ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

続々 飲み方が異常となった転機

2015-12-04 18:11:39 | 自分史
 飲み方の異常というのは、“飲み出したら止まらない”といった酒量の多さも問題ですが、TPO(時と場所、場合)を弁えずに飲酒してしまうことの方が遥かに重要です。“朝酒” や “隠れ酒”、通勤途中での飲酒、勤務時間中の飲酒、葬儀の式場などでの飲酒などは立派な飲み方の異常です。

 さて、本題です。一旦身に着いて習慣化した行動パターンが止むを得ない事情で変更を迫られると、ごく普通の人でも精神的に大きな動揺を来すものです。ましてや依存症であれば、そのストレスに耐えられなくなり嗜癖に没頭することになります。

 代表格のストレスの一つが病気ですが、大病と言われるものほど突然襲って来るものです。たとえ通り一遍の知識でも、肝心の部分が正確であれば、それなりに役に立ちます。が・・・、大病の底流にある根本的原因(依存症)から目を背け、生半可な心構えでいたままでは、事態をさらに悪化させかねません。私の不安定狭心症の発症と底流にあったアルコール依存症とはそんな関係にありました。

 46歳にあと半月というとき、一般病院で手の振戦を指摘され、初めてアルコール依存症と宣告されました。それにもかかわらず、肝心のアルコール依存症とアルコール毒性については、深く調べようとはしませんでした。他人の目に触れやすい手の振戦だけが気掛かりで、それをどのようにして繕うかが懸案でした。とにかく休日を無為に過ごして酒浸りになり、ひいては身を持ち崩すことにならないようにとだけ考えました。崩壊してしまった家庭を再建したい願いもあって、西国三十三ヵ所観音巡礼を始めることにしたのです。

 西国三十三ヵ所観音霊場の寺々は関西2府4県と岐阜県に散らばり、四国八十八ヵ所遍路とほぼ同距離の行程を誇ります。ともかく無為な時間を酒以外のことで潰すことが第一の目的ですから、最寄りの鉄道の駅から寺までの往復をひたすら歩くことにし、札所の順番通り巡ることに決めました。行きやすい近場や有名な寺院を優先するのではなく、札所の順番通りに巡ると決めたのは、手抜きをやりかねない気まぐれを警戒したのです。

 健診で高血圧と糖尿病を指摘され、49歳のときから通院治療を始めました。当時の空腹時血糖値は150~170 mg/dL程度で、HbA1cは6.8~7.0%ぐらいだったでしょうか。「これぐらいがちょうど冠動脈などの太い血管がやられやすい(状態)のよねぇ・・・」と医者からは脅かされ、会社の年配社員からも「糖尿病は “がん” と宣告されたも同然やで・・・」と憐みを掛けられたものです。そのうちに高脂血症(脂質異常症)も顕在化し、喫煙も合わせて “死の四重奏” の完成となりました。降圧薬と高脂血症治療薬を使用し始めましたが、糖尿病については食事療法だけとし、血糖降下薬を使わずに経過観察することになりました。

 それからというもの、血糖値を少しでも下げようと、泥縄式に生活パターンを変えることにしました。週日には通勤区間の内、電車を利用するしかない区間以外の片道20分+30分=50分の距離を往復歩くようにし、自宅ではビールを止めてカロリー半分・アルコール度数半分(?)の発泡酒に変えました。

 ちょうどその頃、行きつけの居酒屋 “旬香” が廃業となり、会社が引けてからの居場所がなくなってしまいました。私の方は職種が代わったことから定時に帰宅可能となっていたのですが、会社帰りに一杯ナシのままでは帰れません。仕方なく新しい店を当てずっぽうで探したのですが、気に入った店がなかなか見つかりませんでした。しかも、飛び込みの一見さんでは長居もできません。それで外で飲む酒も焼酎のソーダ割り2~3杯だけで切り上げるようになりました。

 休日に続けていた西国三十三ヵ所巡礼についても少し工夫してみました。4巡目の4番札所からは、寺から寺へとツギハギしながら徒歩だけで繋ぐように変えたのです。それで巡礼の日には一日20~30 kmの歩きが普通になり、40 km余の長い距離でも歩けるようになりました。中継点の繋ぎ方が意外に煩わしいことから、さすがに毎週とはいかずに飛び飛びの挙行となりましたが・・・。

 京都の西山に西国三十三ヵ所巡礼20番札所の善峰寺があります。52歳の年の11月に4巡目の善峰寺詣でをしました。京都市内を眺望できる山の中腹にあり、這うように幹・枝を拡げる天然記念物の遊龍松や、春の桜、秋の紅葉が有名です。最寄りのJR向日町駅から歩いて8 km余の善峰寺へ向かい、さらに寺の裏山の急勾配の道を登って、山上の尾根伝いの道にまで行ってみました。この登りはキツく、さすがに体力の衰えを痛感しました。

 20番札所の善峰寺から山越えを経て、亀岡にある21番札所の穴太寺へと続く徒歩行の巡礼ルートは、古地図に残っているだけの難所(?)の一つでもあります。次回は山上の尾根伝いの道近くまでタクシーで行って、そこから穴太寺~亀岡駅までのルートを歩くと決めてはいました。全行程はおよそ20 km余の十分こなせる山道と踏んではみたものの、どこを起点にタクシーを利用すれば経済的かが分からず、それを口実に決行には至らないまま年を越していました。体力の衰えを自覚し、不案内な山道の単独行に内心不安を覚えていたのです。已む無く巡礼は中断としましたが、それでも休日には長時間の散歩を欠かしませんでした。

 53歳の夏、何の前触れもなく突然不安定狭心症に見舞われました。朝の出勤時、歩き始めて2~3分もすると、胸焼けのようなジワーッとした灼熱感を胸元から左肩にかけて連日感じたのです。左鎖骨の少し下、胸の奥から湧き出るような感覚でした。もしや狭心症(?)と思って主治医に相談したところ、すぐに運動負荷心電図検査を受けることになりました。負荷半ばの運動量でしかないのに心電図上に明らかな虚血性ST偏位が出たそうです。

 豊富な治療実績を誇る循環器科ということで尼崎の県立病院を紹介され、初診のその日に急遽入院となりました。心臓カテーテルによる造影検査の結果、右冠動脈狭窄による不安定狭心症の診断が下されました。右冠動脈は99%の狭窄で、ほとんど詰まりかけだったそうです。左冠動脈にも軽度の狭窄がみられたそうですが、保険治療の適応ではなく経過観察とされました。私の場合、“死の四重奏” の必然的帰結が狭心症だったのです。

 その後は一本道で、2日置いて心臓カテーテルによるPCI施術を受け、右冠動脈にステントを留置してもらいました。PCI施術を受けた翌々日には退院できました。

 退院後大事を取って1週間ほど会社を休みました。通勤時間を外した時間帯に、リハビリを兼ねて大阪・梅田の駅から会社の近くまで歩くことを毎日の日課としました。一日中家の中にじっとしていることが耐えられなかったのです。暇つぶしのリハビリ中に新しい道順を探し出す楽しみも見出しました。その道順探しの散歩で思わぬ成果が得られました。梅田の東はずれ西天満の一画で、ある立飲み屋を見つけることが出来たのです。

 “大安” というその店は、18人ほどが立てばカウンターが一杯になる広さのところへ22~23人がひしめき合うのが普通で、刺身や焼き物、煮物、揚げ物、すべてを揃えた居酒屋風の店でした。普通、串カツか焼き鳥、他に板ワサ、タコ酢、乾きモノがせいぜいなのに、このようにフルキャストな品を値頃で供してくれる店は珍しく、滅多にないことです。殊に新鮮な旬の魚が特徴で、私の嗜好にピッタリの店でした。新しい居場所がやっと見つかったと思いました。

 それからというもの、毎日定時に会社が引けると即 “大安” へと参上、こちらの方もほぼ定時に到着ということになりました。店の常連さんともすぐに打ち解けることができ、私の定位置も自然に決まりました。店で知り合った常連の “飲み友達” と、仕事をまったく離れて世間話に興ずる小一時間が無上の楽しみとなり、週日の新行動パターンがこれで目出度く確定したのです。

 狭心症は仕事で担当していた領域でしたから、一通りの知識はありました。それでステント留置部位の再狭窄が起こり得ることも知っていました。しかも左冠動脈にも狭窄があるので、狭心症は何時どこで再発するか分かりません。巡礼中の山道で再発でもしたら、通り合わせた周りの人々に迷惑がかかります。もはや山道の登りは無理筋で、それが伴う巡礼は断念せざるを得ませんでした。

 休日の行動パターンの芯になっていた巡礼が出来なくなり、休日をどう過ごすべきか分からなくなりました。巡礼がすでに生き甲斐になっていたのだと思います。単に、酒なしで時間を潰すのが目的の一手段にすぎなかったのですが、いつの間にか手段が目的そのものにすり替わっていたようなのです。アルコール依存症者によくある思考パターンです。

 已む無く朝から近くの公園に行き、公園内の東屋で一人発泡酒を飲むのが休日の新行動パターンとなりました。ロング缶1本飲み始めたら止まりません。チビチビと長時間にわたり、ひたすら飲み続けることになったのです。朝から始まる連続飲酒パターン、その雛形の完成でした。もうこうなったら後戻り不能です。 “朝酒” は世間がイメージするアル中の特徴にピッタリです。飲み方が異常となった転機の三番手は、“朝酒の開始” でした。

 普通、病名を宣告されたら可能な限り調べようとするのが病人の常です。アルコール依存症と宣告されていたにもかかわらず、手の振戦の原因となりうる病名が他にないかだけは調べはしましたが、本質からは目を背けていました。恐らく詳しく知るのが怖かったのだと思います。“否認の病” と言われるだけあって、この病気の厄介なところは否認です。認めたくなかったのです。

 エネルギー代謝を乱す元凶(黒幕)がアルコールだなんて、10数年前の当時あまり知られていなかったような・・・。血圧の上昇、血糖値の上昇、中性脂肪の上昇、これらは飲酒習慣からのアルコールがもたらす毒性変化です。時間を持て余していたのは所謂 “空白の時間” で、アルコール依存症者が苦手とする典型的症状の一つです。これらのことは、今でこそネットで簡単に調べることができますが、10数年前の当時も容易に調べることが出来たのでしょうか(?)・・・分かりません。よく知らないままズルズル過ごしていたのです。

 振り返ってみると、巡礼行を始めた47~48歳頃からすでに “空白の時間” に手こずっていたとも思われます。休日の朝から飲酒は、定年で完全退職する61歳まで続きました。飲み方が異常となった四番手の転機は完全退職でした。完全退職後は週日すべてが休日となります。週日が完全休日化したらどうなるか? その結末については本ブログの「私の底着き体験・断酒の原点」をご参照下さい。


「私の底着き体験・断酒の原点」はこちらをどうぞ。



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2 コメント

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今日は、機嫌(調子)が良いから、もう1杯飲もう (チャンネル桜・瓦版)
2015-12-07 05:40:00
 父(89歳で亡くなりましたが)は75歳くらいまで、アルコール中毒であり、入退院の繰り返しの人生でした。

 退院後1年ほどは、断酒しておりますが、お通夜などに出かけ断っても「まあ、お清めだから…。」と云われて一口飲んだ直後から、(夜でも)サングラスをかけて「うお~い、帰ったぞ~、酒持ってこ~い。」という状態に戻るという繰り返しでありました…。

 あることから、「今日は、調子がいいから、もう少し飲もう。」、「今日は、具合が悪いから、止めよう…。」という具合になったのですが、これはアルコール依存症では「なくなったのか?」と考えたのですがね…??

 というのは、私も「具合が悪いから、今日は止めよう。」という状態ですが、これって『普通』だと思っているのですけれどもねえ~!

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普通ではないと思いますよ (ヒゲジイ)
2015-12-07 06:36:58
前々回のブログ記事でコメントしましたが、お父上は山型飲酒パターンだったのだろうと思います。

ア症飲酒パターンには、連続飲酒と山型飲酒の二つのパターンがあります。
山型飲酒となると、調子が良いとうまそうにお酒を飲み、調子が悪いと飲むのを止めていられるそうです。
山型飲酒の方が、より進行した末期の病状のようですよ。

アルコールが体内から切れかかったとき、手の振戦(ふるえ)や掌が異常な汗ばむなどの症状がでます。これらの症状は午前中より午後の方が出やすい傾向があります。
私の場合は、PCのマウスが汗でベトベトしていました。
もちろん振戦には苦しみました。
こんな症状、ありませんか?

65歳過ぎたら、アルコールで障害を受けた脳の機能回復は見込み薄だそうです。
私は62歳9ヵ月で治療開始ですが、主治医は間一髪だったと言っていました。
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