なんとも凄まじい災害です。
東京の職場での揺れも、振幅といい持続時間の長さといい余震の多さといい、相当なものでした。
それよりも、TV中継で伝えられたリアルタイムの津波のパワーと恐ろしさと来たら…。
クルマがミニチュアカーのように一気に流されていく宮古港の様子、濁流がきれいに整備された農地やビニールハウスを呑み込みながら内陸に進んで行く仙台の様子、防波堤にあたって生じた渦の中でエンジンをフル稼働させて体勢を整えようとする舟、、どれも現実とは信じられないものでした。
右の写真は、昨年10月に松島へ行ったときに見かけた避難場所を示す標識です。
津波に備えた避難場所が指定され、標識が設置されているということは、それだけ三陸海岸では津波が意識されているということでしょう。
でも、津波警報が発令されても実際に避難する人が極めて少なく、そして発生した津波も数cmの小さなものばかりだったことを思い起こせば、今回の大津波警報を理解して、実際に高台に避難した人はどれだけいるのでしょうか?
また、津波の危険を意識していたとしても、あれほど大規模な津波を想像できた人なんてほとんどいなかったのではないかと思います。
水の脅威だけでなく、火災あり、建物の倒壊あり、「壊滅」と伝えられる地域あり、原発の不具合あり、他地域での大きな地震ありと、いったいどこまで被害が広がることでしょうか。
今朝のニュースでは「死亡・不明 1,000人超」と報じられています。
一人でも多くの人が助かることを願っています。
下の地図は、昨夜の私の「徒歩帰宅」のルート図です。
JR東日本が「11日中の運転再開はしない」と発表したことを聞いて、私は徒歩帰宅を決意しました。
一度は徒歩帰宅を試してみたかったし、ちょうど、持っている革靴の中では最も歩きやすい靴を履いてきていましたから。
さっそく、近所のお店で食糧として「人形焼き」を買ってきて、あらかじめ準備していたペットボトル入りのお茶と共にバッグに入れ、iPodでNHKのFM放送を聴けることを確認して、19:00ちょい前に職場を出発しました。
大手町界隈は、クルマがびっしりと車道を埋め、多くの「徒歩帰宅」するらしい人たちが、意外にも悲壮感もなく和気藹々と歩いていました。
街灯が煌々と灯りを放っていて、まるでお祭りのようです。
私も、中山道徒(かち)歩きの気分で、意気揚々
でした
職場近くの道をほぼ一直線に真北に進み、聖橋を渡り、湯島聖堂の横を通り過ぎると国道17号線・本郷通りに突き当たり、ここからは旧中山道("いちにちじゅうやまみち"ではない)
東大の門前町(?)が、歩道がかなり狭くて歩きづらかったことを除けば、周りは徒歩帰宅者がたくさんいますし、歩道も明るい
しで、かなり体調も気分も良い状態
で中山道最初の宿場・板橋宿に到達しました(板橋郵便局の向かいから、国道17号線ではなく旧中山道へ)。
板橋宿はほぼ10km地点で、ここまでの所要時間は2時間弱と、かなり良いペースでした(今にして思えばオーバーペース)。
ケータイで写真を撮ったり(右の写真です)、いかにも年季が入っていることを感じさせる建物にほげぇ~
としたり、コンクリート造りの「板橋」を感慨深く渡ったり、「縁切榎」をしげしげと眺めたりと、かなりの余裕でした。
しかし、環七を横切って、国道17号線に戻った辺りから、筋肉痛が出てきました。さらに、スラックスがすれて内股がヒリヒリしだしました。
そんなわけで一気にペースが落ち(途中の自転車屋さんで自転車を買ってしまおうかとまで考えました)、トイレ
休憩(コンビニで牛乳
を買いました)やらタバコ
休憩をとったこともあり、次の1時間で歩けたのは3kmちょっと。そこで、13km地点の志村一里塚(東側)をぐるりと3/4周して(二基残っている一里塚のうち東側のものは、車道がぎりぎりに迫っているため、歩道が迂回しています
)、マックでコーヒーブレイク
をとりました。
ところが、15分ほどの休憩では、筋肉痛は治まることもなく、16km地点の戸田橋(江戸時代には橋がなく、荒川のやや下流に「戸田の渡し」があったそうな)を渡って埼玉県に入った時には、疲労困憊で、赤信号がうれしく思えるほどでした。
それでも、まだまだ周りを見渡すと、徒歩帰宅者がたっぷりといます。言葉を交わさなくても、志を同じうする人たちが近くにたくさんいるというのは心強いものです。
そんな心強い同志たちがさっぱりいなくなったのは、19km地点の蕨宿・北町交番の交差点から、国道17号線を逸れて旧中山道に入った時でした。
ガードレールや適当な高さの塊に腰掛けの休憩の頻度が高まりました。
さらに、これまでNHKのFM放送で、最新情報を聴いていたiPodがバッテリー切れ
気分も萎えます。
ここから北戸田駅を経て、新幹線と埼京線の高架の下を歩く行程がきつかった…
ロッテの工場の辺り(もうゴール目前)では、100mおきくらいに休憩しないと、工場から漂うカカオの香りも役にたたず、足が動きませんでした。
しかも、ペース良く歩いていたときにはまるで気にならなかった寒さ(耳は冷たかったケド)が、こたえます。
そうしてようやく自宅にたどり着くと、風呂にお湯を張り、TVで最新情報を仕入れ、そして入浴
気持ちよかったぁ~
冷え切った手に血が巡り、こわばった足の筋肉がほぐれていくことを実感しました。
ただ、スラックスですれまくった内股がしみたのには閉口…
こうして、行程24km、6時間を要した徒歩帰宅はなんとか終了したのでした。
できることなら、こんなことは二度とゴメンです。
でも、いろいろ教訓を得ることができました。
書き残しておきますので、参考にしていただければ幸いです。
- 職場に履きやすい靴
を用意しておく(女性の場合は必須
)
- バッグは中味を必要最小限のものにとどめ、背負うかたすき掛けに
- ラジオがあると気分的に楽
- 使えるトイレ
を見つけたら早めに利用
- あらかじめルートを頭に入れておく
- ケータイ
は(通話もi-mode
も)役に立たないと考える
- 歩くペースは控えめに
こんなところでしょうか?
あと、職場に懐中電灯と軍手を常備しておくのも良いことかもしれません。
この記事のタイトルどおり、「東北地方太平洋沖地震は現在進行形」です。
なんとか早く地震が収まり、救助を待っている人たちが早く救出されますように
あ、そうだ。
実家に電話したところ、水道とガスは支障がないものの、今朝になっても停電が続いているそうで、「久しぶりにガスでご飯を炊いているところ」だそうです。
安心しました。