女性ブロガーは自分の心情を素直に表現できている方が多く、いつも自在さに感心しています。今回、ご紹介する方もそんな女性ブロガーの一人です。
彼女も私と同病で、23歳の若さでアルコール依存症(アル症)と診断された方です。少女時代、両親、特に母親から冷たい仕打ちをされたと思い込み、アダルト・チルドレン(AC)の生きづらさを引き摺ってアル症となったという経歴の持ち主です。だからでしょうか、自傷行為が絶えず、アルコールなしでは生きていられなかったと述懐しています。
そんな彼女が間もなく断酒満5年を迎えます。彼女の記事を辿ってみると回復プロセスの一つの典型例が見えてきます。“断酒に3年” という言葉の重みと、アル症からの回復がいかに健全な行動意欲の回復と表裏一体かを、今更ながら再確認させられました。今回は、彼女の回復のプロセスを記事から追ってみます。
* * * * *
断酒して最初の1年はほぼ引き籠もりのニート状態だったと彼女は述べています。その後の経過は、概略、以下のようです(重要と思われる事項を太字か下線で示しました)。
断酒1年3~9ヵ月 生活習慣を整えるためアル症(専門病院併設?)の
リハビリ施設通い
(通所仲間の嫌がらせが耐えられずに6ヵ月で中止)
断酒1年9ヵ月~ 自分で早起きできるようになる
(「調子が戻ってきた」)
断酒1年11ヵ月~ 禁煙と妊活を始める
(断酒丸2年頃 一時期、飲酒欲求が酷かった模様)
断酒2年2ヵ月~ 眠剤中止 パート勤務(一日3時間週5日)を始める
(「体が物凄い楽だ」)
断酒2年6ヵ月~ 毎日の自助会通い 本格的 “棚卸し” も始める
断酒2年8ヵ月 妊娠発覚
断酒3年 「今は一言で言うと幸せです」
断酒3年4ヵ月? 長男誕生
断酒3年9ヵ月 ACとしての生きづらさ(少女時代に受けた恨み辛み)
を両親に告白
断酒2年後ぐらいまでは遅発性の離脱症状(PAWS)がきつい時期なので、精神状態が不安定な患者同士がリハビリ施設でうまくいかなかったのはまぁ仕方のないことです。それでも彼女は、意識的に早起きや禁煙に取り組み、生活習慣を立て直して社会復帰を目指していたようです。
そして、断酒2年2ヵ月後から眠剤の中止とパート勤務を始めています。週5日の軽いパート勤務で意識的に規則正しい生活リズムに戻そうとしたのでしょう。丁度この時期は、PAWSが峠を超える時期に当たり、まことに時宜を得た決断だったと思います。
私が特に注目したのは、パート勤務に慣れた頃の断酒2年6ヵ月後の記事でした。表題を『行動に移す』とした記事にはこんな言葉がありました。
「本当に当たり前の毎日が幸せです♪ 前みたいに完璧主義な自分もなくなってきて、0か100っていう極端な考え方もなくなってきました。この3,4ヶ月で本当に楽になってきました。」
眠剤なしでもうまく睡眠がとれ、社会参加も軌道に乗ったからこそ出た言葉だと思います。この頃から体感の復調を実感し始めたのでしょうか。毎日の自助会通いと本格的 “棚卸し” も始めたそうです。過去の自分と対話し心の蟠りを暴くことを自助会AAでは “棚卸し” と呼んでいます。心にゆとりが生まれなければ決して出来ることではありません。
その “棚卸し” の成果が断酒3年9ヵ月の記事にある両親への告白だったと思います。「(心の)重荷がとれた」という言葉が、長年の囚われから解放された彼女の気持ちを端的に語っています。AAの “回復のプログラム” をこのように実践し、彼女はこのとき、“新しい自由、新しい幸福” を手にしたのだと思います。
もうすぐ断酒5年を迎え、直近の記事で彼女はこんな言葉を綴っています。
「育児大変ですが、楽しいです。幸せです。生きてきて今が1番に幸せです。間違いなく。・・・(中略)・・・あ〜もう飲みたくないな。また一からなんて無理だよ。」
彼女は今、飲まない生活が板に付いたと見て間違いありません。同じ思いでいる私には彼女の気持ちが痛いほどよくわかります。
ここまで触れていませんが、もう一人賞賛されるべきは彼女の連れ合い(夫)です。彼の理解と協力なしでは、ここまで彼女が回復できたかわかりません。まさしく夫婦愛の為せる技だと思います。妬けますね。
今回の取材記事はこちらこちらです。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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彼女も私と同病で、23歳の若さでアルコール依存症(アル症)と診断された方です。少女時代、両親、特に母親から冷たい仕打ちをされたと思い込み、アダルト・チルドレン(AC)の生きづらさを引き摺ってアル症となったという経歴の持ち主です。だからでしょうか、自傷行為が絶えず、アルコールなしでは生きていられなかったと述懐しています。
そんな彼女が間もなく断酒満5年を迎えます。彼女の記事を辿ってみると回復プロセスの一つの典型例が見えてきます。“断酒に3年” という言葉の重みと、アル症からの回復がいかに健全な行動意欲の回復と表裏一体かを、今更ながら再確認させられました。今回は、彼女の回復のプロセスを記事から追ってみます。
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断酒して最初の1年はほぼ引き籠もりのニート状態だったと彼女は述べています。その後の経過は、概略、以下のようです(重要と思われる事項を太字か下線で示しました)。
断酒1年3~9ヵ月 生活習慣を整えるためアル症(専門病院併設?)の
リハビリ施設通い
(通所仲間の嫌がらせが耐えられずに6ヵ月で中止)
断酒1年9ヵ月~ 自分で早起きできるようになる
(「調子が戻ってきた」)
断酒1年11ヵ月~ 禁煙と妊活を始める
(断酒丸2年頃 一時期、飲酒欲求が酷かった模様)
断酒2年2ヵ月~ 眠剤中止 パート勤務(一日3時間週5日)を始める
(「体が物凄い楽だ」)
断酒2年6ヵ月~ 毎日の自助会通い 本格的 “棚卸し” も始める
断酒2年8ヵ月 妊娠発覚
断酒3年 「今は一言で言うと幸せです」
断酒3年4ヵ月? 長男誕生
断酒3年9ヵ月 ACとしての生きづらさ(少女時代に受けた恨み辛み)
を両親に告白
断酒2年後ぐらいまでは遅発性の離脱症状(PAWS)がきつい時期なので、精神状態が不安定な患者同士がリハビリ施設でうまくいかなかったのはまぁ仕方のないことです。それでも彼女は、意識的に早起きや禁煙に取り組み、生活習慣を立て直して社会復帰を目指していたようです。
そして、断酒2年2ヵ月後から眠剤の中止とパート勤務を始めています。週5日の軽いパート勤務で意識的に規則正しい生活リズムに戻そうとしたのでしょう。丁度この時期は、PAWSが峠を超える時期に当たり、まことに時宜を得た決断だったと思います。
私が特に注目したのは、パート勤務に慣れた頃の断酒2年6ヵ月後の記事でした。表題を『行動に移す』とした記事にはこんな言葉がありました。
「本当に当たり前の毎日が幸せです♪ 前みたいに完璧主義な自分もなくなってきて、0か100っていう極端な考え方もなくなってきました。この3,4ヶ月で本当に楽になってきました。」
眠剤なしでもうまく睡眠がとれ、社会参加も軌道に乗ったからこそ出た言葉だと思います。この頃から体感の復調を実感し始めたのでしょうか。毎日の自助会通いと本格的 “棚卸し” も始めたそうです。過去の自分と対話し心の蟠りを暴くことを自助会AAでは “棚卸し” と呼んでいます。心にゆとりが生まれなければ決して出来ることではありません。
その “棚卸し” の成果が断酒3年9ヵ月の記事にある両親への告白だったと思います。「(心の)重荷がとれた」という言葉が、長年の囚われから解放された彼女の気持ちを端的に語っています。AAの “回復のプログラム” をこのように実践し、彼女はこのとき、“新しい自由、新しい幸福” を手にしたのだと思います。
もうすぐ断酒5年を迎え、直近の記事で彼女はこんな言葉を綴っています。
「育児大変ですが、楽しいです。幸せです。生きてきて今が1番に幸せです。間違いなく。・・・(中略)・・・あ〜もう飲みたくないな。また一からなんて無理だよ。」
彼女は今、飲まない生活が板に付いたと見て間違いありません。同じ思いでいる私には彼女の気持ちが痛いほどよくわかります。
ここまで触れていませんが、もう一人賞賛されるべきは彼女の連れ合い(夫)です。彼の理解と協力なしでは、ここまで彼女が回復できたかわかりません。まさしく夫婦愛の為せる技だと思います。妬けますね。
今回の取材記事はこちらこちらです。
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ヒゲ様は真面目なんですね~
いつもそう思っています。
コツコツ型なんでしょうね~
私は正反対な不真面目な人間なので、
コツコツ型がたまらなく好きです!!
ほめ過ぎかな~???
何時も記事、面白いですよ!
>何時も記事、面白いですよ!
過分にお褒めいただきありがとうございます。
ただ文字が並んでいるだけの文章記事で、
決して上手くもないのに、
読んでいただけるだけで書き手冥利に尽きます。
週2回の投稿が精一杯なのですが、
アル症という病気の啓発と
脳の回復(?)のためにも続けようと思っています。