8/18(火) 目覚めて布団の上で暫し考える。「義理と人情」「私の好きな花」、そして弁当つくりの意味を。
何のために飯を作り、何を喰うか。命を永らえる為に喰いつづけるしかないのは必定であるが、弁当つくりは、少し異なる。今日のテーマは、「何故弁当を作るか」にしよう。
一人で食べる時、勿論自分で食したいものを作る。休日のビールのツマミ然り。要は食うことが好きだと云うこと。困ったものであるが・・・。
弁当作りを始めて、一年半となろうか。眠れぬ日が続き、明け方にあれやこれや答の出ぬ思案をするのが嫌で時間つぶしに、自分の弁当を作り始めた。
一月も経って、家人が娘や自分の弁当の用意をしているので、私の弁当つくりのついでに家族の分も作るようになった。会社のアルバイトのK君が腹を空かしているだろと思い、オニギリを用意するようになった。これがオニギリから弁当に、弁当とオニギリのセットにと発展した。
毎日作るということは、日常・習慣になると云うこと。其処には、何の苦労もないし辛さもない。食べてくれる人の顔を思いながら作る。美味しく食べてほしいな~と思いながら作る。
お金を貰うわけではないし、正に自己満足の世界。ボランティアの世界と通じるものがあるかもしれない。
好きだからやる、やりたいからやる。それを、自分が愉しむ、大仰に云えば、愉しみ方を工夫する。ただ、それだけのことである。
毎日続けていると、これが務めになる。務めは続けるからこそ面白くなる。
弁当つくりを務めとし、務めることを愉しむ。これが、私の弁当作りの意義かな~。
安い弁当が幾らでも市中で賄える時代、朝の務めが愉しめなくなり、義務と感じるようになれば止める。
朝から人生を愉しむ、これが私の弁当作り。人生とは「務めることと見出したり」一寸、オーバーかな?
さて、今日の弁当。
鶏肉と野菜の煮付け。冷凍コロッケ揚げに定番卵焼き。焼きタラコ。
煮物の野菜は、そろそろ賞味期限が来る長茄子にインゲン・玉葱・茗荷、これに生姜と赤とんぼを使う。私流、必殺味付けで煮付けるだけ。(汁気が出るので弁当には向かないと思いつつ)
出来合いの冷凍コロッケを揚げ、付き合せにキャベツを刻む。
何時もの、卵三個を使った卵焼き。味付けは醤油、他に、な~にも入れないシンプルさ。
ご飯の上に、焼きタラコを少し載せる。
簡単ではあるが、身体障害てき動作のオジサンは、時間ばかり喰う。
今日の所要時間目標は、ご飯が炊ける36分でだったが、四つの弁当を詰め、二個のオニギリで小一時間も経ってしまう。(これでは手術室のドクターは勤まらん、患者を死なせてしまうだろう)
私が理想とする弁当とは、
先ずは「少量で満足する」弁当。
究極の姿として「見ただけで、お腹が一杯となる弁当」食べなくて済む弁当である。
究極の弁当、開発の価値はありそうだ・・・発展途上国の飢餓対策、日本の食料自給率改善に大いに役立つ?
何のために飯を作り、何を喰うか。命を永らえる為に喰いつづけるしかないのは必定であるが、弁当つくりは、少し異なる。今日のテーマは、「何故弁当を作るか」にしよう。
一人で食べる時、勿論自分で食したいものを作る。休日のビールのツマミ然り。要は食うことが好きだと云うこと。困ったものであるが・・・。
弁当作りを始めて、一年半となろうか。眠れぬ日が続き、明け方にあれやこれや答の出ぬ思案をするのが嫌で時間つぶしに、自分の弁当を作り始めた。
一月も経って、家人が娘や自分の弁当の用意をしているので、私の弁当つくりのついでに家族の分も作るようになった。会社のアルバイトのK君が腹を空かしているだろと思い、オニギリを用意するようになった。これがオニギリから弁当に、弁当とオニギリのセットにと発展した。
毎日作るということは、日常・習慣になると云うこと。其処には、何の苦労もないし辛さもない。食べてくれる人の顔を思いながら作る。美味しく食べてほしいな~と思いながら作る。
お金を貰うわけではないし、正に自己満足の世界。ボランティアの世界と通じるものがあるかもしれない。
好きだからやる、やりたいからやる。それを、自分が愉しむ、大仰に云えば、愉しみ方を工夫する。ただ、それだけのことである。
毎日続けていると、これが務めになる。務めは続けるからこそ面白くなる。
弁当つくりを務めとし、務めることを愉しむ。これが、私の弁当作りの意義かな~。
安い弁当が幾らでも市中で賄える時代、朝の務めが愉しめなくなり、義務と感じるようになれば止める。
朝から人生を愉しむ、これが私の弁当作り。人生とは「務めることと見出したり」一寸、オーバーかな?
さて、今日の弁当。
鶏肉と野菜の煮付け。冷凍コロッケ揚げに定番卵焼き。焼きタラコ。
煮物の野菜は、そろそろ賞味期限が来る長茄子にインゲン・玉葱・茗荷、これに生姜と赤とんぼを使う。私流、必殺味付けで煮付けるだけ。(汁気が出るので弁当には向かないと思いつつ)
出来合いの冷凍コロッケを揚げ、付き合せにキャベツを刻む。
何時もの、卵三個を使った卵焼き。味付けは醤油、他に、な~にも入れないシンプルさ。
ご飯の上に、焼きタラコを少し載せる。
簡単ではあるが、身体障害てき動作のオジサンは、時間ばかり喰う。
今日の所要時間目標は、ご飯が炊ける36分でだったが、四つの弁当を詰め、二個のオニギリで小一時間も経ってしまう。(これでは手術室のドクターは勤まらん、患者を死なせてしまうだろう)
私が理想とする弁当とは、
先ずは「少量で満足する」弁当。
究極の姿として「見ただけで、お腹が一杯となる弁当」食べなくて済む弁当である。
究極の弁当、開発の価値はありそうだ・・・発展途上国の飢餓対策、日本の食料自給率改善に大いに役立つ?