オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

務め

2009-08-18 | Weblog
8/18(火) 目覚めて布団の上で暫し考える。「義理と人情」「私の好きな花」、そして弁当つくりの意味を。

何のために飯を作り、何を喰うか。命を永らえる為に喰いつづけるしかないのは必定であるが、弁当つくりは、少し異なる。今日のテーマは、「何故弁当を作るか」にしよう。

一人で食べる時、勿論自分で食したいものを作る。休日のビールのツマミ然り。要は食うことが好きだと云うこと。困ったものであるが・・・。

弁当作りを始めて、一年半となろうか。眠れぬ日が続き、明け方にあれやこれや答の出ぬ思案をするのが嫌で時間つぶしに、自分の弁当を作り始めた。

一月も経って、家人が娘や自分の弁当の用意をしているので、私の弁当つくりのついでに家族の分も作るようになった。会社のアルバイトのK君が腹を空かしているだろと思い、オニギリを用意するようになった。これがオニギリから弁当に、弁当とオニギリのセットにと発展した。


毎日作るということは、日常・習慣になると云うこと。其処には、何の苦労もないし辛さもない。食べてくれる人の顔を思いながら作る。美味しく食べてほしいな~と思いながら作る。

お金を貰うわけではないし、正に自己満足の世界。ボランティアの世界と通じるものがあるかもしれない。
好きだからやる、やりたいからやる。それを、自分が愉しむ、大仰に云えば、愉しみ方を工夫する。ただ、それだけのことである。

毎日続けていると、これが務めになる。務めは続けるからこそ面白くなる。
弁当つくりを務めとし、務めることを愉しむ。これが、私の弁当作りの意義かな~。

安い弁当が幾らでも市中で賄える時代、朝の務めが愉しめなくなり、義務と感じるようになれば止める。
朝から人生を愉しむ、これが私の弁当作り。人生とは「務めることと見出したり」一寸、オーバーかな?


さて、今日の弁当。

鶏肉と野菜の煮付け。冷凍コロッケ揚げに定番卵焼き。焼きタラコ。

煮物の野菜は、そろそろ賞味期限が来る長茄子にインゲン・玉葱・茗荷、これに生姜と赤とんぼを使う。私流、必殺味付けで煮付けるだけ。(汁気が出るので弁当には向かないと思いつつ)
 
出来合いの冷凍コロッケを揚げ、付き合せにキャベツを刻む。
何時もの、卵三個を使った卵焼き。味付けは醤油、他に、な~にも入れないシンプルさ。

ご飯の上に、焼きタラコを少し載せる。

簡単ではあるが、身体障害てき動作のオジサンは、時間ばかり喰う。

今日の所要時間目標は、ご飯が炊ける36分でだったが、四つの弁当を詰め、二個のオニギリで小一時間も経ってしまう。(これでは手術室のドクターは勤まらん、患者を死なせてしまうだろう)


私が理想とする弁当とは、

先ずは「少量で満足する」弁当。

究極の姿として「見ただけで、お腹が一杯となる弁当」食べなくて済む弁当である。

究極の弁当、開発の価値はありそうだ・・・発展途上国の飢餓対策、日本の食料自給率改善に大いに役立つ?





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グチャ丼

2009-08-17 | Weblog
8/17(月) 夜中、ボケ犬のMixに起こされ、眠れぬままに本を読み朝を迎えた。体調不良。

今日の弁当メニューが定まらず、キッチンにてあれこれと食材を取り出し考える。

なるべく残り物、半端物を整理したい。で、作ることとなったのが大根・モヤシの煮物。
海老と玉葱・牛蒡の掻揚げ。もう一つ、ホタテとマイタケ・モロッコインゲン・玉葱のバター炒め。更に、豚肉のアスパラ巻き焼き。まだあった、冷凍で残してあったトンカツ。

煮物にゆで卵を入れ、煮卵にし彩りを添える。朝から掻揚げで時間を喰う、量が増える。
インゲン・大根・アスパラと卵を茹でる。牛蒡を酢水で晒す。と、結構に忙しいのだ。


遊びに出掛け、行方知れずだった次女が帰ってきた。今日から弁当は四人分となる。

四人分の弁当となっても、お菜はタップリとある。余るのだ、これを何とか詰め込もうとするので、もう~グチャ、グシャでんねん(急に関西弁やねん!アホクサ)


グチャグシャついでに、掻揚げが入りきらないのでK君と自分用は掻揚げ丼弁当に変身さす。これであれば、他のお菜も何とか詰め込める。創意工夫は、弁当の母也か!

K君用の特大オニギリ、具はトンカツと天麩羅などを刻み濃い味のオニギリとする。

かくして、今週も弁当がスタートした。


よく聞かれるのが「何故自分で弁当作るの?よく続くね?」の質問。
応えは、100通りもあるが、次回にでも核心(?)に迫る答をしてみたい。乞!ご期待。
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三嶋大社夏祭り

2009-08-16 | Weblog

8/16(日) 昨日、三嶋大社の夏祭りを観に三島を訪れた。

三島市は十代の終りに一年ほど暮らし、その後も何度となく訪れている街ではあるが、三嶋大社の祭り見物は初めてである。

そもそもが、祭りのような賑やかなものを好まない。皆が血を騒がす場から一歩離れている、そんな性癖である。とは云いながら、祭りが嫌いなわけではない。

大社は、源頼朝が挙兵の弊を立てた神社、伊豆の国の総社であり2000年の歴史が有るとやら。8月15日~17日の三日間が夏祭り。駅前から既に祭り一色の装い。

本殿はこの奥

16日は頼朝の武者行列、17日は流鏑馬も行われるそうだ。私が訪れた15日、少年剣士達の奉納試合が行われていた。

未だ町や村に人が暮らし、一族・家族、地縁・血縁が存在した時代、日本の至る所で祭りが行われ、五穀豊穣・平和と安寧を祈る歌舞・相撲が奉納されていた。酒が酌み交わされ、若い衆は酔って喧嘩し、山車と山車がぶつかり合い興奮し、一時マグマを発散させた。

時代とともに変わったか、そんなことを思いながら境内を歩く。境内から町に抜けようとしていると、石段の上に落ち葉がひとひら舞落ちた。落ち葉に油セミの抜け殻が捉まっている。人の足に踏み潰されるのが忍びなく、振り返り拾い上げた。

すっかり三島の名物となった「うな丼」を食し、ビールを飲む。

広小路から三嶋大社に続く通りは、各町内の山車が軒を競い、ピーヒャラ・テンチキと鳴り物も賑やか。

   

         広小路駅前       提灯が綺麗だ           山車                 

折角、三島に行ったので昔暮らした下宿を訪ねてみた。代替わりがし、廻りもすっかり変わっている事は承知していた。十年も前か、一度訪ねたが分からなかった。

今回は、タクシーの運転手に凡その場所を伝えたところ承知していた。

私達16人が暮らした下宿「藤江荘」は、後ろに小山があり前は田圃、左横は柿の木畑。右横に門構えの本家があった。下宿は、隠居した爺・婆が運営し、賄い風呂付きであった。

小山も田圃も畑も全て住宅に様変わり、家々が立ち並んでいた。あの頃、小学生だった子供が家を継ぎ、仕事場を設けていたが不在であった。

下宿を離れてからも何十回と三島は訪れていたが、何故か藤江さんを訪ねることはなかった。

本家には爺婆の長男が地鳶といわれる土建業を営み、オジサン達と私達と同じか、少し年下ぐらいの若い衆が何人かいた。

仕事が忙しい時、下宿人にアルバイトの声が掛かった。このバイトに行く奥さんが洗濯をしてくれたが、労働のきつさに皆一度で懲りたようだ。何故だか、私だけは何度か付き合った。

仕事が終り、戻ると夕食と酒が本家で賄われた。中学を出て3~4年の若い衆と一緒にオヤジさんの話を聞きながら酒を飲み飯を喰った。そろそろ下宿を巣立つ頃、その酒の席で若い衆を指して、何度か言われたのが「お前が一人前になったら、この連中の面倒みてくれよ」だった。何故だか「分かりました」と応えていた。

そんな約束を果たす事が出来ないのを気にしたか、或は、奥さんがその後、家を出たという話を耳にしたからか、立ち寄る事はなかった。オヤジさんも大分前に亡くなったと風の便りに聞いた。

すっかり様変わりをした辺りを見回しながら、改めて墓参に訪れようと思った。

 

 

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サンドイッチ

2009-08-14 | Weblog

8/14(金)お盆の週、早や週末を迎え会社も街も静かである。この時期、私は暑さに茹だり動かぬ犬の如し。

 さて今日の弁当、サンドイッチとなる。 買い置きのサンドイッチ用玄米パンの賞味期限が本日となっている。

少々のことは気にもしないが、何せ週末。使うこととした。

何時ものパンと形状が異なり、小判を大きく引き伸ばした形。とはいえ、中に挟む物が変わるわけもなし。

レタス・胡瓜・玉葱の野菜群にソーセージ・ベーコン・ハムに冷凍コロッケを揚げた。更にゆで卵にフライドエッグ。バターやマヨネーズ、ケチャップ、塩・胡椒で味付けし、これらを適宜挟み込む、何時ものパターン。

具材の割には小判型のパン(5本)が足りなくなり食パンを四枚を追加。

週末、ご飯も残っている。休日用にK君のオニギリを追加。

冷凍の時鮭を焼き、同じく冷凍の安芸産のシラスを使いオニギリとした。会社の冷凍庫に入れておけば適当に食べてくれるであろう。

今日も、結構な量が仕上がる。家人と私、K君の三人分にしては多すぎる。さて、どうしたものか・・・。

 

明日は、三島大社の祭りを見物しようかとの話もあるが、どうなるやら。

三島は若かりし頃、一年ほど住んだ思い出の町。第二の故郷と思う土地だが、有名な三島大社の祭礼は観た覚えがない。懐かしい下宿を訪ねるのも一興か・・・。

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夏休み

2009-08-13 | Weblog

8/13(木) 世間では夏休みの真っ盛り。皆、何処へと行ったのか昨日・今日と通勤電車も空いている。

ひと時のこととは云え、私にとっては毎年ほっとするシーズンである。

このシーズンには何処へも出かけない。休暇も取らないが、この静かな期間は会社に居ながら休んでいるに等しい。束の間、落ち着いた時間を過ごす。

 

今日は豚肉と剥き海老をメインの食材とする。

田舎から届いているジャンボ胡瓜で酢の物を作る。

豚肉は、玉葱とピーマン・シメジと一緒に炒める。剥き海老も同様にオクラと玉葱のオリーブ炒めにする。昨夜の残りのお菜、鶏肉と茄子・ビーンズのトマト煮も自分の弁当に使う。

時鮭をオニギリ用に焼く。

今日の所要数は私・家人・K君用の三っ。ご飯は昨夜の残りを詰めると丁度三人前で終った。

Kのオニギリ用のご飯が足りない。急遽、三合程米を炊く。これで、鮭とシラス佃煮のオニギリを作った。

清貧を旨に生きている(?)K君のオニギリは外すに忍びない。

 

二日酔い気味の頭をフリフリ、弁当が完成した。

 

 

 

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2009-08-12 | Weblog
8/12(水)漸く夏が戻ってきたか。とは云え、暦は立秋を過ぎた、明け方には冷気を感じる。

今日は鶏肉。
鶏肉と野菜のカレー風味煮、鳥唐揚とした。

唐揚用の肉は、昨夜から下味用に漬け込む。

カレー煮の付け合せで煮た野菜、ズッキーニのつもりで切るとどうも違う。よくよく見ると瓜だッた。大失敗、だが今更しょうがない玉葱と一緒に煮込む。

もう一つ、ホタテのバター焼き、ピーマンと玉葱を付け合せに炒める。味付けは、何れも塩・胡椒。

今日は、末娘がバイトで弁当が要るとのこと、喜んで承る。

お米四合を炊き、四人前の弁当にK君のオニギリニ個。(オニギリの中は昨日「にんべん」で買った削り節と鳥そぼろ)

弁当ご飯の上に「鳥そぼろ」を振り掛ける。少しは彩りが良くなったか。



鶏肉で一番好きな調理は、すき焼き風に煮たものだ。ややもすると、この味になる。
今回は思い切って、好きでもないカレー風味に仕上た。さて、味の方は・・・・・。
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地震とフライ

2009-08-11 | Weblog
8/11(火)今朝も早朝から目覚め、何時もより早く弁当作りに入ろうとしていた。
メインのメニューは昨夜から決めていた。海老と豚ロースのフライである。

手洗いに入ると、急に体がグラグラした。何か変だ。遂に来たか。
脳溢血か脳血栓か、くも膜下か等とよぎる。くも膜下出血で、年下の従兄弟を30代で亡くした。彼も手洗いで倒れ逝った。

処が処が、原因は地震。そう云えば、日曜日の地震も食事の最中、急に揺れだして自分の体がおかしくなったかと思ったら地震であった。

日曜と云い、今朝と云い結構揺れた。揺れるのが自分の体の所為とは、若い頃には思わなかった。体に自身をなくす年齢となったか・・・・イヤ~まだまだと云いたいが。

台所に立っても、余震を考えると油鍋に火を点けるのが暫く躊躇われた。

先ず、牛蒡と蒟蒻のピリ辛炒めを作る。牛蒡の笹かきと千切り蒟蒻。唐辛子を細切りにして油で熱したフライパンで香りを立てる。砂糖・醤油・酒少々でピリ辛コンコンを味付け。仕上にお試しで胡麻を振ってみる。

ご試食・・・辛~い、目茶辛いのだ。やたらと効きの良い”赤とんぼ”だったようだ。


余震も来ないようなのでフライ作りに取り掛かる。
海老の殻を剥き、ロースカツを包丁の背で叩く、塩・胡椒を軽く振る。ついでに茄子とオクラもフライにする。


久々に定番の卵焼きを作り、以上三品が今日のお菜。

ご飯は四合程炊く。弁当三人前とオニギリ二個。レギュラーメンバーの弁当が完成。



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バターライス

2009-08-10 | Weblog
8/10(月) 今年の夏も迷走の夏。立秋を過ぎて漸く夏かと思う間もなく大雨、どうなるのやら。

今朝も残り飯が三人分程ある。これをオニギリにしても美味くないだろうと、炒め飯にして再生のこととした。
オムライス・チキンライスは次女の好みだが、今週は夏休みで弁当は不要とのこと。炒飯は先週に作った。

あれやこれや考えるが浮ばない、とうとうバターライスで行くこととした。今にして思えば、ホタテでも入れて深みのある味に仕立てればよかったが、作り始めた時には思い至らずバターと塩・胡椒で味付け、これにピーマン・ジャガイモ・玉葱の刻みを入れたのみ。


お菜は、野菜(長茄子・薩摩芋・パプリカ・小松菜・干し甘えび)と賞味期限が到来した厚揚げの煮物。
これに、牛肉と玉葱・ピーマン炒めの二種。


家人、K君と自分用の三人前のバターライス弁当、これにご飯を三合炊きオニギリ四個を作る。
しかし、この天気では食欲も湧かんだろう・・・。


弁当を作りながら年老いた母のことを思う。

先週、86歳になった母。時折、田舎の野菜などを送ってくるが、中に同封された手紙の字や届く葉書が読みずらい。昔は、もっと綺麗で読みやすい字であった。

本人も自覚しており、字が書けなくなった、料理が出来なくなったと嘆く。

老いというものであろうが、元気だった母の料理・味を覚えている私にすれば、老いることを身近に切実に捉えることとなる。

何れ私も辿る道であろうが、字が書けなくなっても、料理が出来なくなってもいいが、父や母には少しでも長く元気で居て欲しいと願う。

何故か、米を磨ぎながら、弁当を作りながらそんなことを思う時がある。
食と云う、生命に関わる準備由、そんなことが浮ぶのか・・・。




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2009-08-09 | Weblog
休日、安田川の鮎を食す。鮎のシャクリ漁の名人である従兄弟が捕ったものだ。

先日も書いたが、この鮎は内臓の苦味が実に奥深い。良質な川苔を食み育った鮎独特の苦味が何ともいえない。
只、この味を分かる人は少ないだろう。

とは云いながらも、かって私がこの川沿いで育った頃に比べると数段味が落ちた気がする。

子どもの頃、春先から秋にかけて川辺は遊び場だった。川原は石や砂利で何処までも歩け、中州は「しゃしゃぶ(これはグミの原種か)」や「イタブ(無花果の原種?)」を採り、冬の河原では柳の木を裂き虫の蛹を捕って焚き火に入れて食べた。

夏は、チチブや耳なし、鰻、鮎をとって遊ぶのが愉しみな日課であった。

今の子供達はそんなことをするはずも無い。川では、金つき(モリ)を使うことが禁止され、河原は葦が生え歩けない。

生活様式が変わり、川の生態系も変化し本来の清流は消えたであろう。
それでも、この川の鮎や殆ど取れなくなった鰻は美味い。この味だけは捨てがたい。

外に出ている長女が来たので、鮎を馳走する。美味しいと云うが、腸は残す。
これを食べなくて鮎の味が分かるはずも無いが・・・。

朝から、焼いた鮎を肴にビールを飲む。丁度鮎にも脂がのり始めた頃、淡白な身の味と腹の苦味が何とも云えん。

故郷の川辺を思いながら、至福のひと時を過す。


これを相棒の宏さんが見ると、悔しがるかも、涎を垂らすかも?
大丈夫、貴方の分は未だ冷蔵庫で眠っております。
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五目ちらし

2009-08-07 | Weblog
8/7(金) あっと云う間に週末を迎えた。連日の蒸し暑さの中で爽やかに食せるランチを考えるが、妙案がない。困り果てて思いついたのが酢飯。

酢は健康の源、変り栄えしないが、時どき登場する「五目すし」となった。

お菜は少なくて良いだろうと煮物と炒め物の二種。

煮物は、スルメイカと大根。炒め物は同じくスルメイカとシメジ・ピーマン・玉葱のオリーブ炒め。

煮物の出汁用に使った昆布を刻み、刻み椎茸と砂糖・醤油で佃煮を試す。
米五合を炊いた。

さて五目すしだが、大袈裟に云う程のことではない。

市販の五目すしのもとを使用。蓮根・椎茸と細竹を煮て、刻み茗荷を加えて混ぜるだけのこと。ポイントは、秘伝『てまいら酢』(高知県安芸市入河内産)をすし酢として使う。

柚子の上品な香りがたち、食が進むことは必定。

私の問題は、美味すぎるので過食となる。真剣にダイエットを考えなくてはならぬ時を迎えている。ハムレットの心境だ。


三人前の五目チラシ弁当に、五目オニギリ五個、白飯オニギリニ個が今日の収穫。


休日は、田舎の従兄弟から昨日届いた「鮎」でもを焼くか。(またまた、ビールが進む)

この鮎、私が産湯を使った清流”安田川”で捕ったもの。全国利き鮎会でNO!1となっている優れものの鮎である。

河川が小さいため鮎の型も小さいが、最高の川苔を食んで育っている。
(この伝だと、私も最高の味のある人間に育ってよかったはずだが・・・上手く行かんもんだ)

小生、鮎と鰻には、ちと煩く拘りがある・・・。



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