72年前の1941年12月8日未明、日本海軍はハワイ真珠湾軍港へ奇襲攻撃、太平洋戦争が始まった。
今朝4時から「明日へのことば」残しておきたい空襲・戦災を記録するか会の藤本文昭氏のトークを聞いた。動機は今治高での藤本先生の授業で戦争犠牲者の名簿を見た生徒からの質問で調査が始まったという。
米国から石油がストップされ奇襲攻撃を仕掛けた日本からの見方だけでなく、相手のアメリカからの意見も聞くことにより、より正確な記録になると思い、まずハワイやアメリカ本国の今治攻撃者に会いお話を聞き、命令どうり実行しただけ、自分の意見はなく相手のことを考えもせず実行に安どしていたが、今治の高校生に会って、身内に犠牲者がいないことを知り胸をなでおろしたという。
また、聞き取り調査で、日本に一番近いハワイのニイハウ島事件を知り、真珠湾奇襲攻撃で、ニイハウ島に不時着原住民に銃と書類を奪われた西開地一飛曹を匿い反逆行為の汚名の日系梅乃の3人の息子は語らず、本国の孫の子から3年かかって祖母の話を聞いたことを話してくれた。収監を解かれた祖母は奇襲攻撃も知らず困った日本人を人道的に助けたのであり、むしろ良いことをしたと思うと答えたという。
今朝4時から「明日へのことば」残しておきたい空襲・戦災を記録するか会の藤本文昭氏のトークを聞いた。動機は今治高での藤本先生の授業で戦争犠牲者の名簿を見た生徒からの質問で調査が始まったという。
米国から石油がストップされ奇襲攻撃を仕掛けた日本からの見方だけでなく、相手のアメリカからの意見も聞くことにより、より正確な記録になると思い、まずハワイやアメリカ本国の今治攻撃者に会いお話を聞き、命令どうり実行しただけ、自分の意見はなく相手のことを考えもせず実行に安どしていたが、今治の高校生に会って、身内に犠牲者がいないことを知り胸をなでおろしたという。
また、聞き取り調査で、日本に一番近いハワイのニイハウ島事件を知り、真珠湾奇襲攻撃で、ニイハウ島に不時着原住民に銃と書類を奪われた西開地一飛曹を匿い反逆行為の汚名の日系梅乃の3人の息子は語らず、本国の孫の子から3年かかって祖母の話を聞いたことを話してくれた。収監を解かれた祖母は奇襲攻撃も知らず困った日本人を人道的に助けたのであり、むしろ良いことをしたと思うと答えたという。