11月5日 木曜日 快晴 今日の目的地 チャムチェ
5時半起床 7時朝食 8時出発
昨夜の晩飯代と朝食と宿代で890ルピーを支払った。
内訳は宿代が300RS
夕食(モモと言うネパール餃子)+ブラックティー=340Rs
朝食 コーンブレッド(トウモロコシの粉で焼くパン)+ブラックティー=250Rs
夕食の時、流暢な日本語で話し掛けられたのでつい返事をしてしまったのが運の尽き・・・娘が日本人結婚していて、だから日本語を覚えたと言うオバチャンにチベット名物と言うアレコレを売り込まれ逃げられなくなってしまった。
仕方が無いので左程欲しくも無い、一番安いからと言う理由でチベット文字で真言が掘られたブレスレットを買った・・・買わされた、か?
その後、ユーケーにも売り込みを掛けていたが、彼にはイギリス人の友人が沢山居てドーのコーのと言っていた。
ネパールのトレッキングでは標高に比例して宿代と食事代が高くなり、料金に反比例して全ての質が下がって来る。
ここは大きな街のベシサハールから近いので物資の輸送費が安く済む。
なので宿代も食事代も安いのだが、一番高い所まで行くとこれの3倍まで騰がる。
それは全てが輸送費と言う建前では有るが、実際は多少足下を見られているのは否めない。
でも、駄々を捏ねてもそれしか無いのでどうにもならないので誰も文句は言わないし、元が安いので財布への影響も大した事は無い・・・そーでも無いか?
燃料が来ないのでトラックや重機が動かず工事は止まっていた
近郷近在の若者が工事現場で職を得ている、らしい
歩き始めてすぐ、中国の資金で建設されているダムと水力発電施設の工事現場に出会した。
一昨年は道の途中のトンネル工事が盛んであったがそれは昨日バスで通って完成した事が伺えた。
道は工事資材運搬が目的なのでここまでは比較的まともな道である。
大型車両が来られるのはここまでで、この上はネパールの山岳地帯の「酷道」と言うべきジープロードになる。
成る程なぁ~と、感心する・・・つい最近政治体制が変ったらしいネパールは、すっかり中国寄りの体制になったと聞いていたが、実利として目に見える物を示されれば国民の気持ちも傾いて当然と思う。
やるなぁ~中国も、と。
その昔、ネパールの山間地に適した小型の水力発電を提供して電灯を灯したのは日本人だったが、その話しも遠くなったのかとんと聞かなくなった。
まっ、ネパールと中国は国境線を接しつつ、その向こう側にはインドが有って微妙な関係になっている。
そんな事からも中国はネパールを見方にしておきたいのは良く判る・・・なんであれ、遠く離れた日本が力一杯援助するべき国ではないとは思うが。
旅の話しには無関係なのだが・・・経済的に未開の地では、まず、地域住民への援助として道路整備が行われ、次に電力の供給が為され、そして商業施設が乗り込んで来るのが常じゃないかと思う。
道路が無ければ車やバイクは売れないし、開発も進まない。
電気が無ければ工業製品は売りようが無いのでそれも合わせて援助して、市場整備に目処が立つと商業施設が乗り込んで来ると言う図式をアジアのあちこちで何度目にした事か。
そして、今までは殆ど現金の必要がなかった辺鄙な地域の住民は、電気料金や携帯電話の通信費と言う固定費やバイクの為の燃料費の為に働かなくてはならなくなる。
昭和の頃の日本のODAも今の中国の対途上国援助も下心は同じなんだろうと思う。
しかしそれが悪だとも言い難く、誰だって電気のある便利な暮らしを望むのは当たり前・・・分かってはいるが、どこか割り切れない思いがするのも拭えない。
標高は低いが山は急峻で平地は殆ど無い
10時 バウンダンダ着
一昨年泊まったロッジに立ち寄りブラックティーを一杯飲んだ。
このロッジは急な石段を上って来て休むのにうってつけの場所で数人のトレッカーがお茶を飲んでいた。
軽く休憩して次の目的地シャンゲを目指した。
現在稼働中の水力発電所 この施設は大きい方だ
マルシャンティ コーラ沿いの山の斜面に切られた道を行く。
インドとの揉め事でガソリンが入って来ないのでジープロードはバイクも車もごく希にしか走っていず土埃が無くて歩きやすかった。
12時 シャンゲ着 昼食
ここでとんでもない事に気がついた・・・バウンダンダの休息をしたロッジにカメラを置いて来てしまったのだ。
取りに戻るしか無いのだが、下って1時間半、登って2時間・・・昼飯を食べてすぐに出ても早くて4時頃になる。
谷間の道の夕暮れは早く4時と言うと日は影って心細い時間になる。
一瞬諦めるか?とも思ったが、今回のメインのフジのカメラの方なのでそれはすぐに打ち消した。
昼飯を食べながらRajuに「今日はこの宿泊まりにしてお前はここでのんびりしていてくれ、俺はバウンダンダにカメラを取りに戻って来るから」と言った。
すると大きな声で、なんでもっと早く言わないの~と言う感じで、少し前にあの宿で休憩していた友達が出発したのに、と言うではないか・・・そっかぁ、電話と言う手も有ったなと、更に落ち込んだ。
すると昼飯を食べ終わったRajuが「カメラは有ったから俺が言ってくるわ」と言ってくれた・・・「そっかぁ、悪いな、ボーナス弾むわ」と冗談を言い、途中で飲むようにとコーラを一本買って持たせた。
結局Rajuの足でも往復4時間かかり、戻って来たのは5時近かった。
少し疲れた顔のRajuを見て、行かなくて良かったと思った。
何故にカメラを忘れた事にずっと気がつかなかったのかと言うと、右膝の調子が悪く時折痛みが来て写真を撮るどころではなくここまで歩いて来たからなのだ。
歩いている間中「引き返すなら早い方が良い。標高を上げないうちなら戻るのも楽だ」なんて事を考えていたのだった。
しかし、黙って待っていても暇なのでシャンゲの村を歩いてみる事にした。
この村はマルシャンティー コーラの河岸段丘で出来たわずかな平地でコメを作っていた。
ちょうど刈り入れ時らしく村人があちこちで農作業をして居た。
こんなチャンスも滅多に無いと思い、コンパクトカメラを持って右足を気にしつつも探索に出向いた。
農作業の現場に顔を出し忙しく働く人に、なんとなく話しかけ「この辺は二期作とか二毛作か?」と尋ねたが言葉が上手く通じなくてあやふやだった。
しかし、亜熱帯だが二期作は無い様子で、田圃を休ませつつ二毛作をやっているのかと思う。
3時頃から雲行きが怪しくなり雷鳴が聞こえたので宿へ戻った。
Rajuが戻るまで降らない事を願いつつ、宿で手持ちの本など読んで過ごした。