じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

レダーからトロンハイキャンプ

2015-12-16 14:53:32 | ネパール旅日記 2015

 11月14日(土曜日)快晴 目的地 トロンハイキャンプ(4900m)
今朝の支払い 1570Rs(1847円) 宿代300Rs
ゆで卵2個+トースト+茹でジャガイモ+オムレツ+紅茶をポットで+レモンティー2杯

6時起床 7時朝食 8時出発

夜、風が凄くて驚いた。
建物が石なので石が飛んで来て当たっても平気なのだが、その音が不気味で怖かった。
高所では手近にある材料が石だからそれで石の家を作るのだろうと思っていたのだが、この地では石じゃないと家が飛んでしまうのかもしれない、と思った。

マナンまで順調だった食欲が落ちていた。
確かに標高が上がるにつれ食事は不味くなるのだがそればかりでは無く、体調が落ちているのかも知れない、がしかし、毎日ピザやスパゲッティーで飽きたと言うのが一番の理由かと思う。
米が喰えないのが辛い。
このトレッキング中に米の飯は未だ一度しか頼んでいない。
しかも、出て来てフライドライスが石油臭くて食べられず、その事を思い出すと米類に手が出なかった。
昨夜は最後の手段として茹でたジャガイモに塩をふって皮ごと食べた。
ネパールのジャガイモは甘くて美味いのだ。
茹でたての熱々に塩をふって食べると食欲の無い時でも食べられる。
ジャガイモだけでは寂しいのでオムレツを頼んだのだが、それは期待した物とは違って、ただの卵焼きだった。
卵焼きは塩も入っていない素焼きで、ケチャップを掛けて食べたが、ジャガイモとの相性は良かった。

朝、食堂へ行くと、昨夜一緒に食事をした女性の一人が体調を崩し困っていた。
宿の人がマナンまで馬で降ろせば良いと提案していたが100ドルもするので躊躇っていたようだった。
しかし症状は頭痛と怠さだけのようなのでマナンまで降りなくても200m下のヤクカルカで様子を見ても良いのじゃないかと言ってみた。

いわゆる高山病は寝ている間に悪化する。
寝ている間は呼吸が浅く身体に回る酸素の量が減り不調になるのだ。
自分も一昨年のピサンピークのハイキャンプで経験していた。
高度障害は標高を下げれば簡単に治るが、無理をして肺に水など溜まったら厄介な事になり、その後は脳に水が溜まってアウトになる、らしい。
ちなみに肺水腫は超高山で起きやすいのではなく3500mから4500mが一番危険だと言う報告もある。
蛇足だが、肺水腫には「クエン酸シルデナフィル」と言う薬品が効くと言う説もある、らしい・・・ちなみに、これの商品名は「ばイアグラ」。

本日の行程はトロンハイキャンプまで距離にして6キロ弱で、標高差は700m。
日本の山道なら6キロで700mを登るのは楽である、が、標高4900mを目指すとなると話しは違う。
標高5000mの酸素濃度はほぼ50%まで落ちているので息苦しいのも当たり前。
だが、歩き出してみてビックリ・・・昨日までの怠さが無い。
予定ではゆっくり登ってトロンフェディで少し早い昼食をとり、ハイキャンプへは1時頃に着けば良いと思っていた。
しかし、9時45分にはトロンフェディに着いてしまい、昼飯と言う時間でも無く、お茶を一杯飲んでハイキャンプへ向う事にした。

10時10分 トロンフェディ出発 11時10分 トロンハイキャンプ着。
宿は予想通り混んでいてまた相部屋だった。
今度はイギリス人の青年で物静かな人だった・・・なので会話は殆ど無かった。

昼食はあまり食べられないだろうと思いオニオンスープと紅茶にしたのだが、体調はすこぶる良く腹が減って仕方が無かった。
カロリーメイトを一箱食べた。

今日はコンパクトカメラで撮った物しか無く、写真は少ない。
メインのカメラは昨夜、星など撮るべくマニュアル設定にしたままで、全て白飛びに終わっていたのだ。
撮った後のモニターさえ確認する余裕が無かった事が伺える。


トロンハイキャンプのロッジ


トロンハイキャンプの全容


トロン・パスへ続く道 早朝は雪が凍って怖い

夕食時ダイニングに行くと何度かトレッキング中に見掛けたカナダ人の女性グループがいた。
そして、その中の一人が私を指差して「ああ、彼がさっき話した日本人よ」と言った。
すると国籍不明の男性が「あなたが噂のジャパニーズですか?」と流暢な日本語で話し掛けて来た・・・髭面で分り難かったが正真正銘の日本人でOさんと言った。
食堂は混んでいた。
私は会話のどさくさにまぎれて隙間に割り込ませてもらい座った。
彼とカナダ人の女性は、この宿にもう一人日本人がいる筈だと話していたらしく、そんな時に私が現れたのだった。
Oさん曰く、噂の日本人はとてもパワフルで何時もさっさと先へ行くのだ、と噂していたと言うのだ・・・へぇ~!!!である。
金髪娘がこのようなむさ苦しいジャパニーズオヤジを覚えていてくれたとは嬉しい限りだった。

彼はガイドとポーターを連れてトロンパス越えを目指し、予定ではタトパニからゴレパニを経てポカラへ戻るとの事だった。
Oさん、達者な英語とは言えなかったが、陽気な雰囲気で金髪のお嬢さん達と盛り上がっていた。
一歩引いてしまう自分とは対照的で、彼のコミュニケーション能力が羨ましくも有った。
Oさんはスパゲッティーを食べながらおもむろにサンマの蒲焼き缶詰を取り出し「ひとつ如何ですか?」と私に勧めてくれた。
なんと、1グラムでも荷物を軽くしたい自分の感覚で缶詰などは邪道の極み・・・すげぇ物を持って来たなと驚いた。
しかし、彼とても食べたい一心で担いで来たのだろうと「はい、頂きます」と、目を缶詰に釘付けにしながらも手は出せなかった。
私がツナピザを食べ終えた頃、彼が「これ、良かったら全部いっちゃって下さい」と、まだ1/3程も残っている缶詰を差し出した。
これには堪らず「そう言う事なら」と言って汁まで啜って頂いた。


日中陽が当たっている場所の外気温が2~度なのに室温が0度だった。
日没後の冷えに備え長袖シャツとモモヒキをはいた。
標高が100m上がると気温は計算上では0.6度下がる事になっている。
標高840mのブルブレの夜の気温が14~15度だったので今夜は氷点下10度まで下がるはずだった。
実測では、外が氷点下9度で室内が氷点下5度程度だった・・・意外と計算と合っているのに驚いた。

高度順応が完璧に仕上がったようで動悸が収まっていた。
4900mの宿でしっかり眠れれば明日の峠越えが楽になる。

7時半就寝。
しかし、意外な展開が待っていた。
同室のイギリス人は爆音的イビキの主だったのだ。













コメント
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