NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

エコでボランタリーな江戸の町

2009年12月05日 | NPO
仲間が、藤沢市生涯学習大学のカリキュラムの一つである「NPOスタートアップ講座」を開講していますが、私もそのお手伝いをしています。私の受け持ちは2コマ、前回は「NPOとは何か」について、その社会的な意義や役割、法制度などを含めて体系的な講義をしましたが、今日は息抜きの意味も含めて「エコでボランタリーな江戸の町」と題した話をさせていただきました。

明治維新から百数十年の間に日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と数百万人もの尊い命を失う戦争が起きていますが、二百六十年以上続いた江戸時代には外国との間で数万人もの犠牲を伴う戦争はありませんでした。

江戸の人口は百万人を超えていましたが、北町奉行所と南町奉行所を合わせて与力50旗、同心240人という少人数の役人で江戸の町は治められていました。それは、町年寄り、町名主、大家という民間による自治の仕組みが機能していたからに他なりません。

現在では役所がやるのが当然だと考えられている消防や教育についても、「町火消し」「寺小屋」という形で多くの民間人によってボランタリーに担われていましたし、そうした心意気を讃える濃密な人間関係がありました。

地球温暖化は、短期間に大量の化石燃料を消費していることが原因と言われていますが、江戸時代には「衣・食・住」の全てが、過去数年間の太陽エネルギーで賄われていました。

最近は、3R(リユース、リデュース、リサイクル)が提唱されていますが、米を主食とした生活ではゴミはほとんど発生しません。瀬戸物の焼き接ぎや傘の古骨買い、鍋釜の鋳掛屋など多くの再生業者が存在し、紙の漉き直し、蝋燭の流れ買いなど物の再資源化も図られていましたので、ほぼ完全な形で循環型社会が形成されていたと言えるでしょう。

江戸時代が理想的な社会だったとは申しませんが、行き詰まりを見せている現代社会の課題を解決するためには、江戸の社会システムや生活スタイルから学ぶべきことは少なくありません。

このような話を2時間ほどさせていただきましたが、このブログでもシリーズでご紹介しようと思います。
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