ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

再びアルコール急性離脱後症候群(PAWS)について(下)

2016-02-26 18:16:55 | PAWS
【急性離脱後症候群】
 症状は、断酒開始後3~6ヵ月目で最も強くなり、6ヵ月~2年で回復する。
  ○ 思考プロセス障害(脳の働きにムラがある;頑なで諄(くど)い
    思考、因果関係を理解できない)
  ○ 情動障害(情動の揺れ)
  ○ 記憶障害(短期記憶の障害)
  ○ 睡眠障害
  ○ 身体的協働性に問題
  ○ ストレス感受性に変化

                   (アルコール依存症専門クリニック教育資料より)

 今回は5番目の “身体的協働性に問題” についてです。気持ち(意識)通りに身体が動いてくれないことと理解しています。気持ちばかりが先走って、身体の動きが気持ちに付いて来てくれないと思うことが多いこの頃です。

 会社勤務時代の現役の頃、酒を飲まずに済ました日はないほど毎日飲んでいました。それでも、55~56歳頃までは、歩いていて若いOLに追い越されることなどありませんでした。むしろどんどん追い越していたものです。ところが、58歳頃からハッキリ歩く速さが落ちて、若いOLにもやすやす追い越されるようになってしまいました。

 これも会社勤務時代の同じ頃のことです。階段を上るときに足裏の後半分、つまり踵全部が段からはみ出た状態で階段を上っていました。階段を見ながら上るわけですから、つま先を踏み込んで踵まで段に乗せることは自然に出来るはずなのですが、つま先と段の奥行との間合いが取れなくなっていたのだと思います。歳を重ねるにつれ、“踵はみ出し” の度合いがひどくなって行きました。それでも周りを見ていると、同じ様な “踵はみ出し” 人が同年配以上に多いと確認できていたので、別段変だとは思わずに過ごしてきたものです。中には足のバネを維持するため、意識的に “踵はみ出し” をやっていたと証言する人もいるのですが・・・。

 断酒を始めてからビタミンB1の点滴を受け、歩く速さが回復していると思えています。階段を上る際の “踵はみ出し” は気にならなくなりました。つま先から踵まで足裏全体を段の奥まで踏み込んでいると実感できているのです。それで、現役時代にあった脚の動作のチグハグさがアルコール依存症の進行と深く関係していたのでは(?)、と疑うようになったのです。

 PAWSのせいでは(?)と思われるこんなエピソードがあります。断酒を始めて1年7ヵ月経ったある日のことです。国道2号線を歩いていたら、少し先の横断歩道の信号が青になりました。信号が青の内に横断歩道を渡り切ろうと思い、少し手前から最短距離を斜めに走って渡ろうとしました。舗道と車道とは高さ20 cmほどの低いブロックで仕切られています。その低いブロックの仕切りを走って飛び越えたつもりでしたが・・・、足を引っ掛けて車道の真ん中に転がってしまったのです。

 ブロックの高さを見誤ることなど以前なら考えられないことです。同年輩の男性が駆け寄って来て、助け起こしてくれました。この助けがなかったら、しばらく立ち上がれなかったと思います。右手は擦り傷いっぱいでした。近くのスーパーで傷バンを買い求め、応急処置をしたものです。気持ち通りに体が反応するとは限らない、実感しました。

 実は、走り始める少し前から、疲れで向う脛に少し強張りを感じ始めてはいました。引っ掛けたのが先に振り上げた右足なのか、踏み切った左足なのかは分かりませんが、多分後の左足だったのでしょう。ブロックの高さを見誤ったせいなのか、それとも老化による跳力の衰えなのかは分かりません。これ以降はすっかり自信をなくし、無理をしないよう自戒しています。

 これに関連し、こんなことも始終あります。衝立には足が備わり、掲示用の盤面と足が直角に交差して直立しています。衝立との間合いを測り損ねたためなのか、つい自分のつま先を衝立の足にぶつけてしまうことがあるのです。一々足元を見なくても、ぶつけることなど以前にはなかったことです。これと同じようにモノとの間合いが取れていないことから、一瞬ヒヤッとすることがよくあります。やはり視覚との関係でも何か問題があるのかもしれません。

 実の話、今でも他の通行人に追い越されることが依然として多い状態です。速足で歩こうとしても、気持ちだけが先走って、脚の遅さに内心つんのめりそうな感じです。脚が思うように動いてくれないのです。これらはやはり老化のせいなのか、それともアルコールが遺した置き土産のPAWSのせいなのか、医師に相談しても両者ともあり得ることとハッキリしません。

 結局これらPAWSの障害の多くは深いところで根が共通し、一つに繋がっていると思えてなりません。しかし、それがどういう仕組みでなのかは分かりません。想起障害を含む記憶障害を筆頭に、思考プロセス障害や、些細なストレスにも過剰に反応すること、チグハグな身体の動作、これらは老化現象でもありうることです。相当長く続くものと覚悟は出来ています。

 さて、次のエピソードはPAWS の “身体的協働性に問題” という本題とは筋違いなのかもしれません。が、視覚と意識のズレの問題に関係しているかもしれないので以下にご紹介します。事件の直後に残したメモの原文のままです。

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 近頃、目に写っているはずなのに、見えていないことが多くなった。路上のゴミ拾いでも、ついさっき見ていたはずの足元にタバコの吸い殻を見つけてビックリすることがある。視野には入っていたハズなのに、単なる見落とし? 意識に上って来なかったために、その存在に気付けなかったのだと思う。神経回路がどこかイカレているのかもしれない。

 十日戎の日、朝早く家を出てエビスさんへ歩いて向かった。正月の注連飾りを納め、参拝後には評判の映画を観ようと決めていた。

 いつものように道すがら、路上のポイ捨てタバコの吸い殻を拾いながら神社に向かった。神社に近づくにつれ、縁起物の福笹を手にしている人の姿が多くなった。中には10~15本ほどの福笹を胸に抱えている人もいた。すれ違うこれらの人々を見て、歩きながらぼんやりと違和感を持った。それが福笹を家に忘れてきたこと・・・とは気付けなかった。

 神社の大門を入ってすぐのところに納札所がある。納札所に注連飾りを納めるとき、福笹や縁起物の熊手などが山のように積み上がって納められているのを見た。拝殿門では、左隅に安置してある大マグロに大勢の人々が群がっている様子が見えた。例年通り、相変わらずの光景と眺めた。本殿の前で手を合わせた後、拝殿を出た。拝殿出口の門外で福笹を売っていた。その様子を見て、「確か元旦に買い求めたのでは・・・」とあらぬことを想いながら買わずに通り過ぎた。神社を出て、映画を観に三ノ宮に電車で向かった。電車内でも福笹を持っている人を見かけた。何とも思わなかった。

 福笹の異変に気付いたのは映画を観終え、帰り道でのことと思う。“映画を観に行く”、たった一つのことに気もそぞろで、目には映っていながら何も見えていなかった。

 家を出る前に、去年の福笹が箪笥の上に飾ってあるのを目にしていたのは確かだ。行き交う人々が福笹を手にしているのも見ている。福笹売り場の前も通った。それなのに十日戎が福笹を求める日であることにちっとも気付けなかった。一つのことに気を取られたら、同時に複数のことには気が回らないクセの再発か? そういえば昔、子供みたいに一つのことしかできないヒトだ、と部下にからかわれて腹を立てたことがあったと思い出した。

 目には映っているはずなのに、意識に上ってこない ―― あるいは見落としている。単なる見落とし? それにしてはオカシイ。

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 もちろん、翌日エビスさんに再び詣で福笹を買いました。この件で相談に乗ってくれた医師はこう言いました。
「よくあることと思いますよ。視野が欠けているわけではないし・・・、視覚情報を処理するRAMの容量不足で処理能力を超えた、このように考えればいいのでは・・・」私はこの領域に詳しくないのですが、視覚情報にタグをつけて整理する海馬のメモリー容量が不足しているため(?)の現象と理解しました。

 評判の映画に気もそぞろがストレスとなって、そんなストレスへの過剰な反応に過ぎなかったのかもしれません。あるいは、その映画が期待ほどではなかったので、意識下あった福笹の情報がやっと記憶装置に取り込まれ、意識に上った・・・こんなことだったのでしょうか。

 最後になりますが、私が使用していた薬剤についても触れておきます。アルコールと同じようにPAWSがあると報告されている精神安定薬ジアゼパムは、2mgを断酒開始から12週間に限り服用していました。以来2年以上経った現在も使用していません。ご参考までに。


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コメント (2)
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