新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

予定を変更して増上寺のこと

2011-03-11 08:01:43 | タウンウオッチング

予定を変更して、2月28日の「東京・芝の古墳はかなりでかい」のつづきを書きます。

110311_2_1

これというのも、昨夜のブラタモリが「~東京タワー・芝~ をブラタモリ」で、記憶に新しい芝丸山古墳とか、増上寺とかを取り上げていたものですから、この機を逃してなるものかという次第。
加えて、番組の中、昔の海岸線を探そうと、恒例の「高低差」をたどるうち、「JRの線路が東海道線敷設当時の海岸線にあたる」なんて話がでてきて、うわぉとなりました。
なにせ、つい先日鉄道博物館(鉄博)に出かけたとき、新橋~横浜間で鉄道が開業した当時の路線図を観てきたばかりでしたし

110311_2_2

   

私、これまで、いくつもある増上寺の門の下や近くを通ることはあっても、(狭義の)境内に入ったのは、知人の葬式に参列した時の一度きりでした。
いつでも行ける」と思うとなかなか足が向かないものですし、増上寺の場合は戦災で大きな被害を受けて、「鉄筋コンクリートで再興」のイメージがあるのも疎遠だった理由かもしれません。

さて、増上寺をそぞろ歩き…。

まずは旧・台徳院霊廟惣門

110311_2_3

2代将軍・秀忠公の霊廟の門です。

きらびやかですなぁ。
あまりにきれいなので、最近再建したものかと思ったら、港区のサイトの説明によると、

増上寺山内の南端に位置する台徳院霊廟は、寛永9年(1632)に造営されたもので、2代将軍徳川秀忠の廟所。芝の徳川家霊廟の中で、最も規模が大きく、地形の起伏を利用した壮麗な建築群を誇っていました。しかし、昭和20年(1945)の戦災に際して、罹災を免れたのはわずかに惣門、勅額門、御成門、丁字門のみでした。惣門が現地に保存され、それ以外の門は狭山不動寺(埼玉県)へと移築されて現存します。

ということで、オリジナルだそうな 当然、修理・彩色されているのでしょうけれど…。
霊廟自体は完全に姿を消してザ・プリンス パークタワー東京になってしまっています。昨夜のブラタモリでの台徳院霊廟の再現CGは楽しかった…。
ちなみに秀忠公の遺骨は、正室・崇源院(""です)の「お墓」に同居している由。

さて、増上寺の顔ともいうべき三解脱門も、数少ない戦災生き残りの一つです。

110311_2_4

境内側から撮りました。日比谷通り側から撮れればよかったのですが、三解脱門前の歩道からだとフレームに収まらないし、日比谷通り反対側の歩道から撮ろうにも、私が出かけたときは東京マラソンがまだ続いていて、道路を横断することができませんでした(地下鉄の駅を通るしかない
三解脱門の写真をもう一枚載せておきましょう。先に見えるのは大門です。

110311_2_5

   

大殿(本堂)・安国殿の裏に、徳川家の墓所が一カ所に集められています。

110311_2_6

110311_2_7_2 この日、霊廟の門(鋳抜門)は固く閉ざされていましたが、墓所は定期的に無料公開されているようです。
加えて、今年は4月15日~11月末の間、ぶっ続けで公開されるのだとか(ただし有料)。
そりゃそうでしょう。なんてったって、

110311_2_8~お江の眠る寺~大本山 増上寺」ですから

こんなお守りもあるようです。

110311_2_9
また、お隣の東京プリンスホテルレストランでも、「桜まつり~お花見『お江』フェア」ということで、スペシャルメニュー(お値段もスペシャル)が登場します(3月16日~4月10日)。

せっかくの機会ですから、徳川家の墓所へお参りに行ってみることにしましょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする