ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アル症の回復には複数の “依存先” を

2019-05-31 06:11:39 | 病状
 改元の少し前のことですが、身障者が自立できるバリアフリー社会の意味をこんなふうに解説していた新聞記事があったように思います。それも確かコラム欄にあったような、・・・記憶が定かではありません。

「健常者と身障者との違いといえば、依存先がいくつあるかなんです。健常者なら依存先が無数にあるのに対し、身障者の依存先は極めて限られているか、ほとんどないのが実情なんです。」

 更に続けてこうあったような・・・。
「たとえば、ビル火災があったとします。
 健常者ならエレベーターが使えなくても階段がある。その階段にしても通常階段の他、屋外に非常階段だってあるし、最悪の場合、避難用のハシゴやダストシュートを使う手もある。
 ところが身障者にとっては、エレベーターが使えなかったら他に自力で避難できる手段が何もない。こんなふうに依存先が極めて限られ、悲惨な状況に身障者は置かれているんです。」
もちろん文体は違いますが、まぁ、ざっとこんな主旨だったと思います。

 私がいつも読むのは産経新聞なので、図書館に行って産経新聞を漁ってみました。今年の4月と3月の2ヵ月分、念のため全ページを3時間かけて捲ってみたのですが、該当する記事は見当たりませんでした。

 とすると、あれは夢だったのでしょうか? 夢だったとしたら、よく出来た夢だと思います。依存症者が焦がれる回復への道、その具体的方向(性)を示すオシャレな道標のように思われたからです。

 たとえばアルコール依存症(アル症)者の場合、そもそも酒は心に負ったストレスを紛らわすための依存先の一つに過ぎなかっただけですが、いつの間にか唯一無二の依存先に変わってしまったことが問題なのです。たとえチマチマした楽しみでも、複数の依存先を持っている健常者とはこの点で違います。

 ということは、依存先を複数持つことが回復への近道ということになるのでしょうか? それもギャンブル依存、セックス依存、買物・万引き依存など、後々高いツケを払うことになる依存先は避け、できれば社会参加に繋がる健全な依存先を複数選べばいいだけの話なのでしょう。

 アル症者に共通するのは強い依存気質です。依存先を複数試してみるぐらいなら、アル症者にも簡単なこと。性格を変えようなどと無茶をしなくて済むところが何よりも道理に適っています。

 手前味噌になりますが、週2回の自助グループ参加とブログ投稿、ほぼ毎日やっているゴミ拾い、これらが社会参加に繋がる新しい私の依存先です。これら依存先を室内・屋外それぞれに持つ私のやり方は理想に近いものと自負しています。

 繰り返しになりますが、あれは夢だったのでしょうか? 少なくとも私には、身障者を依存先の有無からみる洒落た着眼点などありません。きっとどこかで読んだ記事なのでしょうが、それがどうにも思い出せないことにもどかしさを感じています。

 試しに『依存先』というキーワードでネット検索してみると、同じ観点から論じている人のいることがわかりました。一体あれは、どこで読んだ記事だったのでしょうか?


その後、新聞コラムの著者がわかりました。その詳細については次の2つの記事をご参照ください。物書きのプロがまとめた記事ですから、とてもわかりやすい内容になっています。
自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと
絶望だって、分かち合えば希望に変わる。熊谷晋一郎さんが語る「わたしとあなた」の回復の物語


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コメント (2)
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