11月11日(水曜日)快晴 目的地 ティリィチョ ベースキャンプ
5時半起床 7時朝食 8時出発
今朝の支払い 1560Rs(1836円)安ぅ~い!!!
チーズとマッシュルームとハムのスパゲッティー+ブラッティーをポットで+ツナサンド+ミルクティー。
この宿の食事は美味かった!!! スパゲッティーなどチーズが焦がし気味で香ばしく、日本で売っても勝負になる出来映えだと思った。
そして、朝食のツナサンドは、ツナはカツオの赤身で少し癖があるが、パンはカリカリのフランスパンの様で、トマトやレタスが挟んである。味は、マヨネーズ味で適宜トマトケチャップや胡椒をかけて食べるとまた美味い。
いや、他の宿のツナサンドの酷い物だと食パンにツナ缶を少し挟み三角に切っただけと言うのが有り、雲泥の差があるのだ。
しかも、標高のわりには料金も安く、この宿が混むのが頷けた。
毎日夕食の時にはブラックティーをポットで貰うのだが、スモールポットの紅茶がカップで5杯分程有り、500mlは自分のテルモスに入れ翌日の飲料とするのだ。
この標高まで来るとペットボトルの水は1リットルで200Rsになるが、紅茶のスモールポットも1リットル程で200Rsだ。
夕食時に自分のポットに入れた熱い紅茶は翌日の朝でも未だ少し熱い位で日中に喉の渇きを癒すのに適温になる。
このトレッキングの間で水を買ったのは緊急用にずっと持ち歩いた1リットルを1本だけだった。
飲み物は紅茶が基本で、レモンティーやミルクティーで、体調によってはジンジャーティーであったり、標高が低ければビールになる。
マナンの街を見ると重なる谷間の奥にマナスルが見えた
目指すのは前方の雪を被った白い山
森林限界を超すと枯れ草を食むブルーシープが見られる
この犬は野良ではなく仕事中
犬はヤクの子牛を危険な所へ入り込まないように導く
ゴンパの奥にティリィチョピーク(7134m)
脆い砂岩のような岩が崩れているランドスライド地帯
この位置からのピサンピークは美しく険しく見えた
今日はティリチョベースキャンプ(4100m)まで登る。
地図が示す単純標高差は710mだが小刻みなアップダウンの連続でかなりきついと1/150000の大雑把な等高線からも読み取れる。
しかも、いよいよ4000mを超すので酸素濃度も平地の60%程度となり苦しさを倍加させる。
昨夜はダイヤモックス(高度障害を緩和する薬)を半錠服用した。
ダイヤモックスを使うと夜3時間毎くらいに小便に起きる。
それもその筈でダイヤモックスは本来は利尿剤だったのだ。
もしも頻繁に尿が出ないようだと高度順応が上手く行っていないと考えられる、とも言われているので良い事なのだが、安眠と言う事ではよろしく無い。
途中にゴンパが有ってジープロードはここまでだった。
ここから一気に標高を上げ、あとはランドスライド地帯の小刻みなアップダウンに入る。
所によっては足場が悪く、落ちたらアウトの箇所も有り、音も無く転がって来る落石にも注意しなくてはならなかった。
トレッキングルートとしては難度は高いと思った。
シリカルカ(標高4000m)でヌードルスープの昼食。
結構疲れていた。
フランス人の一行は本日の行程はここまでとして刻んで行くようだった。
マナンからの標高差を考えるとシリカルカで一泊するのは理に適っている。
4000mに近づくと酸素の薄いのも気になるが紫外線が強くサングラスが欲しくなった。
今回はクライミングはしないので不要と思い持って来なかったのを悔やむ。
明日は雪の上を歩くのだが、雪目が気になる・・・まっ、無い物は仕方が無い。
谷間の向こうに連なる山並みの中にピサンピークが見えた。
その姿は今まで見たどのピサンピークよりもどっしりした山容と険しさで、2年前、あれに登れた事が信じられなかった。
今登れるかと問われれば、無理ですと即答する。
ティリチョBCには1時過ぎに着いた。
マナンから来た組の中では早かったのだがシリカルカから登ってきたトレッカーはもっと早く到着していて宿は混んでいた。
三軒あるロッジの二軒は既に一杯で断られた。
最後の一軒でルームシェアでベットの確保が出来た。
同室はイギリス人でが気さくな若者だった。
自分はダイヤモックスを服用しているので夜中に何度か起きてうるさいかもしれない事を告げると快く了解してくれた。
この後何人ものトレッカーが満室で断られシリカルカまで戻ったグループも有った。
満室で断られたトレッカーの最後の頼みはロッジの食堂で雑魚寝する事だった。
この日は食堂に10人のトレッカーと10人以上のガイドとポーターが寝たらしい。
5人グループのフランス人が10個の椅子を占領して日向ぼっこをしていた。
他に座る椅子は無く、どう見ても理不尽な振る舞いだと思ったのだが、椅子の無いテーブルにお茶を置いて立って飲んでいる他のトレッカーの姿を見ても意に介さなかった。
夜は同室のイギリス君と同じテーブルで夕食を食べた。
彼はネパール滞在二ヶ月目だったがかなり流暢なネパール語を話していてRajuと会話していた。
どうして日本人以外の外国人は他言語の習得が容易なんだろうかと不思議に思った。
彼にその事を尋ねてみると、積極的に話そうとしないからじゃないかと言う。
そして、分らない国の言語を話すのだから片言でも単語一つからでも始めるべきじゃないか、とも言った。
旅した先の言語を覚えるのは旅の楽しみの一つでもあるだろう、と、至極もっともな事を言われたが、そればかりでも無いような気がするのは否めなかった。
日本人は日本語以外の外国語を聞き取る耳が出来ていないのだと思う、と自分が言い「こんにちは、おはようございます、こんばんは」の挨拶を教えて発音してもらった。
すると彼は妙な抑揚の無い、比較的自然な発音で言えた。
しかも、翌朝は「おはようございます」と言ったのだから恐れ入った。
外国人との同室なんて、と尻込みしていたが思いの外楽しかった。
まっ、人に依るのだと言うのをこの後知る事になるのだが・・・。
7時半、疲れて寝袋に入る。
しかし、寝付きが悪く、眠ったのかどうか分らないような曖昧な感覚の中で夢とも妄想ともつかない事が頭の中を駆け巡る。
横になってしばらくしたら動悸も始まり、4150mに一気に登って来たのは無茶だったのかもしれないと思ったが、既に寝袋の中では仕方が無い。
寝ている間に悪化しない事を願いつつ、ポットの紅茶を飲んだ。
高度障害の予防に水分補給は不可欠なのだ。
過去に4000m程度では顕著な高度障害の症状は無かったので気になるが、明日は標高5000mまで一気に1000m程も登るのでとにかく眠らなくてはならない。
動悸を気にしつつ目を閉じているしか無かった。