11月22日(日曜日) 快晴 目的地 シヌワ(2360m)
朝の支払い 1810Rs(2130円)宿代150Rs
トマトと野菜のピザ+ミルクティー2杯紅茶をポットで+グルンブレッド+フライドエッグ
6時起床 7時朝食 8時出発
氷河の下の谷間に隠れた標高4100mは寒かった。
毛布を借りるのも面倒なので着込んで寝たのだが朝方は寒くて目が覚めた。
ヘッドライトを点けてガサゴソしていたらリーも起きてモゾモゾと準備を始めた。
リーが、昨夜ドアをノックした人は誰だったのかと訊くので、隣の中国人のガイドだったと答えた。
昨夜12時頃、けたたましくドアを叩かれ私が起きて出たのだが、部屋を間違えた隣のガイドだったのだ。
人騒がせな奴だと思ったが、眠かったので黙ってドアを閉めて寝袋に潜り込んだ。
その後、隣の部屋からはしばらく話し声が聞こえていた。
朝のダイニングでRajuが言うには、中国人グループの一人が昨夜から高度障害で苦しみ出し、先ほどレスキューヘリを呼んだのだと教えてくれた。
さらに、向いの宿にもレスキュー待ちの韓国人がいるとの事でこちらも重症なのだとか。
標高4200mのレダーでも高山病で一度高度を下げたグループがあった。
高山病は4000mから4500mが一番危ないと言うのは本当なのだと確信した。
朝焼けのアンナプルナ1
これが噂のリー女史です
出発地のアンナプルナBCは標高4130mで目指すシヌワは2360m。
今日は登りに二日で刻んだ道を一気に1770m下る。
地図読みではズンズンと下るはずなのだが、そう甘く無いのがネパールの山道である。
細かなアップダウンと石段と、高度を下げてからは亜熱帯の日差しにも虐められるのだ。
アンナプルナBCからデオラリの峠までは今回のトレッキングで見る最後のヒマラヤの山岳風景を楽しみ軽快に歩いた。
しかし、デオラリを過ぎ標高を下げて来ると小刻みな石段や高く登った日差しに焼かれバテてくる。
標高が下がると酸素が濃くなり体力を盛り返すはずなのだがこの日はその実感が無かった。
家を出てから22日目で、歩き始めて19日目になっていた。
そろそろ身体の芯から疲れたのだろうかと思うほどに脚が重かった。
11時30分 ドゥバン着 昼食 (ツナサンドは野菜が多くてうまかった)
12時20分 出発
14時00分 シヌワ着
登りで昼食を食べたロッジに宿を取った。
本日も一番乗りで好きな部屋を選べたので眺めと、洗濯物を干すのに便利な部屋を選んだ。
荷物を置いてすぐ、着替えを準備し、ひげ剃りも持ってシャワーを浴びに行った。
ソラー温水シャワーなので陽のあるうちが勝負なのだ。
熱い湯をたっぷり使って髭まで剃ってさっぱりした。
既に3時近かったがお湯が使えるチャンスは逃せないのでズボンも含めて洗濯をした。
はたして、宿は谷間だが部屋の向きから察すれば意外としぶとく日は当たるはずと踏んだのだが・・・。
面白い事があった。
フジのカメラの電池は全部使い果たしたと思っていたのだが、5000mの寒い所で電池切れサインの出た物を試しに再度入れてみたら半分生き返ったのだ。
それでは、と他のも試してみたがそんなに巧くは行かないでこれ一つきりだった。
だが、今日は殆ど撮れなかった写真を明日と明後日まだ撮れると思うと嬉しかった。
午後6時頃、客は自分だけのダイニングでミックスピザを食べながらツボルグのビールを飲んでいた。
真っ暗だからもう誰も来ないと思っていたらフランス人のカップルが入って来た。
宿の主人に宿代を確かめ、自分にビザは美味いかと尋ねた。
かなり美味いと答えると彼は倒れ込むようにして荷物を下ろし宿を決めた。
訊けば、ゴレパニから歩いて来てチョムロンからもう一足と欲張ったら思いの外時間が掛かったとの事だった。
先日の若者二人もそうだったが、ヨーロッパ人の若いカップルの場合荷物は男性が背負う事に決まっているのだろうか?
どちらも男性が100リッタークラスの大型ザックを背負い女性は20リットル程度のディパックなのだ。
まっ、たまたまなのだろうけれども、しかし、どちらのカップルの女性も美人であった。
8時就寝