ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

「酒が おいらの 人生だ」

2016-07-15 06:58:07 | 自分史
 表題の言葉は、孫の一人から贈られた “ぐい飲み” に記されている言葉です。“ぐい飲み” は湯呑み(茶碗)ぐらいの大きさで、50歳代の終わりごろに誕生日のお祝いで貰ったものです。以前はこれで焼酎のお湯割りを飲んでいました。当時、孫が私のことをどのように見ていたのか、この言葉がよく物語っていると思います。

 私は長年TVに毒されて、家族とは笑顔が溢れ仲の良いものだというイメージに囚われてきました。たとえ諍いがあっても、じきに仲直りできるハズで、後に尾を引くことはあり得ないのです。少年期の頃から、TVのCMやホームドラマの映像で繰り返し見せつけられ、眼に焼き付けられたイメージです。世の中の家族は、そんな姿が普通なのだと、身体に沁み込んでしまっていました。

 恐らく孫たちの世代でも、家族に抱くイメージは似たようなものではないかと懸念しています。現実はそんなキレイ事では済みません。かつての私などは、思惑の違いや言葉足らずの行き違いから、ともすればケンカになりやすい現実の方が間違っていると思いがちで、キレイ事のイメージの方が、あるべき本当の姿と思っていた時期もありました。そんなことを考えるにつけ、親世代が酔っ払った末に親子で修羅場を演じた現実の姿を、孫たちがどう見ていたのか気になってしまうのです。

 孫たちとは長男の息子たち二人のことで、“ぐい飲み” を贈ってくれたのは年上の孫です。孫たちが遊びに来るのは、大抵は連休のときで、連泊するのが普通でした。長男はまだ車を持っていなかったので、その都度妻が車で送り迎えをしていました。その当時、30年以上勤めたサラリーマン人生は、不本意ながら、早くも “上がり” を迎えていました。休日といえば何をすることもなしに、午前中から公園の東屋で発泡酒をチビチビやるのがすでに習慣になっていました。

 孫たちが来る日と分っていても、この楽しみは止められません。抑え気味ではありながら、孫たちと顔を合わせる頃にはかなり出来上がっていたと思います。初日の夕食は、酒が入っていてもまだ和気藹々としたものでした。長男も私同様の呑み助で、飲み出したら止まらないところもよく似ています。そのため、初日は無難に過ごせても二日目ともなると、酒が入った席特有の、つい本音(?)同士がぶつかることもありました。

 どういう経緯(いきさつ)だったのか覚えていませんが、酒を飲みながらの夕食のとき、老後の介護の話から一悶着起したことがあります。
「お前らの世話など受けたくない。そうなったら、その前に自分で始末をつける」と、私はつい口を滑らしてしまいました。息子たちに介護など頼まずに、公的介護で何とかしたいという思いを話したつもりでした。大分酒が入った長男はこれを聞くと、
「何ぃー!?」バァーンと卓を強く叩き、怒り出しました。どうやら親子の縁を切るつもりだと勘違いしたらしいのです。叩いた時の衝撃で手指を傷めたのもかまわず、怒りがどんどんエスカレートしたようで、とんでもない方向へ話が飛躍して行きました。
「孫たちとも縁を切るつもりか? それなら一人で田舎に引っ込めよ!」
特に、「田舎に引っ込め」は私の半生を全否定する言葉です。それを分っていて敢えて口にしたのです。抗っても無駄とは思いましたが、一応縁を切るつもりで言ったのではないと抗弁してみました。が、酔っ払いの爺の話などもう聞いてはくれません。
「孫たちが可哀そうだと思わないのか? 孫に謝れ!」とまったく引きません。仕方なく孫たちを別室に連れて行き、改まった顔で「おじいちゃんは、お前たちを決して見捨てたりしないから、安心して・・・」と宣言せざるを得ませんでした。事情が呑み込めない孫たちは、ただ神妙に聞いていました。

 酒席では、些細な行き違いからよく口論となります。酔ったもの同士、それぞれが性急に白黒付けたがる思考に陥り、それぞれが同じように一方的で強圧的な物言いになってしまいます。相手の言うことは曲解するばかりで、聴く耳など持たないのです。体験談でよく耳にする、アルコール依存症の家庭の姿そのものです。その後も同じように酔っ払った末の悶着があり、長男も車を持つようになったので、孫たち一行は日帰りとなりました。酒の上の無用な諍いを避けるためでもありました。

 こんなこともありました。完全退職後、連続飲酒状態になってしまい、アルコール依存症が一層進行した末期に近い頃のことです。すでに記憶が断片的でもあり、今でも多少の躊躇いがあるのですが・・・。

 その頃の私は、毎日風呂にも入らず、シーツに匂いが染みついた敷布団を敷きっぱなしで、自室に一人で引き籠っていることが多くなっていました。室内は、発泡酒の空き缶の詰まったいくつものレジ袋が散らかったままでした。まるでゴミ屋敷のような有様で、“臭いもの身知らず” を地でやっていたのです。

 襖を隔てた隣のリビングにいても、恐らく悪臭プンプンだったのだと思います。「何度注意しても聞いてくれない」、この状態に困り果てた妻は、孫たちの姿を見れば、さすがにシャキッとするのではと思いついたのでしょう。連絡を受けた長男が、孫たちを引き連れ駆けつけてくれました。孫たちが部屋に顔を見せるや、鼻をつまみ、顔をしかめて「ワッ、臭せぇーっ!」の大合唱でした。そう言われたら、さすがの私も少しは正気に戻らざるを得ません。長男の指図通り、シーツを取り換え、布団を上げ、部屋を片付け、窓を開けて部屋の空気を入れ換えました。妻の作戦は見事に当たったのです。

 下の孫は早起きです。私が引き籠りになる以前は、起きたら直ぐ私の部屋に来て、朝食までの間一緒に時間を潰していたものです。私の引き籠りを目の当たりにした後は、さすがにそれはなくなりました。酒を断ってから2年ほど経ったある日、久々に日帰りではなく泊りがけで遊びに来てくれました。私の顔つきが元に戻ったからでしょうか、朝起きたら直ぐ私の部屋に来て、以前のように朝食までの間一緒に時間を潰してくれました。下の孫にとっては普段通りにしたまでのことだったのでしょう。こんな些細なことでも、私にはありがたい励ましに思えました。

 孫たちは、私がアルコール依存症になった後で生まれました。彼らはアルコール依存症の祖父の姿しか知りません。大人しく静かに飲んでいた姿や、酔った末に父親と諍いしていた姿、酒の毒に侵された末の無様な姿、まさしく “酒がおいらの人生” そのものの姿です。「酒に飲まれたおじいちゃんは間違っている。やっぱり酒は毒だ!」と彼らが考えてくれたなら、醜態を晒した私の姿もそれなりに意味があったと思っています。

 TVで見る和気藹々の家族のイメージも、些細なことから感情的にぶつかりやすい家族の姿も、どちらも本当の家族の姿なのです。どちらか一方が正しいのではなく、その両方を具えているというのが現実です。孫たちには、この現実をバランスよく受け入れ、ありのままの事実をありのままに受け入れる現実主義者であってほしい。そう願わずにはいられません。

 今回は、かつて長男とあった諸々の諍いが思い起こされました。気掛かりなことといえば、長男がすでにアルコール依存症の境界域(精神依存)になっているのでは(?)という懸念です。

 一旦この病気になってしまったら、家族や肉親が何と言おうと聞きません。
「俺はアル中なんかじゃない。酒なんかいつでも止められる!」と虚勢を張るのが定番で、そう思い込ませるのはアルコールの仕業です。自ら進んでアルコール専門の精神科を受診し、断酒に導いてもらうことが絶対に必要です。その前に、家族から見放され、内科医からも匙を投げられることも必要条件です。それがなければ、自ら進んでアルコール専門の精神科なぞ受診しようとは思いません。せっかくアル中の生き標本を目の当たりにしてきたのですから、「断酒などチョロイものだ」などと、長男にはユメユメ思わないで欲しいものです。


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コメント (2)
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