12/1深夜便放送、1947年東京銀座寿司割烹店に生まれた女優・冒険家和泉雅子さんのトークをPCで聞いた。
小学校に上がって自分の名前も書けず、友達はどんどん勉強が進み、置いてきぼりになり学校が嫌いになって、休みたいと思っていると、劇団の募集が目に留まり応募、10才で劇団若草の子役に、非行少女で目力が評価、目の演技力でジャンギャバンから絶賛され、喜劇やりたくて劇団止めて、柳家金五郎さんのもとでやっていると14歳で日活に誘われていたという。
南極に行かないかと誘われ、ペンギン見たさにOKすると、寒さに弱く、飛行機、船がダメなのに、江戸っ子の気性で後には引けづ、ペンギンとお話ができ、そこで地図を見て北極を知り行ってみたいと思ったという。それから、友の反対を押し切って、植村さんの本を読んだりの、初めてラーメン店では遠征の食事の感動を受けたという。
1985年1億3千万円の費用で、4人の隊員とカナダから出発、北極点から1000キロ手前にベースキャンプを張り、-45°で5分と外に居れないところで2か月訓練すると、完全に慣れて外での生活が大丈夫となり3/23出発、ビル10階建位の氷は盛り上がり、道を作って進んでも氷は一日に8キロも動き、割れ目の通りやすいところ選んで進んでも、とうとう危険を感じて1日半考えて決断断念して帰国した。
借金を完済して1989年に再度挑戦して、平なら所なら1週間で到達するが、62日目の5/10に北極点に到達しても、感動がなく、ここが北極点なのか半信半疑であったが、やっと帰れる感動があったという。25年前感動したことを思い出すと。
小学校に上がって自分の名前も書けず、友達はどんどん勉強が進み、置いてきぼりになり学校が嫌いになって、休みたいと思っていると、劇団の募集が目に留まり応募、10才で劇団若草の子役に、非行少女で目力が評価、目の演技力でジャンギャバンから絶賛され、喜劇やりたくて劇団止めて、柳家金五郎さんのもとでやっていると14歳で日活に誘われていたという。
南極に行かないかと誘われ、ペンギン見たさにOKすると、寒さに弱く、飛行機、船がダメなのに、江戸っ子の気性で後には引けづ、ペンギンとお話ができ、そこで地図を見て北極を知り行ってみたいと思ったという。それから、友の反対を押し切って、植村さんの本を読んだりの、初めてラーメン店では遠征の食事の感動を受けたという。
1985年1億3千万円の費用で、4人の隊員とカナダから出発、北極点から1000キロ手前にベースキャンプを張り、-45°で5分と外に居れないところで2か月訓練すると、完全に慣れて外での生活が大丈夫となり3/23出発、ビル10階建位の氷は盛り上がり、道を作って進んでも氷は一日に8キロも動き、割れ目の通りやすいところ選んで進んでも、とうとう危険を感じて1日半考えて決断断念して帰国した。
借金を完済して1989年に再度挑戦して、平なら所なら1週間で到達するが、62日目の5/10に北極点に到達しても、感動がなく、ここが北極点なのか半信半疑であったが、やっと帰れる感動があったという。25年前感動したことを思い出すと。