先日の記事
「100年前にも行政や国や企業と闘った人がいた。」でも紹介したが、
NHKEテレで1月22日放送された、
「日本人は何を考えてきたか?」の第三回の
田中正造について、テレビで見た。
(視聴者の要望がなければたぶん再放送はされないでしょう。)
それで、私は
すごいことを知ってしまった。
それは、足尾鉱毒事件に対する
100年前の、東京帝国大学の研究者たちの調査のいい加減さ。
当時の最先端の東大の研究者といえども、
100年後の未来人の私から見たら、
何も真実が見えていない、大バカものであったという事実。
いつの時代も、当時の権力者たちの意見が
必ずしも正しいとは限らないってこと。
真実は現場にあるってこと。
その現場の声に真摯に耳を傾け続ける者だけが、
どんな偉い研究者よりも、真実が何かを見抜けるってこと。
番組内容によると、
『当時、足尾銅山から流れ出た鉱毒が、周囲の森や水や田畑を荒らし、
村民を苦しめていた。
当時の衆議院議員の田中正造は、被災地の人々の窮状を知った。
田中正造は議会があるごとに、足尾銅山の操業停止を求め、質問を続けた。
田中正造は「足尾の鉱毒問題が、明治憲法で保障された民の権利を侵害するものだとして、政府を追及した。
政府の命令を受けて、
東京帝国大学の研究者が調査したが、
「直接鉱毒に起因する病気は認められず、
むしろ少量の銅は健康によいと結論づけた。」という。
なんという恐ろしいことだ。
100年後の未来人の私たちから見たら、
当時の東京帝国大学の研究者たちは、バカ丸出しじゃないか。
そのテレビを見ていた家族が、
ポツリと言った。
「東大の研究者、(足尾銅山側から)金もらったな。」と。
そうかもしれないと、私も思った。
そして、その権威ある、東京帝国大学の研究者の意見が、
ただでさえ、作物が枯れる田畑にされ、
鉱毒事件で健康被害を受けている村民たちの救済を遅らせ、
さらに苦しめたことは
まるで、脳脊髄液減少症をとりまくいままでの悲惨な状況にも似ていると私は思った。
過ちの歴史を繰り返すのは愚かだ。
私たちは過去から教訓を学び、
今後に生かしていかなければならない。
東京新聞の記事にもあるけれど、確かに過去の足尾鉱毒事件のいきさつは、
今回の原発事故とも構造が似ていると思う。
原発事故と、足尾鉱毒事件と、そして、脳脊髄液減少症の三つに、猛烈に共通点を感じる。
水俣病も同じだ。
それは、企業の利害関係にからむ病や災害であること、
その企業側につく権力者の存在。
その権力者が正確な情報を国民に流さなかったり、
企業側に有利な情報を流し情報操作することで、
さらに弱者の国民の迅速な救済を遅らせ、
無理解と無支援で
何の罪もない被害者を長く苦しめる最悪の結果を招くこと。
被災者をさらに苦しめるような状況に導くのは、
人の心に潜む悪。
利害関係がからむ、国と、権力者と、企業の悪の構造。
脳脊髄液減少症問題に、過去の過ちを繰り返さないためにも、
水俣病だけでなく、
足尾鉱毒事件についても、当時何があったのか、
人々はどういう仕打ちを受けたのか?
どう村民は苦しめられたのかを
私たちは知り、学ばなければならないと思った。
まずは以下を読んでもらいたい。
足尾鉱毒事件
NPO法人足尾鉱毒事件田中正造記念館
田中正造
田中正造、その偉業と思想
脳脊髄液減少症についても、
今現在もなお、
脳脊髄液減少症なんて事故で起こったとしてもそんなに多くはないはずだとか、
多分に精神的なものがかかわっているとか、
ブラッドパッチなんておまじないみたいなものだとか、
まだ言い張っているような人は、
そういう意見だった医師として歴史に名が残り、
100年後の未来人に
「大バカもの」と笑われないようにしていただきたいと思った。
それにしても、
田中正造が衆議院議員時代の50歳のころから、71歳で死ぬまで、
人々のために鉱毒問題の解決のために闘い続けたように、
脳脊髄液減少症問題に、
命がけでとりくみ、
私たちとともに闘ってくださっている政治家って、
はたして今、いるだろうか?
もし、いるのであれば、
田中正造のように、
100年後まで、その偉業は語りつがれることになるだろう。
そして、
私たち脳脊髄液減少症患者を無理解で苦しめ続けた人たちの名前も、
歴史に残り、100年後まで語りつがれることだろう。
「真の文明は、
山を荒さず、
川を荒さず、
村を破らず、
人を殺さざるべし。」 田中正造
「少しだも、
人の命に害ありて、
少しくらいはよいというなよ。」
明治36年10月 田中正造の日記
(東京帝国大学の研究者たちよ、
少しでも人の体に害があるものを、
少しぐらいはいいなんてこと言うなよ。という意味?)