ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“今日一日” に想うこと

2016-09-02 08:14:11 | 病状
 “今日一日” は自助会Alcoholics Anonymous(AA )の代表的な標語です。他の断酒会が拡大解釈の余地のない雁字搦めの「一日断酒」を標語にしているのに比べ、後に続く副助詞「ぐらい」、「だけでも」、「ずつ」、「も」によって微妙(大い?)に意味が変わってくる言葉です。副助詞の使い方によってその時々の気分が表現され、変幻自在に変わりまくる自分の心が今どんな状態かを測るバロメーターともなり得ます。

 臨床開発をしていた現役サラリーマン時代、ズル休みしようとした日によく頭を掠めた言葉が「“今日一日” ぐらい」でした。

 大抵は医者との面談約束もなく、重要な社内会議もない日でした。「明日は気の重い予定が何もない」、それをいいことに前夜は深酒するのがお決まりでした。朝目覚めると背中の怠さと悪寒、口の渇き、喉のイガラッぽさなどカゼによく似た症状に見舞われるのも定番でした。すでに出勤時刻から大幅に遅れていました。そんなときです。「どうせ急ぎのない内勤業務だ。“今日一日” ぐらいカゼで仕事を休んでもいいだろう」という悪魔の囁きがあり、目出度く(?)有給のズル休みとなったのです。カゼによく似た症状が実はアルコールの離脱症状の一つと知ったのは断酒後のつい最近のことです。

 ズル休みと決まったら、後は一本道です。タガが外れて昼からビールとなり、緊張感を欠いたまま夜まで飲酒が続きました。翌朝も同様のカゼ症状に見舞われ、連続欠勤の悪循環となったこともあります。家族と別居していた独居時代には、診断書ナシでも許されるギリギリ5日間の連続欠勤(有給)も3回ほどしています。すでに出勤拒否と引き籠りの域に入っていたようでもあり、“うつ” 病のハシリではなかったかと思えて仕方ありません。

 単に仕事を一日先送りするだけと軽く考えた結果の「“今日一日” ぐらい」です。どうでもいい思いつきです。遅刻でもよかったハズなのです。軽い思いつきだったはずが、単なるサボリを越えてしまい、立派な “うつ” 病の芽とも成り得るのです。魔が差すというのか、ふと心に芽生えた隙が生活リズムばかりか精神(秩序)の安定をも大きく乱しかねないという好例だと思います。

 断酒を始めて10ヵ月ほどは、「“今日一日” だけでも断酒を続けなければ」と気が張っていた日々でした。別の言い方をすれば「“今日一日” 一日ずつ頑張るんだ」、こんな気持ちで必死だったと思います。「酒が欲しい」など、あからさまな飲酒欲求は全くなかったのですが、内実は四六時中再飲酒の影に怯え、明らかにアルコールに囚われた虜そのものでした。

 転機は “憑きモノが落ちた” 体験でした。アルコールの残滓がしつこい性的妄想となって、長いこと悩まされていました。それがある日を境に弾けて消えてしまったのです。「“今日一日” だけでも」の強迫感も同時になくなってしまいました。断酒を始めて10ヵ月後のことでした。

 この出来事があった後、“今日一日” がテーマとなったAAのミーティングで連想された言葉がありました。
 Today is an another good day.(今日一日 また良い日だ)
これは高校時代の英語の教科書にあった言葉で、思いもかけず昔々の言葉がなぜか浮かんできたのです。自然に連想されたことなので、そのときの私の心境を映したものだと思います。昨日も今日もさらに明日も再(また)と、なぜか近未来につながるニュアンスまでもこの言葉に感じられました。近未来までも、ということが不思議でした。

 さらに別の機会にはこんな言葉も浮かんできたものです。
 “Que Será, Será、Whatever will be, will be ・・・”(♪ケセラセラ~、なるようになる~)
成るようになるんだから、先の分からないことにくよくよジタバタしても始まらない。こんなふうに思えることこそ実は平常心ではないかと考えています。アルコールから完全に吹っ切れた気分ってこんなモン、・・・と分かってもらえる例ではないでしょうか。

 “今日一日” には、その日その日に区切りをつける意味もあります。それをこう語った人がいました。
「“今日一日” この言葉には今日この日だけと区切る所がある。昨日を引き摺ったり、明日まで今日のことを引き摺ったりしないで済むところがよい。」
また断酒歴7年目の人で、自らの経過を振り返って心境の変化をこう語った人もいました。
「最初の頃は “今日一日” の辛抱と解釈していたが、その後は “今日一日” を大切に・・・と変わってきた。」
ベテランメンバーの次の言葉はオマケです。
「今日一日だけ断酒で我慢すればよいだけでなく、+αで “気づく” ことがあるとよい。一日々々の生活リズムの立て直しから始めるのが一番なのだが・・・。」

 「“今日一日” ぐらい」は危険の兆しです。心に隙が生じている証です。何かを口実に先送りしようとしているときの決まり文句です。8月は、連日の猛暑やオリンピックの中継放送を言い訳に、集中力を欠き原稿執筆を先送りしていました。これはそんな日々を嘆いていた私自身の反省と今後の戒めでもあります。

 逆に “今日一日” なら、積極的な気分になれます。今のところ「“今日一日” 頑張ろう!」という気分ですから、この勢いを忘れないでいたいものです。戒めが必要な場合でも、せいぜい「“今日一日” 大過なく・・・!」ぐらいなものですから、用心しながらでも前に進めそうです。

 雁字搦めで厳しい「一日断酒」よりもさまざまな含意を帯びた緩やかな “今日一日” の方が重宝するようです。改めてそのよさに感心しています。ただ、 “今日一日しか(残って)ない” などと、投稿締切に追われることだけは避けたいものです。



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