THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUESTの九州シリーズも大盛況のうちに終わったようです。
次の関西シリーズまで2週間空きますので(MISIAはニューアルバムのレコーディング
かな?)、ここまでのセットリスト(PDF)
をアップしておきましょう。
作成にあたりましては、いつものようにさんた女史のサイトとMiya-Y氏の「MISIA神奈川支部」のお世話になっております。
このようなところからですが、御礼申し上げます。m(_ _)m
THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUESTの九州シリーズも大盛況のうちに終わったようです。
次の関西シリーズまで2週間空きますので(MISIAはニューアルバムのレコーディング
かな?)、ここまでのセットリスト(PDF)
をアップしておきましょう。
作成にあたりましては、いつものようにさんた女史のサイトとMiya-Y氏の「MISIA神奈川支部」のお世話になっております。
このようなところからですが、御礼申し上げます。m(_ _)m
3月4日の「なんとも凄いお屋敷でした(その1)」のつづきです。
先日、証券会社から手紙が届いていました。
開けてみると、
日興コーディアル証券が今年4月1日付けで「SMBC日興証券㈱」に社名変更するというご挨拶でした。
三井住友フィナンシャルグループに入っても、「日興」の名が残るんですな。
もともとは日本興業銀行(今のみずほコーポレート銀行につながる)に由来する名前なのにね
もっとも、日興證券はかなり前から興銀との関係が疎遠になっていたし、そもそも日興コーディアル証券の沿革の最初に載っているのは、
1918年(大正7年) 7月 川島屋商店創業
です。
この川島屋商店を創業し、1944年に旧日興證券と合併して発足した日興證券の社長に就任したのが、このお屋敷の主、遠山元一さんです。
2月15日の「『二引』が二連発(その2)」に書きましたように、遠山さんは豪農の家に生まれたものの、幼少期に生家が没落し、株屋の丁稚
から日本を代表する証券会社の社長(オーナー?)
に昇った人ですから、母親のために故郷(埼玉県比企郡川島町)に建てた豪邸の玄関が農家風であるのは当然の流れかもしれません。
一見すると農家風ながら、よく見ると、凄いつくりになっていました。
玄関横の戸袋はこんなです。
材料の美しさはもちろん、ほぞの細工まで一般常識からかけ離れています。
そして、玄関を入ったところに置かれた見取図を手にとると、な、な、なんと大きなお屋敷か
(下の図は見取図の一部をスキャンしたもの。クリックすると遠山記念館のサイトにジャンプします)
「農家風」の東棟は、内部も「農家風」のつくりになっていて、土間風の内玄関があり、居間があります。
ただ広々としているだけでなく、柱にしても(右の写真)、神棚や天井に至るまで、素材も細工もなんとも素晴らしいものでした。
キンキラキン
ではない豪華さというものを目の当たりにした気がしました。
そして、東棟から中棟に向かう途中にあった風呂場
天井からして、「ここは温泉か」です。
「一事が万事」で、ハイソサエティな生活とはこんな世界の重層構造なのだろうな、と思います。
遠山邸ワンダーランドはまだまだつづきます
つづき:2011/03/10 なんとも凄いお屋敷でした(その3)