エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ヴァン・デ・コーク教授の本気度,全開

2017-03-12 07:42:49 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
年寄りは子どもと一緒 社会的叡智
   金森俊朗さんと楽しい時間   楽しい時間が最高のプレゼント  柏のような事件があるのは、私に言わせれば、今の日本の危機への警鐘です。震災.........
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.166,最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 DSM-5が出る前も,『アメリカ精神医学研究』は,様々な診断名を試す様々のテストの結果も出しました。それは,DSMが,科学の世界で信頼性として知られていることを大きく損ねていることを示していましたね。信頼性があって初めて,みんなが「本当だね」,「何度やっても同じ結果が出るね」ということが可能になる訳でしょ。別の言葉で申し上げれば,DSMは,科学的な妥当性がないのです。おかしなことに,信頼性も妥当性もないのに,DSM-Ⅴの出版は差し控えます,ということになりません。それどころか,DSM-Ⅴは,前の診断システムよりも少しもマシになってない,ということは,皆さんご存知なんですね。アメリカ精神医学界(APA)が,DSM-Ⅳで,一億ドルを稼ぎ出して,しかも,DSM-Ⅴでも同様な稼ぎを当てにしているということが事実ならば,こんないい加減な,診断システムをこの世に送り出してもいいんでしょうか,いいはずないでしょ

 

 

 

 

 

 自分が住んでる小さな会社や業界よりも,人類の利益,弱くされた立場の人たちを大事にできるヴァン・デ・コーク教授がいかに本物かが解かる所ですね。

 

 

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聖書の言葉: 野のゆり  信頼の花

2017-03-12 04:12:56 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
代理によるミュンヒハウゼン症候群(MBPS)
   一瞬は永遠(日常)  渡りの不思議を実感するためには、月を仰ぎ見て、じっと待ち望んでいなくちゃぁなりません。 The Sense of Wonde......
 

 今宵の聖書の言葉は,花,野のゆり,です。渡辺和子さんが「花」とおっしゃるので,その連想です。私の聖書の学びの大先輩の娘さんに,「野ゆり」さんと言う人もいますよ。

 野の花,野のゆりの話は,『新約聖書』の2番目と3番目のイエス・キリスト物語,「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」に出てきます。今宵は,ルカ12章から,から引用しておきましょうね。

 「生活の心配

 22彼は弟子たちにいわれた、「それゆえわたしはいう、何を食べようかといのちのことを、何を着ようかと体のことを気にするな。23いのちは食べ物以上、体は着物以上である。24鳥を考えてみよ、まかず、刈らず、納屋も倉もないのに、神は養いたもう。あなた方はどれだけ烏にまさることか。25あなた方のだれが、気を配って寿命を少しでも延ばせるか。26そんな小さいこともできずに、なぜほかのことを気にするか。27は紡ぎも織りもしないことを考えてみよ。わたしはいう、栄華をきわめたソロモンもこののひとつほども着飾ってはいなかった。28きょう野にあり、あす炉に投げ込まれるを神がこのように装いたもうならば、ましてあなた方はなおさらである。信仰の小さい人々よ。29あなた方も何を食べ何を飲もうと求めるな、気にするな。30それらはみな世の民が欲するもの。あなた方の父上はあなた方にそれらが要ることをご承知である。31ただ彼のみ国を求めよ。そうすればそれらは加えて与えられよう。32おそれるな、小さい群れよ、あなた方の父上はよろこんでみ国を賜わるから。33持ちものを売って施しをなさい。自分のために古びない財布をつくり、盗人が近づかず、しみも食わない天に無限の宝をつみなさい、34あなた方の宝のあるところにあなた方の心もあるから。」

 

 ソロモンと言えば,ユダヤ王国が繁栄を極めた時の王様ですから,それはそれは,立派な装いでしたでしょう。でも,そのソロモンよりも,何にもせずにいるような花の方が,立派だという訳です。

 立派なのが良い,ということではないですね。むしろ,自分では何もしないかのように見える花の,自然に対する信頼のことを述べているはずです。

 信頼の花,ですね。

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現世考: 穴の向こう側に咲く花

2017-03-12 03:37:00 | 間奏曲

 

 

 

 

 

 

 
ニッポンの学校に、「光」を!! 補足版  学校の雰囲気として、「どうせ言っても先生は聞いてくれない」 
   金森俊朗さんと楽しい時間   楽しい時間が最高のプレゼント  柏のような事件があるのは、私に言わせれば、今の日本の危機への警鐘です。震災.........
 

 昨年末に渡辺和子さんがなくなりましたね。

 私も一度だけ,渡辺和子さんの話を伺ったことがあります。以前にもブログに記したかもしれません。20年くらい前,上智大学でのことでしたね。あの,あまり大きくはないのに,芯の通った声が忘れられませんね。

 昨日朝,「NHK映像ファイル あの人に会いたい」で,渡辺和子さんが取り上げられて,その最後の言葉が,実に印象的でしたね。

人生には,穴が開くことがある,と思うんですね。しかしながら,人を恨んだり,『なぜなぜ』と訊くのではなくて,穴が開くまで見えなかったものを,その穴から見てやろう,そして,見えるんだ,そういう方へ自分を切り替えて生きたい

 なかには,穴を掘って置いて,そこに人が落ちるのを,ニヤニヤしながら待っている輩もいますね。穴に落っこちて,悔しそうな顔が出てくるのを待っている連中です。

 ところが,渡辺和子さんは,穴があったら,その中を善くよく見てやろう,という訳ですね。「穴」と言う置かれた場所にも花があり,そこでも,花が咲くことを信頼しているからですね。

 「おかれた場所で咲きなさい」と命令形で,言われることが多いし,渡辺和子さんも,そのようにおっしゃいますけれども,もともとの,ヘブライ語の言葉づかい,考え方からして,次のように言うこともできます。

 「おかれた場所で,花が咲くことになっていますからね

 渡辺和子さんの,番組での最後の言葉,さっき引用した言葉も,私の翻訳と通底するものがありますね。

 私どもも,穴の向こう側に咲く花,を見て生きたいものですね。


 

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エリクソンの叡智:  #実感を分かち合いたい私たち 心ある存在になりたい私たち

2017-03-12 02:55:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
自分への手紙
   実在論と聖遺物崇拝  中世の神学では、神が存在するのかどうかが決定的に重要でした。しかし、中世の人々にとっては、神が存在することは自明のことでした......
 

  Toys and reasons. p.26から。

 

 

 

 

 

 ここでわたくしはいろんな分野のことについて触れなくてはなりませんが,私が申しあげられることは一つの観察だけなんですね。その観察は,もともと,子ども達の遊びクライアント等の夢が私に教えてくれたものでして,人は実感を分かち合いたい(実感を≪共に見≫たい)という根源的な欲求がある,ということでしたね。

 

 

 

 

 

 遊びと夢,毎日の生活では気にも留めないものですね。そんな話を子どもがしていれば,「宿題やったの?」と言いたくなるでしょう。

 でも,今宵エリクソンが教えてくれたみたいに,子どもに心ある存在になってもらいたい,と願うのであれば,遊びと夢は必要不可欠であることが解かりますね。なぜなら,心とは≪共に見る≫ものですから。

 どもは,人から教えられずとも,心ある存在になりたい,と願っていることがここからも分かりますね。

 私どもは,子どもやクライアントの実感を分かち合う存在でありたいものですね。

 

 

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