じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

シリカルカ~レダー

2015-12-15 16:16:16 | ネパール旅日記 2015

 11月13日(金曜日)快晴 目的地 リダー(4200m)

6時起床 7時朝食 8時出発
今朝の支払い 1690Rst(1989円)部屋代300Rs
アップルパンケーキ+ゆで卵2個+エッグチーズピザ+紅茶をポットで+ミルクティー2杯

本日はティリチョレークへの脇道からトロンパス越えのアンナプルナ街道へ戻る。
出発地点が4000mでリダーは4200mなので標高差は200m程度となるのだが、現実は甘く無い。
アンナプルナ街道に出るには隣の山へ移らなければならないのだが、隣の山へ行く為には一度谷底まで降りて登り返さなければならないのだ。
大きな谷越えは一つなのだが、その間には幾つかの峠があり、標高4000m以上の道はゆっくり歩いても息が上がり疲労感が強い。


シリカルカ 小さな村にも見える


石積みの小屋は夏場の住居


広大な土地を石積みの塀で囲ってある


ヤクが放牧されていた


滅多に無い案内板がヤクカルカを指していた


マナンの街とトロン・コーラが見えた(川まで降りる)


ヤクカルカの街の小さな水力発電所


リダーの宿の夕暮れ時彩雲が見られた

昨日までのティリチョレーク往復の道は結構きつかった。
そして、今日の道も相当きつかった。
要するに、マナンからティリチョレークへ行きヤクカルカに抜ける道はかなりきついのだ。
自分が持っている2012年度版の地球の歩き方にはバリエーションとしても情報は無く、恐らくお勧めではないのだろうと思う。
この道をお勧めにして、真に受けて歩いた人が途中で参ったとなると下れば戻れる道じゃないので困った事になる。
私の感覚では昨年登ったトレッキングピーク5500mのカラパタールよりもキツイと思った。
もしもティリチョレークに行くとしたら、高度順応的にも刻んで行くのが良いと思う。
私は2泊3日で歩いたが、屈強な若者は別にして、中高年者は刻んでのんびり行くべきだと思った。

シリカルカの放牧地の峠までがそこそこの登りで汗を絞られた。
そこからずっと下の谷間まで下って登り返すのだが、下り急な道は日陰で、先日の雪が凍り付き怖かった。
トレッキングルートでアイゼンが欲しくなるとは思っても見なかったが氷を避け雪の積もっている所を選んでなんとか降りた。
5~6人のグループはガイドが持っていた一つの簡易アイゼンを数人で使い回して降りていたが随分と手間取っていた。

トロン・コーラまで降り切り橋を渡った所でお茶にした。
ここまでの道のりで既に相当疲れていた。
昨晩、何度か動悸が気になって目を覚まし、熟睡できていなかった。
そして、今日は歩きながらも動悸を感じていた。
強い疲労感と動悸は高度障害の症状なのだが、一度5000mに登っているのに未だ4000mに順応していないのは腑に落ちなかった。
この日の最低地点と思しき川沿いの茶店は手持ちの高度計で3800m。
ここまで降りれば相当緩和されると思うのだが、今夜の宿の標高は4200mだった。
今夜動悸が収まらないようであれば一度マナンに引き返す事も考えなければならないと思った。

アンナプルナ街道の合流点までの標高差は400mも無かったがきつく感じだ。
しかし合流点から先は緩い登りでなんとかペースを保って歩く事が出来るようになった。

11時45分ヤクカルカで昼食。
ヌードルスープを頼んだら茶店のスペシャルヌードルスープで、生のニンニクと僅かなタマネギが入っていた。
工業製品として決まりきった味を期待してのヌードルスープが地元の風味に変えられてしまった。
生ニンニクの刺激でスープさえも満足に飲む事が出来ずカロリーメイトを2本紅茶で流し込むように食べて昼食にした。

ヤクカルカからリダーまでは約3キロで標高差は150mしか無い緩い登りだった。
そんな道に1時間15分もかかり、1時45分到着。
一昨年、あまり良く無い印象だった宿を避け向い側のコテージが列ぶロッジに入った。
宿にはティリチョレイクの道で見た顔のトレッカーばかりだった。
お茶を一杯飲んで一息入れても未だ2時少し過ぎで、日当りの良い宿だから乾くかもしれないと思い腰を下ろしたいのを我慢して洗濯を決行した。
宿の裏の洗い場で勢い良く出ている水は黒いホースを通って来る事で温められていた。
風が無く日差しが強く暖かだったので温い水を浴び身体と髪も洗った。
すると金髪の若い娘が自分の洗髪見てシャンプーを持って来て髪を洗い始めた。
片手でホースを持って長い髪を洗うのは大変そうだったのでホースを持ってあげた。
それが御縁で夜のダイニングでは同じテーブルで食事をさせてもらったのだが、自分の会話能力の乏しさからあまり盛り上がらなかった。
恐らく彼女らも英語の国の人ではなく・・・まっ、そう言う事だったろうと思う。

夕方から風が強くなり、それが功を奏してか洗濯物はズボンまで乾いた。

夜、宿の周りが真っ暗だったので星を入れた山の写真が撮れやしないかとカメラを持ち出してガッカリ。
自分のカメラにはバルブ機能が無いのだ。
最長で30秒のシャッターで撮ってみたがろくに写っていなかった。
しかも、100ミリ程度の望遠で撮りたかったのだがそれでは思った所にピントが合わず諦めた。
うん、まっ、それを調べもせずに持って来た自分が間抜けなのだが。

8時半就寝 ダイヤモックスを1錠にしてみた。






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ネパールの旅 小ネタ4

2015-12-15 13:45:14 | ネパール旅日記 2015

 トイレの話し。

トレッキングの出発点、ブルブレの宿を古くてあまり良く無いと書いたのだが、良い点も有った。
それは、トイレの数が多い事だった。
トレッキングルートのロッジでは朝のトイレは込み合っているのが常だ。
数が足りないのが原因だが、やはり出発時間が皆似たような時刻なので込み合うのだ。
そこで自分は様式と踏ん張り式が有ったら確実に後者を選ぶ事にしている。
朝のトイレの争奪戦では西洋人とかち合う訳だが、彼らは踏ん張り式が苦手な人が多いらしく比較的飽いている率が高い。
しかし、例外がある。
標高が上がって宿の管理や水の補給に問題が生じている宿では洋式トイレは汚れていたり流す水が凍って処理に困る事が多くなる。
そうなると洋式トイレは誰も入らなくなり、踏ん張り式に集中する。
そして昨年と違うと感じたのが、新しいロッジのトイレは踏ん張り式だと言う事だった。
さらに、古いロッジでもトイレを改装して洋式便器から踏ん張り式に替えているのだ。
いや、踏ん張り式と言っても水洗であってポットントイレでは無い。
ある時仲良くなったイギリス人のユーケーに尋ねて合点がいったのだが、西洋人と言えども野外の用足しは踏ん張り式なので慣れていない訳でもないのだ。
ネパールの洋式トイレはインド製だと思うのだが、トイレの便座がまともに機能している事は希で、相当な確率で付いていない。
便座があるとすれば大概は針金や紐で申し訳程度に固定されているが座ったときの安定感や安心感は無い。
そんな訳であまり使い勝手のよく無い洋式の便器が減って伝統的な踏ん張り式が復活しているのだと思うのだが・・・全く私の勝手な推測なので当てにはならないが。

 インドのTATA自動車

ネパールで見る車の殆どがインドのTATA自動車製である。
まっ、首都のカトマンズやネパール第二の都市のポカラではスズキのマルチキャブやトヨタのハイエースやランクル、韓国のKIAの小型車などを見掛けるが、それ以外で見る車はTATA製と思って間違いない。
もっともスズキのマルチキャブもインド生産の輸入なのだが。
ネパールの道路事情は日本人の常識では考えられ無いほどに劣悪だ。
その理由は国の財政事情や山岳地形の厳しさからだと思うが、それにしても酷い道ばかりだ。
酷い道の極めつけはジープロードと呼ばれ、四輪駆動車でもジープタイプやトラックなどの車高が高い車しか走れない。
その道を余裕で走るのがインドのTATA製ジープタイプなのだ。
またジープロードを走る中型バスやトラックも見掛けるが、それもTATAの四輪駆動車である。
自分は今回の旅でジープタイプ・小型トラック・中型バス・大型バスと乗ったのだが、世界に誇る日本製の自動車と言えどもこの道を余裕で走れる車は少なかろうと思った。
この道を走れる車を考えた時、日本なら自衛隊の車両と林業の伐採業者のトラックくらいしか思い浮かばなかった。
さて、高い走破性能を誇るTATAの車だが、インドは当然としても、これ程走っているのはネパールだけで、その他は東南アジアの一部で見掛けるだけだ。(私は東南アジアしか知らないのだが)
それとても浸透している程では無いのが不思議に思える。
価格やパーツの供給体制など一切分らずに何故だと考えても無意味なのは承知だがそれでも推測してみると・・・排ガス規制や安全基準などで先進国には売り込めないのかと思ってみた。
それでは、価格で売れそうな途上国でもさほど見掛けないのは何故か?
地形的条件でお得意さんになりそうなバキスタンとは戦争をしている間柄だし・・・そうかぁ~インドってアジア諸国に対して立場が微妙だものなぁ~と、訳も分らずに納得してみた。
蛇足だが、TATA自動車のお得意さんのネパールだが、10月頃から始まった国境封鎖は自分が帰国した12月1日でも継続していてインドからのガソリンやプロパンガスなどの燃料輸入が入り難くなっていた。
本当の理由は知る由もないが巷の噂では中国寄りの政権が誕生したネパールとインドの仲が悪くなったと言う事だった。
ちなみに、自分が乗った30人乗りほどの中型バスはパワーステアリングでは無く、伝統的な「重ステ」でてあった・・・んっ?年代物のインドからの中古車だったのか?

 寝袋と気温の関係

今回のトレッキングは全てロッジやホテル泊だったが寝袋は必需品で欠かせないと思う。
何故かと言うと、宿によっては掛け布団や毛布の類いは無いからだ。
いや、何処の宿でも頼めば其れなりの寝具は借りられる。
しかし、ベッドのシーツはきれいだが、毛布や賭け布団は見た目からして際どい宿が多いのだ。
寝袋と温度の関係なのだが、トレッキングのガイドブックでは11月を過ぎたら冬用を持って行けとなっているし、4000mを超える高地の場合は年間を通して冬用が良いと書かれている。
だが、毛布や布団が何処の宿でも借りられるとなれば重くてかさ張る寝袋を持つ必要は無いと思う。
私は使い込んだ寝袋は自分の匂いがして寝心地が良い。(日常で臭いを嗅ぐと吐き気がするが)
寒い時はそれに包まって毛布を借りて寝れば良いのでテント泊が無ければ軽くて薄い寝袋で間に合うのだ。
前回までの2度のトレッキングでは5000m以上の高所でテント泊が有ったので分厚い冬用を持って行った。
これは暖かいのだがかさ張るし重いのだ。
今回はロッジ泊で毛布が借りられるのを当て込み夏用の軽い寝袋を持って行ったのだが、思った通り寒くて寝られない夜は無かった。
さて、今回の夏用の寝袋で痛切に感じたのだが、背中のマットが冷気を遮断すれば室温が相当低くても平気で眠れると言う事だ。
今まで冬山でのテント泊でマットの存在をあまり重要視していなかったのだが、寝袋を厚手にするよりもマットを厚くした方が効果的な事に気がついた・・・しかし、重さは大した事は無いのだが厚手のマットはかさ張るのが難点で、悩ましい所でもある。

トレッキングが終わりポカラのホテルで、パンツ一丁でパリっとしたシーツとカバーに包まって寝た・・・あの時の開放感は言葉にはできませぬ。
そして、家に戻って寝袋を広げた時の異臭も、また筆舌に尽くし難しと言う物でありました。









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朝から独り言(雑談)

2015-12-15 08:15:21 | 日記的雑談
今日は・・・も、か? 大した予定が無い。
こう言う日は危ない、朝飯を食ったと思ったら知らない間に晩飯を喰っている。
間の時間が余りにも空虚で記憶に残らないのだ・・・歳をとると一日が早いと言うのは記憶の問題じゃないかと思うんだが。
で、何をして一日が終わったのかと振り返ると、ドーでも良いニュースなどをネットで見ていたりする。

座右の銘に・・・明日やれる事は今日やるな、と言うのを設定してきた私なのだが、これ、そろそろ止めようかと思う。
今日やれそうな事を探してやって行かないと何もする事が無いのだ。
仕事をしていた頃、物事を片付けるのに優先順位を付ける必要が有ったので先送りして良い事を選別してい訳だけれども、こうも用事が少ないと、無駄かもしれないと思う事でも積極的に拾って行かないと毎日何もする事が無いのだ。
歳をとると社会奉仕や近所の寄り合いに積極的に出て来る・・・と、言うか、団地の草むしりの日やドブ掃除の日など年寄りの寄り合い状態なのだが、それはやっぱしそう言う事情からそうなるのだろうなと思う今日この頃・・・鈍雲りで日差しの無い割には寒く無い火曜日の朝・・・未だ8時半前だから会社に着いてない人も居ますかね?
仕事はそこそこだけれども、遅れずに出勤時刻だけはキッチリ守る人は既に湯呑みをもって落ち着いてますかね?・・・一流会社だと8時半と言うともう始動してるのか? 2流以下でしか働いた事が無いので分りませぬが。

昨日は株価がダダ下がりして青くなった人も多かったんじゃないかと思うんですけれども、消費税に一定の目処が立ちましたから、政府の買い上げはナニかと思いますよ・・・ナンチャって。
東西南北、上も下も経済も政情も不安材料ばかりでして、こんな時に株とか相場を読める人って・・・ハッタリか嘘つきじゃないかと思いますが。
しかし、こう言う時って相場は大きく動くんで、動くと言う事は儲けるチャンスでもある訳で・・・首括る覚悟なら面白い所に来てますね・・・分りませんけど。
今日は一つの見極めの日になる、なぁ~んて、分りもしないで適当な事を語る我。

一昨日、ミニ大根を収穫してみそ汁で食べたり、サラダで喰ったり、残りは酢漬けにしたりして楽しんでいる・・・小さかった時には激辛だったのに放置していたら甘くなっていた。
なので食べ方としては生で齧るのが一番かもしれない・・・が、それだけでは原始人なので火を通してみたくなる。
しかし、語りたかったのは大根の事ではなく、大根を抜いた後の事でありました。
大根を抜いた後、次の作物は未だ決めていないんですけれども、取り敢えず一度土を起こして堆肥を入れたんだけれども・・・そしたら、ふかふかの土を見つけた「あの馬鹿猫」がまたやって来て「猫糞」をタレて行きやがった・・・設置してあった「猫脅し」も撤去したのがまずかったなぁ~。
今密かに画策しているのは「落とし穴」なんだけれども、猫は果たして落ちるだろうか?
自分がガキの頃、似たような事をやって猫に鼻で笑われた記憶が在るのだが・・・しかし、私とてもあの頃のガキではない・・・人間を舐めんなよ、と。

数日前、一瞬だが、自分と言う存在を考えてみたんだが・・・これ、仏教では答えは出ているんだが・・・で、殆ど考えるともなく、やっぱし「自分なんて無い」は正し、との結論しか出なかった。
ナンとなれば、自分とはすべて相対の中にしか無い訳で、例えば、基地外と思われる人でも、世界に我ただ一人だと基準が自分なので基地外にはなれない。
心根の良い人も、頭の良い人も、馬鹿でも間抜けでも、対比する対象がなれば無意味だと言うの簡単に分るんだけれども・・・仏教の人は、これを簡単に「空は有を内包する」と言って常識だと言う。
自分が存在する社会を否定しても始まらないし無意味なんだが・・・全ての価値観は相対の中にしか無いのだと言う事を少しだけでも思っていると、思わないで居るよりもナンボか自分の立ち位置が安定する気がするのは・・・私だけか?
色即是空 空即是色・・・って、訳も分らず意味不明のままの溜まってみる我。

フト想ったんだが・・・猫の額ほどの畑・・・だからかぁ~猫が糞をしに来るのは。
もっと広かったら落ち着かなくて来ないとか? オラの畑が猫の糞場に丁度の広さって、なんか情けないなぁ。

取り敢えず糞の除去をしてきますわ。

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