ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

キッカケと転機

2016-07-01 20:26:01 | 病状
 あのとき生き方が変わったと、振り返ってみて初めて気付く “時” があります。“転機” のことです。今回は、断酒を始めた以降に訪れた “転機” について述べてみます。

 まず、断酒せざるを得なくなった転機から始めます。

 断酒を始めるキッカケとなったのは身体的 “底着き” でした。入院介護を受けなければ、もうどうにもならなくなった状態でいながら、一般病院のERからも匙を投げられ、強制退院させられました。自宅に戻ると妻から「あなたの介護なんか、私できないからね!」と見放され、精神科病院行きを通告されました。精神科病院行きの通告は、アルコールで弛みきった精神にカツを入れてくれました。一般病院側から積極的な助言があったと後で分かったのですが、この妻の一言が転機となりました。このお蔭でアルコール専門クリニックの受診を潔く決意し、断酒を始めることができたのです。

 「断酒を続けなければ・・・」と「(酒を)飲まないでいこう」とでは、意味が同じようでありながら、実は心の持ちようが違います。片や、飲酒欲求の裏返しとも言えるアルコールに囚われた心理状態で、恐怖心に駆られた強迫感からものです。断酒を始めた後も相当長く続きました。もう一方は、自発的な気持ちから湧き出した心境です。その心境の変化をもたらしたキッカケは精神的 “底着き” でした。

 断酒を始めて5ヵ月後ぐらいから性的妄想が酷くなり、AV動画に嵌ってしまいました。精神的にピンチだと思い込んで、強いストレスを感じていたからだと思います。もうどうにもならなくなって、ヤケクソから放映内容を叙述し始めました。途中で何度も何度も画面を止めながら、20本以上の作品について、その詳細を叙述し続けた結果、あたかも “憑きモノが落ちた” かのように妄想が消えたのです。同時にアルコールが抜けたとも実感できました。断酒してから10ヵ月後に起きた、神秘的で不思議な体験でした。

 この体験が転機となり、アルコールが遺していった離脱後の諸々の症状に気付かされました。そして何よりもビックリしたのは、酒を飲まないでいることの方が普通に思えるようになったのです。回復したとさえ思えてしまったのですから、この心境の変化には驚きました。

 以上のように、断酒せざるを得ないと決心させられたのは、身体的 “底着き” と妻の一言ででしたし、アルコールの本当の怖さ、即ち脳に及ぼすしつこい毒性に気付かされたのは、“憑きモノが落ちた” この体験に他なりません。これらが酒を飲まない生活を続ける上で転機になったのだと確信しています。


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 そうそう、自律的に生活リズムを立て直すに至ったキッカケについても触れておきます。専門クリニック頼みの他人任せから、自分自身で自分の行動スケジュールを立てられるようになったキッカケです。それは路上のゴミ拾いを始めたことでした。

 実は、血糖値が上がらないよう自己管理しようとしたのが本当の目的だったのです。断酒を始めてからというもの、甘いものが病的なぐらい手放せなくなりました。糖尿病の指標とされるHbA1c が8%を超えるようになったので、危機感から散歩を思い立ち、専門クリニックの近くで始めました。専門クリニックのすぐ近くには神戸港の観光名所が集まっています。時間が空いたとき、そこを繰り返し散歩しているうちに、吸い殻をはじめ、路上のゴミの散らかり様が気になりだしたのです。つい路上のゴミを拾い集め始めたのですが、それを処分できる場所はコンビニのゴミ箱ぐらいしかありません。しかもゴミ箱は店内に置かれていました。さすがにゴミ袋を店内に持ち込んで処分するのは憚られました。

 そこで思いついたのが私の住んでいる地元です。私の地元ではゴミの収集パイプラインが埋設されていて、何時でもゴミの処分が出来るのです。「よし、地元でやろう」これが地元で路上のゴミ拾いを始めることになったキッカケでした。

 通院のある週日には、自宅から駅まで片道2 km 強の道のりを、毎日往復しながらゴミ拾いを始めました。そして休日にも、4時間ほどかけて自宅近辺でもやることにしたのです。これは程よい運動になりました。このお蔭で2ヵ月ぐらい経ったら、HbA1cが7% を切るまでになれたのです。同時に “空白の時間” をどう逸らすかに悩まされることもなくなりました。一日一日の行動スケジュールばかりでなく、休日を含めた一週単位の行動スケジュールをもきちんと立てられるようになったのです。

 路上のゴミ拾いにも転機がありました。

 ゴミ拾いを地元で始めて1ヵ月ほど経った頃、家庭ゴミの大きな袋がカラスに食い千切られて、生ゴミが無残に散らかっている場面に出くわしました。ゴミの収集パイプラインが張り巡らされている地域なので、家庭ゴミの大きな袋が放置されてあること自体異常ですし、カラスの狼藉の痕というのは惨憺たるものです。おまけにカラスと思しき鳥の死骸までも、ご丁寧にこれ見よがしに転がっていました。この光景にはさすがに腰が引け、見て見ぬふりを決めようかとも思いました。
「待てよ、これは試されているのかもしれない。本気かどうかの試練なのだ」と思い直しました。一旦自宅に戻って、大き目のレジ袋を4~5枚持ち帰り、火バサミと軍手でそれらのゴミを詰め替え、パイプラインの投入口から処分したのです。「自分以外に誰がやる? 自分が始末人のアンカー(最終走者)なのだ」、と覚悟を決めた大きな転機でした。

 もう一つ忘れられない出来事があります。人糞です。ごくまれにではありますが、道端や道端近くの茂みの陰におわせられます。止むにやまれずの緊急事態で、粗相が窺われる場合もありますが、ごく自然の姿で鎮座している場合もあります。犬のフンとは大きさも匂いも硬さも明らかに違い、取り扱いが難しいシロモノです。1年2ヵ月で6回出くわし、その都度今でも腰が引けています。たかがゴミ拾いなのですが、キレイ事の慈善気分では、さすがに出来るものではないと心底思い知らされました。

 最初の2回は、通院途中で装備を持っていなかったので、見て見ぬふりを決め込みました。それでも今は、始末人のアンカーだと自負していますし、ビニール製小袋を携行するのが習慣になっていますので、何処だろうが見つけ次第始末をつけています。(ちなみに、ビニール製小袋は、スーパーで商品の水漏れ防止用として無料で入手できるものです。)

 どうやら未受診の同病の方がご近所に住んでいるらしいのです。本人が病気だと自覚し、自身で善処できるようになるまでの奉仕だと思っています。かつて私自身がしでかした数々の酒害を思い、せめてもの罪滅ぼしのつもりでやっています。

 「真実の奉仕というのは、すべて汚物を通して行われるべきなのであり、
      極言すれば他者の『うんことおしっこ』の世話をすることだ。」(曽野綾子)



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コメント (7)
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