予定を変更して、2月28日の「東京・芝の古墳はかなりでかい」のつづきを書きます。
これというのも、昨夜のブラタモリが「~東京タワー・芝~ をブラタモリ」で、記憶に新しい芝丸山古墳とか、増上寺とかを取り上げていたものですから、この機を逃してなるものかという次第。
加えて、番組の中、昔の海岸線を探そうと、恒例の「高低差」をたどるうち、「JRの線路が東海道線敷設当時の海岸線にあたる」なんて話がでてきて、うわぉとなりました。
なにせ、つい先日鉄道博物館(鉄博)に出かけたとき、新橋~横浜間で鉄道が開業した当時の路線図を観てきたばかりでしたし
私、これまで、いくつもある増上寺の門の下や近くを通ることはあっても、(狭義の)境内に入ったのは、知人の葬式に参列した時の一度きりでした。
「いつでも行ける」と思うとなかなか足が向かないものですし、増上寺の場合は戦災で大きな被害を受けて、「鉄筋コンクリートで再興」のイメージがあるのも疎遠だった理由かもしれません。
さて、増上寺をそぞろ歩き…。
まずは旧・台徳院霊廟惣門。
2代将軍・秀忠公の霊廟の門です。
きらびやかですなぁ。
あまりにきれいなので、最近再建したものかと思ったら、港区のサイトの説明によると、
増上寺山内の南端に位置する台徳院霊廟は、寛永9年(1632)に造営されたもので、2代将軍徳川秀忠の廟所。芝の徳川家霊廟の中で、最も規模が大きく、地形の起伏を利用した壮麗な建築群を誇っていました。しかし、昭和20年(1945)の戦災に際して、罹災を免れたのはわずかに惣門、勅額門、御成門、丁字門のみでした。惣門が現地に保存され、それ以外の門は狭山不動寺(埼玉県)へと移築されて現存します。
ということで、オリジナルだそうな 当然、修理・彩色されているのでしょうけれど…。
霊廟自体は完全に姿を消してザ・プリンス パークタワー東京になってしまっています。昨夜のブラタモリでの台徳院霊廟の再現CGは楽しかった…。
ちなみに秀忠公の遺骨は、正室・崇源院("江"です)の「お墓」に同居している由。
さて、増上寺の顔ともいうべき三解脱門も、数少ない戦災生き残りの一つです。
境内側から撮りました。日比谷通り側から撮れればよかったのですが、三解脱門前の歩道からだとフレームに収まらないし、日比谷通り反対側の歩道から撮ろうにも、私が出かけたときは東京マラソンがまだ続いていて、道路を横断することができませんでした(地下鉄の駅を通るしかない
)
三解脱門の写真をもう一枚載せておきましょう。先に見えるのは大門です。
大殿(本堂)・安国殿の裏に、徳川家の墓所が一カ所に集められています。
この日、霊廟の門(鋳抜門)は固く閉ざされていましたが、墓所は定期的に無料公開されているようです。
加えて、今年は4月15日~11月末の間、ぶっ続けで公開されるのだとか(ただし有料)。
そりゃそうでしょう。なんてったって、
こんなお守りもあるようです。
また、お隣の東京プリンスホテルのレストラン
でも、「桜まつり~お花見『お江』フェア」ということで、スペシャルメニュー(お値段
もスペシャル
)が登場します(3月16日~4月10日)。
せっかくの機会ですから、徳川家の墓所へお参りに行ってみることにしましょうか。