ブログ仙岩

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昭和初期の人々の暮らし・都市と農村

2014-07-06 08:54:52 | 日記
ラジオ4時台、ノンフェクション作家・評論家保坂正康氏のトークを聞いた。昭和初期4~8年の生活を通して。

文化生活ホワイトカラー族の発展する大都市と7~8割を占める農村との格差が広がり、昭和3年天皇の即位式が京都御所で11/10に行われ、祝砲などのラジオアナウンスも祝詞を読むような話しぶりであった。が、

トラクターや農薬も輸入される時代でも、生活基盤の農地に縛られる生活環境で、世界恐慌と相まって銀行が倒産、なけなしのお金を貯金していた百姓が諦められないで3日3番銀行の前のドアを叩き続けたと。粥や芋飯、野草を食べて飢えをしのぎ、娘の身売り、お腹を好かす児童に教師がムスビをあげたりの生活であったと。

昭和4年8・28浜口首相はラジオで緊縮政策で目の前をよくしようとしたが、長期的な政策はなく、1年3か月後にテロにあい、腹部重唱でおならだ出て一安心したかに見えたが翌年6年に亡くなった。

7年のロサンゼルス五輪では水泳、三段跳び、馬術など7つの金メダル、すみれの花咲く頃、女給の唄、東京音頭、早慶戦とアチャコ万歳、古賀政男の酒は涙か溜息かを名門出身の20才の藤山一郎が名前を隠して歌った。影を慕いて、サーカスの唄、27才の古賀は空気を見事に読み作詞作曲をしたと。そして、8年12・23皇太子誕生の明るいニュースで締めくくった。