11月10日(火曜日) 快晴 目的地 マナン(3540m)
五時半起床 七時朝食 八時出発
今朝の支払い・・・1790Rs(2106円)
内訳・・・部屋代350Rs スパゲッティートマトソース+紅茶をポットで+ゆで卵2個+チャパティー+ミルクティー
流石に3000mを超えたので朝晩は冷え込む、が、それでも2年前のような切なくなる程の寒さは感じない。
一昨年、寝袋の中で日記を書くのに手袋をして居た。
ノートの紙が冷たくて素手では触りたく無くて手袋をして居たのだが、今回は朝方だけ手袋をするものの後は殆ど使わない。
毛糸の帽子も然りで今年は朝晩しか被らないが、一昨年は日中歩いている時も被っていた。
山を見ると雪は多く見えるのだが・・・自分が慣れたのか?
ピサンの村からマナンまでの道も楽な道で、標高を上げるにつれ辺りの景色が荒涼としてチベット風になって行く変かが楽しい。
そして、マナン近くから牛が水牛からヤクに変る。
本日の標高差は地図読みで440mで、距離が15キロ以上はある。
440mを15キロで登ると言うのはとても緩やかに登る。
だから、それほどきつくは無い筈なのだが標高が上がった事で息苦しさが始まり、昨日ほどの余裕は無くなる。
調子の悪い人だとマナンまでの間に高度障害に苦しみピサンに戻って仕切り直す事もある。
殆どのトレッカーはマナンの街で二泊する。
4000mに入る前に連泊し近くの丘などに登って高度順応を促すのだ。
マナンの街はこの地方最大の街で銀行や郵便局などがあり滞在にも便利なのだ。
今は携帯電話が何処でも通じるので重要性は減ったが、少し前まではこの街で使える電話が貴重だった。
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フムデの村から振り返るとピサンピークが良く見える
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ルーフトップレストラ 屋根の上は見晴らしが良い
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たぶんアンナプルナ3(7555m)
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荒涼とした風景の先にピサンピークの山並みが見える
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標高が高く寒い所でしか飼えないヤク チーズが美味い
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40~50キロにもなる薪の籠を背負う女性
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山の日暮れは早いが高山は残照で燃える
朝方はガチガチに凍っていた道も陽が当たるとすぐに溶けて林の中はぐちゃぐちゃで歩き難くなった。
だからとてジープロードは味気ないし、と言う事で、先日降った雪が残るヤクやロバの道を選んで歩いた。
今朝久しぶりに血中の酸素濃度を測ったら83%まで落ちていた。
この値だと完全に順応できていないのかもしれないと思い用心の為にダイヤモックス(高度障害を緩和すると言われる薬)の1ミリグラムを半分服用した。
Raju君の事(職種はポーター 荷物背負い)
家を出る時の意気込みでは全ての荷物を背負って歩き通す筈だったのだが、様々な経緯があって・・・と、まぁそんな大袈裟でもないのだが、成り行きでお供を連れて歩く事になった。
カトマンズのツーリスト会社で紹介されたのがRajuで、彼の日当は一日12ドル(1500円)だった。
決めてはここだったかも知れない。
もしももう少し高かったら断っただろう。
自分は未だ三回めのネパールだが、通算での滞在日数は既に2ヶ月を越えていてタメル地区での情報収集もそれなりにした結果、ポーターだけを雇って12ドルで済ませるのはけっこう安いと判断した。
この手のリクエストを聞いてくれるトレッキングの会社は少ない。
特に日本人相手の会社ではガイドとセットで斡旋して来るので見つけるのは難しい。
ただし大前提は、ポーターはガイドでは無いので荷物を背負う事以外は期待しない方が良いと言う事だ。
宿での部屋取り競争や、先々の情報収集などはガイドなら当たり前だが、そんな報酬は払っていないので何もしてくれなくても文句は言えない。
しかし手はあって、このトレッキングが快適に上手く終わったらボーナスを弾むから宜しく、などと言っておけばその気になって気を使ってくれる。
まっ、人に依るとしか言えないのだが、Rajuは完璧にガイドと同じ仕事をしてくれたので自分は大当たりだった。
しかも未だ26歳なのに父親も兄弟もガイドやポーターと言う家系で既に7年のキャリアが有り、ルートもコツも呑み込んでいた。
ちなみにボーナスは人それぞれとは言うもののポーターとガイドで相場はあると日本語のガイドブックには書かれている。
ポーターが1日2~3ドルで、ガイドは3~5ドルだそうだ。
しかし、自分がユーケーと話すとそんな決まりは無いと言う。
働き如何ではゼロだってし方が無い、ボーナスじゃ無くてチップだ、とも言った。
自分にとっては荷物を背負ってくれる事は勿論だが、毎日一人では無いと言うのが一番だった。
例えお互いが頓珍漢な英語でも会話が出来ると言うのは嬉しかった。
もしRajuが居なかったら、毎日宿に入るまでひと言も話さず、宿でもユーケーが居なかったら恐らく無言だったはずだ。
そのユーケーともマナンの街でお別れだったし。
ピサンからマナンまでの道は少しずつチベット風の荒れた風景に変って行き、否が応でも気分が高揚する。
自分はティリチョレイク(5000m)へ回り道するがユーケーは真っ直ぐトロンパス(5416m)へ向う。
マナンからトロンパス越えは2泊3日だ。
森林限界近くの荒れた景色は、ここで高度順応を完璧に決めてトロンパス越えに挑むトレッカーの気持ちを引き締める。
マナンの宿へは2時頃に着いた。
ユーケーが先に着いていて出迎えてくれ、シャワー付きの部屋が取れたから後で浴びに来いと誘ってくれた。
自分は離れのコテージの静かな場所で、日当り抜群で気に入った。
部屋のすぐ傍に水道があって洗濯をするのに好都合だった。
既に2時過ぎだったのでズボンは無理としても、山シャツなら乾くだろうと着ていた服を全部洗った。
マナンの街には沢山の宿があり、今年はトレッキング客は少ないのに宿は殆ど満員だった。
他所のガイドに、ここと数件の宿に客が集中しているのだが、その訳は食事の美味さだと教えられた。
確かに、この宿はベーカリーを併設していて焼きたてのパンやらケーキが美味そうだった。
この日の夜の食堂は二つともほぼ満員で、また、ユーケーと自分とドイツ人の彼で座った。
今夜は英語の授業は勘弁してくれと断って一人だけ先に食事を終えた。
近くのコーヒーショップに本物のコーヒーがあると言うのを聞きこんで行って見たのだ。
しかし、そこも混んでいて、しかも、見覚えのあるフランス人の団体が居たので退散してきた。
7時半就寝