ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

人生の “棚卸し” は個人史年表の作成を第一に!

2016-09-23 15:12:25 | 病状
 記憶というものは何とも当てにならないものです。嬉しかったときの記憶は、機会が少ないだけあって、まず間違えることなどないのですが、その逆の場合は・・・。

 断酒を始めて3~6ヵ月ほど経った時期のことです。断酒当初に服用していた精神安定薬ジアゼパムや眠剤を早々中止したためか、素面の頭で否応なしに自覚させられたのは記憶障害でした。直近のことでも覚えられず、すぐに忘れてしまうのです。これでは断酒直前・直後のあの酷い “底着き体験” も忘れてしまうに違いないと本気で恐れました。

 「再飲酒を防ぐには、酒害体験を決して忘れないこと」と専門クリニックから厳しく指導されていました。そこで、断酒直前までに経験した諸症状や、断酒後の予想以上の体調回復、さらには病的飲酒のキッカケが一体何だったのかなど、思い付くまま書き始めました。再飲酒しないと決めた覚悟を忘れないためには、先ず正確な事実を記録するしかないと考えてのことでした。専門クリニックの教えを自分なりに肉付けしようとしたのです。

 個々の出来事(症状)を記述するだけの間はさほど問題なく進みました。連続飲酒中はブラックアウトの頻発で斑な記憶となっていて、発生時期の特定に随分手こずったのですが、残っていた記憶はまだまだ大丈夫でした。時には身体の方が、忘れていた症状を思い起こさせてもくれました。途切れとぎれの記憶を辿り、どんな心境のときに酒の助けを借りたのか、それらの共通項を分類することもやってみました。

 このような作業の継続でそこそこ内省が進んだと思えた時期に、アルコール依存症となった経緯の総括をしてみようと文章化を試みたことがあります。何せ反省すべき対象が失敗だらけの後ろめたい憂鬱な思い出ばかりです。よほど記憶がしっかりしていないと、罪責感に囚われて一方的な自己卑下ばかりになる恐れがあります。そもそも総括とは諸々の出来事すべてを時系列に沿って取り上げ、それらの因果関係を吟味した上で書くべきなのですが、それを一切省いて感情の赴くままに書いていました。そのときの出だしの一文が、出だしとしては避けるべき恰好の一例になると思います。
「アルコール依存となった最も大きな要因は、自分の人間としての度量の狭さと怯懦ではなかったかと思う。」

 この一文が総括した上の結論部分ならば、これはこれでよいのかもしれません。書いた当時は、こんなものでも仮そめながらも心の安らぎが得られました。だが、これから総括し始めようとする際の出だしの一文としてはお粗末です。正直言って最悪の部類に入るのかもしれません。後に続けるべき内容が制約され、書き続けるのがとても難しくなるからです。

 この一文に続き、案の定、仕事上職場で感じていた不満の原因がすべて自分自身の至らなさにあったなどと、クドクド繰り返されていました。
―― 自分には思い切って仕事を部下に任せられるだけの度量が不足していたとか、教育も含め部下に対する管理能力が低かったとか、仕事で精神的に余裕がなかったため家庭崩壊を招いたとか、云々。
責任ある仕事を手探りで進めていた頃の、見るからに自信喪失状態で途方に暮れていた胸の内を吐露しただけのものでした。断酒してまだ間がなく、まだ精神状態が酒でボロボロのままだったのだと思います。罪責感から自分を責めてばかりで、冷静さを欠いているように読めました。

 総括という観点からみると、感情に流された挙句の偏頗な見方一辺倒というのは問題です。上で述べたとおり総括する際の鉄則は、主要な事柄すべてを時系列に沿って漏らさず取り上げ明らかにすることです。かつての極左集団では定番だったように、自己批判して自分の非を認める(粛清される?)だけでは総括になりません。

 断酒を始めて10ヵ月経ったある日、“憑きモノが落ちた” 体験をしました。長い間悩まされていた性的妄想から解放され、アルコールの残滓も抜け切ったたように感じました。この出来事の大分前に、患者仲間の話に触発されて自分史の執筆が頭の片隅にありました。そんなこともあって、この体験を転機にいよいよ自分史を書いてみようと思い立ちました。テーマは “アルコール依存症へ辿った道筋” としました。本格的な総括のつもりでした。

 書き始めて間もなく、事実関係の時系列がハッキリしないことに気づかされました。

 例えば、マイナス感情に囚われた当時の誘因を探してみようとすると、似たような状況があれもこれもと複数浮かび上がり、それらの思い出が互いに重なり合って区別がつかなくなるのです。しかも記憶がおぼろげなだけに、それらが同じ時期に立て続けに起こったかのように思い違いもしていました。かつて社会を騒がせた事件も、時が経つにつれ強い思い込みが加勢して、記憶にある出来事と実際に起こった時期との間に思いの外時間的隔たりがあったりもするのです。

 客観性を欠いた思い込みは、判断を誤るばかりか感情的な側面だけを一層増幅させかねないと怖くなりました。また上で述べたように、読み返してみた総括文では思い込みの強さばかりが目につきました。それで、偏った切り口ばかりでなく、より広い背景状況を醒めた目で捉え、多様な要因をさらに明らかにしなければならないと考えました。

 これらの課題に応えようとすると、出来事の時間軸と各時期の周辺状況の両方が一目で見えるものが必要です。その解決策として思い当たったのが個人史年表の作成でした。何とも迂闊でしたが、こんな当たり前のことにやっと気づいたのです。私の人生の佳境期となる40歳代の記述に入ろうとした矢先のことでした。

 個人史年表は、当時のビジネス手帳やメモ帳、手紙類、会社の給与明細と人事資料、新聞の切り抜き、講習会の領収書、三十三ヵ所巡礼納経帳、巡礼ガイドブックなど、手元に残っていた有りとあらゆる史料(?)に当って作成しました。特に重視したのは日付です。まるでアリバイ捜査のようでした。客観的なこの年表のお蔭で、過去を冷静に振り返ってみることができ、感傷に耽るだけの自己満足から距離をおくことができました。

 “酒害体験を決して忘れない” 酒を飲まないで生きて行くためのモットーとしては無難です。日々ただこれだけを闇雲に唱えていても、時が経るにつれ意識も次第に薄れてきます。やはり “なぜ” 酒に縋らねばならなかったのか、その時々の前後の出来事や周りの状況を正確に把握しておくことが大切です。改めてそう思いました。
(“なぜ?” ― 精神の安定を乱す ”過度の緊張もしくは興奮”。これが私なりに辿り着いた上の疑問に対する解答です。)
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 自助会Alcoholics Anonymous(AA )の『回復のプログラム』ステップ4にはこうあります。
「恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。」
 “Made a searching and fearless moral inventory of ourselves.”

 “棚卸し” とは在庫明細のことです。私なりには、自分で抱えている問題すべてを整理して見える化することと理解しています。AAに参加するようになってしばらくは、「・・・それを表に作った。」という部分の翻訳に疑問を感じていました。

 在庫明細は表をイメージしますから、機械的に翻訳しただけの失敗作と見做していたのです。酒害体験を箇条書きの表にして一体何の意味があるのか? 酒害体験の諸々は、叙述することでこそ言語化の効果が期待できるハズなのです。箇条書きでは言語化の効果など期待できっこないと固く信じていました。

 それが今では、「事実関係を正確に把握するため、まず個人史年表の作成を第一に始めなさい。」このように読み取れるようになりました。人生の “棚卸し” には個人史年表の作成が欠かせません。意外に逞しくしっかり生きて来たものだと、自分の生き方に誇りを持てるようになりました。


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コメント (5)
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