ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“偽善”と“嫉妬”と“言論の自由”の不自由 ― 辛口の批評家、山本夏彦(下)

2016-04-29 16:06:53 | 世相
 言論の自由など、世に潜む偽善を喝破した山本夏彦の随筆が好きです。飄々とした氏の毒舌をダシに常日頃考えているところを書いてみました。今回は第二弾です。

 山本夏彦(1915~2002)は、江戸趣味の風流が残る旧き良き東京の常識と西欧的な良識を体現していた人物で、辛口の随筆家として戦後日本の世相の風刺と真の常識を説いた人です。かつて雑誌『室内』の発行人兼編集者でもありました。

 SNSが登場するまでは、情報操作はメディアの独断場でした。山本夏彦は “言論の自由” に潜む偽善についても、飄々とした毒舌でメディアの操る巧妙なカラクリと独善的な体質をズバリ突いています。“言論の自由” とは、こんなにも不自由なものかと皮肉っています。


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  事実があるから報道があるのではない。
  報道があるから、事実があるのである。

  情報は人を左右する。人はそれに左右されたがる。

  この世は自分で考える一握りの人と、
  その力がなく、すべて他人の考えを自分の考えだと勘違いする
  大ぜいの人とから成っている。

  情報というものは、本来ひとを支配したがるものだと私は承知している。
  すなわち説得したがる。説得力のない情報は、情報でないといわれる。
  そして読者は進んでそれに説得され、支配され、オウム返しに同じことを
  言いたがる存在だと思っている。

  言論の自由とは大ぜいと同じことを言う自由のことである。・・・
  それは流行であり、風俗である。

  悪口をいうときは、日本中が同じ悪口をいう。
  口々に言うことを、「言論の自由」という。

  臭いもの身知らずといって、臭い同士がかぎあっても臭くはない。
  それゆえに私は、常に政府を悪玉にして、
  大衆を善玉にする新聞の紋切型を好まない。
  それは間違いであるばかりか、危険である。

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 これが山本夏彦の見ていた言論界の “言論の自由” で、かつても今もあまり変わりありません。

 モノ言わぬ多数派という言葉があります。多数派はめったに声高な主張などしません。他方で、“言論の自由” を盾に、見た目には抗いがたいキレイ言(主張)を声高に叫び、事を荒立てようとする少数派がいます。メディアも “言論の自由” を盾に少数派意見を大々的に報道するのが常です。そして、さも多数派意見のように持ち上げます。それに反論しようにもその機会を提供せず、メディアは黙殺するか、さもなくば非難の大嵐で封殺しようとさえします。これが、メディアが少数派を多数派に仕立て上げようとするカラクリです。少なくともメディアたるもの、こんな風潮を助長するのは間違いです。こんな倒錯した考え方は、権利ばかりを擁護する戦後民主主義がもたらした悪しき風潮だ、と私は考えています。

 週刊誌などは読者の嫉妬心を糧に生きている、と当の言論人として述べた人がいます。読者の嫉妬心を煽る目的で、事実の一部だけを切り取って誇張し、スキャンダルとすることが常道のように思えます。糧を得るため、また読者を引き寄せるためには、それも手段として採らざるを得ないのでしょう。山本夏彦も、言論もしょせんはビジネスと述べていました。雑誌や新聞など書かれたものは、読み直しがきくのでまだ仕掛けだと見破ることができます。だから許せるというわけではありませんが、せめて新聞ぐらいは、小細工を弄して読者の感情を徒に煽るのは邪道と自覚すべきです。ただゝゞ事実を事実としてそのまま報道することこそが本分のはずです。不都合な事実を伏せるなど小賢しく振る舞うことなく、事実そのままの報道に徹する、この姿勢だけは守っていただきたいものです。

 私の懸念は、TVのおしゃべり主体の番組が、偽善だらけのキレイ言だらけ、ウソばっかりに染まっているように思えることです。特に民放ですが、最近のTVのニュース報道番組は一層週刊誌化したのではないでしょうか? 私は反権力というのも嫉妬心と同根ではないかと考えています。権力(政治家・政府)やセレブ(有名人?)への視聴者の反感を煽るだけが目的の、政治絡みのニュース報道番組が横行しているように思えてなりません。TVには、読み直しがきく書かれたものとは違い、その場限りで刹那的ともいえる特性があります。その特性をいいことに、政治的な洗脳が目的だけの、ことさら煽情的な企画を乱発していると思えるのです。(もっとも、“数打ちゃ当たる” これも道理ですが・・・。)自分たちの都合だけで情報を取捨選択して仮説の立証を図るなどは、自然科学の領域なら明らかに捏造・改竄にあたります。もしも制作・編集側が、反権力を傘に嫉妬と自惚れからやっているのだとしたら言語道断です。

 明らかに不審と思われる疑惑が事実として確認され、その結果として重大な事態がもたらされたということであれば、事実に基づいた報道として正統なものです。ところが、現実には憶測や言葉狩りとでも言うべき報道が横行しています。安保法制の改正や放送法を巡る論調を例にとれば、発言のごく一部を切り出しては戦争法だの “言論の自由” への弾圧だのと揚げ足とりに血道を上げ、眼前の差し迫った国際情勢には頬被りしたままです。徴兵制など将来にわたって蓋然性のないことを憶測だけで危険と決めつけ、世論を思惑通りに誘導しようとする意図が透けて見えました。メディアは、自在に世論を操作できるなどと自惚れ、驕り高ぶってはいけません。

 コメンテーターの人選など番組の舞台設定にも問題があります。批判側の自分たちこそが正義だと物知り顔で言い立てる人物ばかり揃えていたようです。批判というよりは、非難する役の人物だけが並び、対立する側の意見は捻じ曲げた上おざなりに触れる程度でした。対立する意見への時間配分でバランスを欠くのはもっての外です。コメンテーターはあたかも芸能タレントと同じで、何ら変わるところがありません。正義を振りかざしてはキレイ言を並べ、その場にいない対立側を非難する姿にはイカガワシささえ感じられます。笑いを誘うシャレもオチもなく、たちの悪いトーク番組同然の後味の悪さで、パネル表示もまるでプラカードのようにしか見えませんでした。明らかにニュース報道番組を騙った質の悪い娯楽番組そのものです。それならそれで、せめて “報道娯楽” 番組と正式に銘を打ってほしいものです。

 こうなった文化的背景として、ディベートという土壌が日本になかったことが一因かもしれません。本来ならば、放送局側の思惑通りの論客とそれに対立する側の論客を揃え、ディベート場面を見せるべきなのです。予備校でディベートの講師をしていたと言う人が、「ディベートで勝つのは嫌な(性格の悪い)奴ばかり・・・」と言っていました。相手の間違いばかりを論(あげつら)い、もっぱら揚げ足を取ることに集中するのだそうです。ディベートというのは和を重んじる日本の精神風土とは対極にあるものなんですね。

 放送局側からしたら、馴れないディベートでは番組として調和を保つことは難しいでしょう。時間内にシナリオ通り運ぶとは限りません。視聴者としては、多様な意見を踏まえた上で自分の立ち位置を決めたいのが本音です。公共放送のNHKは、『日曜討論』のようなショボイ番組ではなく、臨機応変に司会のできるキャスター(アンカー?)を立て、視聴者の希望を叶えるべきだと思います。

 そこで提案ですが、複数の論者を擁してディベートさせ、その実況から即席のアンケートで人気投票させ、さらにその調査の集計結果に基づいてその後の討論を展開させるというのはどうでしょう? NHKではこれと似たような番組をときどきやっています。2時間ぐらいの放送枠が必要でしょうが、これなら民放でもスポンサーが付くのではないでしょうか?『朝までテレビ』などは論客が高齢の常連ばかりで、深夜放送でもあるので体力的にも問題です。

 ニュースキャスターとしての役割も重要です。過去に政権を退陣させたなどの実績にモノを言わせ、いまだにニュースキャスターとして胡坐をかいている人々もいます。ニュースキャスターの多くは、大なり小なり戦後民主主義に育まれてきた人々です。いつまでも過去の実績と戦後民主主義にしがみついたままでは新しい時代に対応できません。むしろ有害です。

 戦後民主主義は、偏った自虐史観と偏った平等主義、偏った平和主義を特徴とする偽善的な政治思潮です。GHQが行った占領政策のうち、日本人洗脳計画として採られ、隠密裏に実行された政策にWar Guilt Information Program(WGIP)がありました。プレスコードという報道規制は以前から知られていましたが、その大元であったWGIPの存在も近年になって確認されています。そのWGIPの成果が戦後民主主義思潮だと考えられています。日本はあまりに長くこのWGIPという占領政策の負の遺産に牛耳られてきたのではないでしょうか。

 時代の流れで国際情勢や国内事情は変わります。それらの変化で政治的な思潮も変わるものです。報道を担うニュースキャスターは国際情勢や国内事情の新しい流れに明るいリアリストでなければ務まりません。新しい時代の流れと国際情勢の現実に目を据えて、そろそろ戦後民主主義から脱却すべき時だと思いませんか?

 今では、SNSで誰でも情報を発信できる時代になりました。ド素人の私もその恩恵に与ってこのブログを発信できています。もはや情報は、メディアだけが一手に握り、自在に操作できるものではありません。自在に情報操作しようとしても直ぐにバレる時代になりました。かくも信頼のおけないTVですが、それでもクーデターを起こすときは、いの一番にTV放送局占拠を狙うものだそうです。TV放送はそれほどに権力を握っている機関です。それを自覚していないのはメディアだけです。繰り返しになりますが、せめてニュース報道だけは、周辺情報までも丁寧に取材し、対照とすべき事実も品揃えした客観的報道に徹してほしいと願っています。それこそが視聴率稼ぎの金儲けだけではない報道の矜持のはずです。玄人のやるべきビジネスです。

 TVに限っていえば、私はすべての番組を娯楽番組として見ることに決めました。もちろん報道番組も含めてのことです。そもそもの初めからTVは娯楽だった、このことに今さらながら気付いたからでもあります。私の懸念と憤慨は幼稚なためなのでしょうか? 山本夏彦氏をダシに、いつも以上に気合を入れて書いてみました。


 出典をメモしていなかったので引用元を挙げていませんが、どの作品を読んでも類似の警句に出会えること請合います。


こちらの記事もご参照ください。
『人間は平等』は正しいですか?


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コメント (2)
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