その様子は高所のヒマラヤと違って厳しさが無くどことなくアジア的であった。
マチャプチャレに朝陽が当る
朝もやにけむる山間の集落
ヒマラヤロッジの朝
ネパール的猿のいる風景(珍しい猿らしい)
アジア的朝の風景
日本人的部屋の散らかし具合
チョムロンを出るとすぐに石段で400mほど一気に下った。
そして、下った分以上の登り返しが待っていて、未だ幾らも歩いていないのに気持ちが萎えた。
昨日のアップダウンは心身ともに参った感じであったが本日も負けず劣らずのアップダウンだった。
しかも、今日のコースは石段が多く歩幅が決められるので余計に辛く感じた。
一気下りの石段を駆けるようにして下っていた女性が汗を拭いつつジャケットを脱ぐのに立ち止まっていた。
Rajuもそこでジャケットを脱ぐと言ってザックを降ろした。
Rajuは何か理由を見つけては女性のトレッカーに近づこうとするのだ。
お前、誰のポーターなんだ?と言いたくなる場面もあるのだが、ネパール人には何を言っても虚しいだけなのを学習済みなので黙っていた。
彼女の名前はリーでマレーシアから来ていて年齢は38歳と、Rajuが後で教えてくれた。
リーとはこの後、訳あって同じ部屋で眠る事になるのだが、この時は良く喋る煩い人だな、と思って敬遠していた。
10時00分 シヌワ着 15分休憩
チョムロンから3キロほどの石段登りに2時間かかった。
石段の周りには民家が点在し棚田が美しかった。
自分が喘ぎながら登る石段を通学の子供らが駆け上がって行った。
氷河のヒマラヤの村と違って何処かに豊かさを感じさせるのは米が穫れるからだろうか。
しかしのどかな田園風景はシヌワまでで、この先にはトレッカー用の宿があるだけで民家は無くなる。
シヌワから先は日本の山道に似て歩きやすかった。
とくにバンブー近辺は名前の通り竹林が多くまるで日本の山道そのままだった。
11時30分 バンブー着 昼食(チキンバーガーが美味かった)
12時15分 バンブー出発
バンブーの先の竹林の中で身体の毛は白なのに顔が真っ黒の猿に出会った。
ハヌマン・ラングールはオナガザル科の少し大きめな猿で神様の使いだとか。
Rajuが知らないのでヒンドゥー教の関係では無いのかもしれない。
14時00分 ヒマラヤ着
自分の持つ旧いガイドブックにはヒマラヤは一軒宿と書かれていたが二軒に増えていた。
自分が到着した時、他に客がいなかったので好きな部屋が選べた。
しかし、横並びに5部屋と離れに4部屋程度の小さな宿で何処を取っても似たような物なのだが。
日没近くに騒がしい声を立ててリーがやって来た。
水場で洗濯をしていた自分を見つけて大騒ぎしつつ部屋の料金を確かめ「ここに決めた」と言った。
ああ、これで話し相手には事欠かないが機関銃英語に攻められる覚悟が必要になった。
夕食時、リーの徹底した節約に脱帽した。
宿代の他には夕食に一品と、朝食に一品と、飲み物は自前のポットにお湯を貰いスティックコーヒーなどを飲んで支払いを押さえるのだった。
トーストやチベットパンを頼むとバターやジャムは別料金なのだが彼女はカトマンズのスーパーで買ったピーナツバターを持って節約していた。
この日の夜、リーの旅の武勇伝を聞いた。
彼女は筋金入りのバックパッカーで、世界中を歩いていた。
アンナプルナベースキャンプへのトレッキングは少し時間が空いたので暇つぶしにやって来たそうで、この後は12月5日から北海道のニセコのスキー場で春までのアルバイトが決まっているのだと言った。
そんな話しが出る頃には既に旧知の友人の話し振りになり、当然北海道に遊びに来るんでしょう?と言われ、バイトが終わったら当然仙台に招待してくれるんでしょう?と、機関銃英語で畳み込まれたのだ。
自分はツボルグのビールを飲みながら、うんうんと頷きながらOKを連発するのだった。
8時就寝