8/10(月) 今年の夏も迷走の夏。立秋を過ぎて漸く夏かと思う間もなく大雨、どうなるのやら。
今朝も残り飯が三人分程ある。これをオニギリにしても美味くないだろうと、炒め飯にして再生のこととした。
オムライス・チキンライスは次女の好みだが、今週は夏休みで弁当は不要とのこと。炒飯は先週に作った。
あれやこれや考えるが浮ばない、とうとうバターライスで行くこととした。今にして思えば、ホタテでも入れて深みのある味に仕立てればよかったが、作り始めた時には思い至らずバターと塩・胡椒で味付け、これにピーマン・ジャガイモ・玉葱の刻みを入れたのみ。
お菜は、野菜(長茄子・薩摩芋・パプリカ・小松菜・干し甘えび)と賞味期限が到来した厚揚げの煮物。
これに、牛肉と玉葱・ピーマン炒めの二種。
家人、K君と自分用の三人前のバターライス弁当、これにご飯を三合炊きオニギリ四個を作る。
しかし、この天気では食欲も湧かんだろう・・・。
弁当を作りながら年老いた母のことを思う。
先週、86歳になった母。時折、田舎の野菜などを送ってくるが、中に同封された手紙の字や届く葉書が読みずらい。昔は、もっと綺麗で読みやすい字であった。
本人も自覚しており、字が書けなくなった、料理が出来なくなったと嘆く。
老いというものであろうが、元気だった母の料理・味を覚えている私にすれば、老いることを身近に切実に捉えることとなる。
何れ私も辿る道であろうが、字が書けなくなっても、料理が出来なくなってもいいが、父や母には少しでも長く元気で居て欲しいと願う。
何故か、米を磨ぎながら、弁当を作りながらそんなことを思う時がある。
食と云う、生命に関わる準備由、そんなことが浮ぶのか・・・。
今朝も残り飯が三人分程ある。これをオニギリにしても美味くないだろうと、炒め飯にして再生のこととした。
オムライス・チキンライスは次女の好みだが、今週は夏休みで弁当は不要とのこと。炒飯は先週に作った。
あれやこれや考えるが浮ばない、とうとうバターライスで行くこととした。今にして思えば、ホタテでも入れて深みのある味に仕立てればよかったが、作り始めた時には思い至らずバターと塩・胡椒で味付け、これにピーマン・ジャガイモ・玉葱の刻みを入れたのみ。
お菜は、野菜(長茄子・薩摩芋・パプリカ・小松菜・干し甘えび)と賞味期限が到来した厚揚げの煮物。
これに、牛肉と玉葱・ピーマン炒めの二種。
家人、K君と自分用の三人前のバターライス弁当、これにご飯を三合炊きオニギリ四個を作る。
しかし、この天気では食欲も湧かんだろう・・・。
弁当を作りながら年老いた母のことを思う。
先週、86歳になった母。時折、田舎の野菜などを送ってくるが、中に同封された手紙の字や届く葉書が読みずらい。昔は、もっと綺麗で読みやすい字であった。
本人も自覚しており、字が書けなくなった、料理が出来なくなったと嘆く。
老いというものであろうが、元気だった母の料理・味を覚えている私にすれば、老いることを身近に切実に捉えることとなる。
何れ私も辿る道であろうが、字が書けなくなっても、料理が出来なくなってもいいが、父や母には少しでも長く元気で居て欲しいと願う。
何故か、米を磨ぎながら、弁当を作りながらそんなことを思う時がある。
食と云う、生命に関わる準備由、そんなことが浮ぶのか・・・。